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サド侯爵夫人 ルネ・ペラジー

「この野蛮人が生贄にしている小さな娘ほど、可憐なものはなく、陵辱者と犠牲者とのあいだに桁外れな不釣合いほど、おもしろいものはありませんでした。」

久しぶりにサドの「ジュリエット物語あるいは悪徳の栄え」を読んで、澁澤龍彦さんの訳だったことに気がつきました。

今度は違う訳者のものを読んでみたいと思いますが、ありえないほどの残酷さで、人間の生贄を享楽のために、その命を犠牲にした上流社会の趣味のお話しですが、ルソーと違って、サドの「自然に帰れ」は、原始の野蛮な人間性に帰れということだったのだと思います。

ルイ15世からナポレオンまでの時代を生きたマルキ・ド・サドは、王家の親族で、人を殺すまでには至っていませんが、当時の死罪にあたる男性同士の交わりをするなど、ルイ16世からも令状が渡されています。

記事 サド侯爵 マルキ・ド・サド

そこで気になるのがサド侯爵夫人。

ジャン・バティスト・ジョセフ・フランソワ・サド伯爵(Jean-Baptiste François Joseph) マリー・エレオノール・ド・マイエ・ド・カルマン(Marie-Eleonore de Maille de Carman)

サドの父(ナティエ画)、サドの母(作者不詳)


ナティエの肖像画にも描かれているマルキ・ド・サドの父ジャン・バティスト・ジョセフ・フランソワ・サド伯爵は、この息子の荒れ果てた生活と浪費には、しかるべき縁組しかない!とルネ・ペラジー・ド・モントルイユを選んだのです。

法官貴族の娘ですが、ヴェルサイユの有力者で財力のあるモントルイユ家。ルネにとってはコンデ家に通じるサドとの婚礼はシンデレラ。

でも、サドは自分が身分違いの花嫁をあてがわれたと思っていたのでしょう。1763年のことです。

ルネ・ペラジーは、容姿も地味で、姿形も見栄えはしませんでしたが、冷静で敬虔な女性でした。

サドにとっては魅力的ではありません。

そしてサドの性倒錯から引き起こされる事件にスキャンダル。数々の恋愛癖。ルネの妹もその一人でした。

アンヌ・プロスペル・ド・ローネー・ド・モントルイユ(Anne-Prospere de Launay de Montreuil,〜1781)

妹 アンヌ・プロスペル・ド・ローネー・ド・モントルイユ


ルネは、夫の逮捕、投獄、彼の逃亡という、ほとんど半分が不在の20年間、一人で3人の子を育てていくのです。

性倒錯を隠せない夫、「あのサド侯爵の妻」というレッテルにさえ、服従してしまう女性。

なんといっても王の親族に通じる名家の家柄。当時のサドは若く美しで、洗練されて、才気があって、ちょっとシュール。

サドの事件が明るみになり投獄されるたび、尽くすルネ。痛々しいほど馬鹿馬鹿しい。

サドも彼女にはある信頼をかけていました。自分の頼みはなんでも引き受けてくれる妻として。なんとつまらない立場のルネなのでしょう。と思っていたのですが・・・。

1783年、ルソーの「告白論」の差し入れが監獄で拒否されたときのサドからルネの手紙があります。

「ルソーの「告白論」が拒否されたとは、またまた大事件だ。ルクレイティウスとヴォルテールの対話を送ってもらったあとだから、尚更だ。ああ、自由人が書いた本が私に害ありと貴女が思うなら、私にとってなおさら名誉千万だ。私は彼を大層気に入っている。」(要約)

ルソーの告白論を拒否したのは、ルネ自身でしょうか。それとも母親のモントルイユ夫人の意見に従ったのでしょうか。

このヴァンセンヌの投獄以前、10年前になります。

サドが、マルセイユ事件を起こし死刑判決が下される前に、シャンベリーに逃避行しました。そこで逮捕され、抑留されるのです。

Renee Pelagie

サド侯爵夫人ルネ・ペラジー


この翌年、この従順で献身的な妻ルネは、男装してシャンベリーに向かったというのです。

ルネの男装?

私は、この男装は誰にすすめられたのか考えていたのです。やはり母親のモントルイユ夫人でしょうか。それともルネ自身の判断でしたら拍手喝采です。

妹のアンヌに比べて、はるかに容姿が劣り、正式な肖像画もありません。この簡素な肖像画はルネだと思われるという注釈が以前にありました。

ルネだと信じると、なんと愚鈍な横顔。厚かましくさえ見えてしまう私。もしかすると、神経が太いのか、血のめぐりが悪い。

楓が思うには、ルネは不感症だったのではないでしょうか。何の感情的な反応もわかないことを、サドは「冷静で敬虔だ」と思ったのでは。

それとも敬虔的だからこそ、サドの子どもを3人も出産しながら、一度も女性の喜びを知ることがなかったとも思えますが、ルネこそサドの性行為に嫌悪を持っていたのではないでしょうか。

性の解放がされていないルネ。そのルネには愛情と愛撫、そして心に響く言葉が必要だったのではないかと。ルネには性の解放も心の喜びも与えられなかったサド。

私がいきつくところが、そこなのです。だからこそ、いつまでも娘のように、母親の意見に従い、夫に献身的に尽くすようモントルイユ夫人に説得されていたのではないでしょうか。

はじめは母親のモントルイユ夫人自身のため。王家の血をひく婿を手放せない。わが一族のために。そして次は、ルネが3人の子供達のために、彼の古い名家を残さなくてはならないと。

EARL LAVENDER, FRONTISPIECE

ジョン・デヴィッドソン著 ラヴェンダー伯爵
オーブリー・ビアズリー(AUBREY V.BEARDSLEY)


ジョン・デヴィッドソン著「ラヴェンダー伯爵」の扉絵は、サドがマルセイユ事件で、自分も鞭打たれたシーンを想像します。こうした性の不一致が、さらにルネの感情を乱していたのではないでしょうか。

人に従うだけのこの女性が、男装をしてサドに会いに行ったという事実が、どういう真実から生まれたものかを不思議に思うのです。

ルネがモントルイユ夫人の介入の記録がなく、サドの援助をするのが、1781年のヴァンセンヌ監獄に投獄されたときです。ルネは王の姉妹の一人の助力で、サドをヴァンセンヌからモンテリマルの城塞に移すことができました。たぶんエリザベート王女だと思われるのですが。

そんな優遇を断ってヴァンセンヌ城の監獄に居続けたサド。そしてサドとは4年後にはじめて面会の許可がおりました。

ところが、4年も男女関係がないわけないだろうと、激しい嫉妬を夫人に向けるのです。あまりの激しさに面会は禁止されたのです。

ルネからサドへの手紙(要約)
「私の心はいつも変わらず貴方のためにときめき、貴方だけを愛しています。私が思っていることはただ一つ。貴方が私をご覧になられる暁には、獄中で考えられていたことは、すべて妄想だったと、あなたが言ってくださることだけです。」

なぜに健気でいられるのでしょう。しかも夫の疑惑を落ち着かせるために、住居を引き払い、サントールの修道院内に住むご婦人のもとに間借りをしたそうです。

でも女性にとって夫や恋人、愛人からの嫉妬は嬉しいもの。ですよね?でもルネは、果たして嬉しかったのでしょうか。

ルネは面会で所望する本を渡し、サドは執筆の写しを渡すという面会。その一方で多くの手紙のやりとりをしています。

サドからルネの手紙
「私の考えは寛容されることがないと、貴女は言う。だがそれは私の瞑想の結果であり、私の実存性、私の教養を象徴するものだ。馬鹿な連中の偏見によって軽蔑されつくす理性的な人間というものは、当然敵になるだろう。貴女が私の主義と関心を犠牲にするという条件のもとでのみ自由が与えられるなら永遠にさよならだ。私は主義と関心をファナティックなものにしてしまっているのだから、命と自由を千回犠牲にしてもよし。」

この手紙も長文でしたが、ルネはただのおとなしい妻ではなかったようにも思えるのです。誰かの意見をそのまま書いていなければ。

1784年、ルイ16世の王令によりヴァンセンヌの監獄は廃止され、サドはバスティーユ監獄へ移されることになるのです。

ルイ16世がタンプル塔に幽閉されたときも贅沢品に囲まれ、優雅な食事が運ばれましたが、サドもこれまでと同様にバスティーユ監獄でも特別な生活をしています。

Juliette, Clairwil, Pauli & Laroche otages à Cachan

ジュリエット物語 悪徳の栄え 挿絵


このバスティーユで「ジュスティーヌ物語 美徳の不幸」、「ジュリエット物語 悪徳の栄え」が書かれたのですね。このとき次のような報告があります。

1786年7月7日 ド・ローネからド・クローヌへ

「サド侯爵夫人の請願の件につき、報告させていただきます。夫人は週1回を訪問する許可を願っておりました。ところが囚人は怒り狂い、夫人に対して常に非難を浴びせかけます。手紙を検閲しますと、妻、家族、我々に対しての非難に満ちております。看視の者を罵り、不愉快な行動が度を越したため、面会を停止するのが適当と判断しました。囚人は面会が絶えてから平静です。サド侯爵夫人が常に侮辱と非難を浴びるにも関わらず、面会許可を求めるのは、誠実さと善意の現れです。実のところ、夫人は囚人が釈放された暁には生命を失うかもしれぬ事を恐れております。かかることは、私、当所の全員と同様に確信いたしております。」

この一年後に、鼈甲の枠に入れたルネのミニチュアール像を受け取ったサドは、「私は貴女を抱きしめる。現実に貴女を腕の中に迎えることができたら、もっと感謝するだろう。その肖像、この鼈甲はまったく素晴らしい。何もかもが気に入った。筆にはあらわせない喜びをそれは私にあたえてくれる。」

ルネは「囚人が釈放された暁には生命を失うかもしれぬ事を恐れております。」と報告されることを、ルネはあらかじめ知っていて、自分の生命がおびやかされることを ド・ローネに話したとは。

私には、少しずつルネが、サドと距離を離して行く準備をはじめていると感じたのです。

そして一年後にはサドに自分の肖像画のミニチュアールを贈っているのって、ちょっとおかしい。

愛されていたのならわかるのですが。ルネの気持ちに何か変化が起こりだしたのでしょうか。永遠のお別れの準備をしている気がしてなりません。そして永遠に監獄に投獄されていることを祈っているように思うのです。

サドが投獄されている期間が長いこそ、彼女は献身的な役目を演じることもできたのかもしれません。

Renee Pelagie, marquise de Sade; Gerard Badou

ジェラルド・バドウ著 サド侯爵夫人ルネ・ペラジーの表紙
ルネ・ぺラージをイメージしたもの。作品は読んでいません。


王妃の首飾り事件の翌年で、王家の財政破綻を宣言されたのはこの報告の一ヶ月後。そして3年後、1789年7月 バスティーユ牢獄が襲撃されるのでした。

そして3ヵ月後の10月5日の「ヴェルサイユ行進(10月行進)」で、サド侯爵夫人はパリを脱出しています。

モントルイユ家への手紙
「娘と女中一人を連れ、パリを脱出しました。(略)そうしなければ庶民の女達に力ずくで、無理やり雨の中をヴェルサイユの行進に引きずり出されることになるからです。幸いにして無事に脱出することができました。」

同じ頃、劇作家でもあり女性の人権宣言(女権宣言)を残したオランプ・ドゥ・グージュの家には乱入されたようです。

さてサド侯爵のバスティーユ牢獄の原稿はどうなったでしょう。

サドはシャラントンから釈放されて、20年もの間、献身的に愛情を注いでくれた妻ルネから離婚を言い渡されます。面会時に預けた原稿の写しも引き渡すのを拒まれました。献身的な妻を信頼していたサドですが、バスティーユ牢獄の原稿さえもルネは見捨てたのです。

そして公証人でサドの友人のゴーフリディー。ルネは彼にサドへ虚偽の財産管理の報告をさせます。

その男が自分のためにサドに偽ってくれる。これまで十分に仕える側だったのが、侯爵夫人として仕えてくれる人物を手に入れたとき、彼女はもうすでに、サドの財産を私財としたときだったのです。

ルネは、修道院で余生を過し、69歳でエショフールにて死去します。1810年のこと。別離から20年、お互いに二度と会うことはなかったのでした。

ジュリエットのこの言葉、「この野蛮人が生贄にしている小さな娘ほど、可憐なものはなく、陵辱者と犠牲者とのあいだに桁外れな不釣合いほど、おもしろいものはありませんでした。」とは、サドとルネのことだったのかもしれません。

不釣合いな結婚、不釣合いな性、不釣合いな宗教観。この最も不釣合いな夫婦。財も家名も名誉も継げる子供達の準備も整った。あとは荷物のサドを、ルネは肩から下ろすだけだったのです。


サド侯爵夫人の御伽噺

三島由紀夫の「サド侯爵夫人」、そして、藤本ひとみさんの「侯爵サド夫人」もおもしろいです。

藤本ひとみさんは、デュマ(父)のように、史実を調べて組み立てして、フィクションを織り交ぜるので、とっても面白い。歴史などの知識のある方なら、フィクションとノンフィクションの区別もつき、もっと楽しめる。モントルイユ夫人とルネの葛藤が中心です。

記事はルネとサドの手紙の引用・要約にW.レニッヒ著、飯塚信雄訳 「サド」を参考にしています(モントルイユ家の手紙をのぞく)。そのほかは、性の不一致を含め、すべて楓の所見です。くれぐれも、そのことをご理解いただき、お読みください。

| ロココ フランスの女性 | 05:16 | comments(6) | trackbacks(1) | pookmark |