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ランバル公妃マリー・ルイーズ 美徳の不幸

 

ランバル公妃マリー・テレーズ・ルイーズ・ド・サヴォワ=カリニャン
Marie-Thérèse Louise de Savoie-Carignan,
 Princesse de Lamballe


サルデーニャ王の家系、イタリアのカリニャーノ公の四女として誕生したマリーア・テレーザ・ルイーザ。

肖像画を見る限りでは、知性と教養、そして美貌も兼ね備えた優雅な女性。宮廷でランバル公爵夫人とよばれるマリー・アントワネットの女官長になったのが1770年のこと。

実はポンパドゥール夫人亡き後のルイ15世のお相手として候補にもなった話もあるほどの美しさ。

王妃の心の友人と寵愛を受け、危険も顧みずに革命時には王妃のためにフランスに戻ってきたランバル公爵夫人。

今日は、愛すべきランバル公妃を別な視点から記事にしたいと思います。ごめんなさい。ランバル公妃。



Marie-Thérèse Louise de Savoie-Carignan,
Princesse de Lamballe
1780-85
by Louis Edouard Rioult


女官長時代にしっかりと王妃を補佐していればと思うと残念です。

マリー・アントワネットの誹謗・中傷となった振る舞いを諌められるのが真の友だと思うのです。

また宮廷や国民から愛されるように、王妃が国の王妃らしく振舞えるように環境や人脈をを整えるのも女官長の努めだと思います。

そういった意味で、ランバル公爵夫人は、友としてより、宮中女官長としてどうだったのでしょう。

王妃が得意気に「私の仕組んだ事」と手紙にも書いているデギュイヨン事件(1775年)のことを、彼女は心の友人として王妃を応援した側でしょうか。それとも女官長として心を痛めたのでしょうか。

Madame de Lamballe

Madame de Lamballe
ランバル公爵夫人


マリア・テレジア、兄ヨーゼフの手紙には、この事件に関して、アントワネットを諌める手紙が残っています。

ランバル公爵夫人はアントワネットの母、兄のように、王妃としての行く末を案じてはいなかったのだと思います。

王妃に気に入られた幸運。このまま王妃に仕えたい。

この時のランバル公爵夫人は、心の友人としてアントワネットに仕えたいと思っていたのだと思います。私だけが王妃の心を慰められる。

ランバル夫人は、「好意につけ入るような事はしなかった」のですが、約15年もの間、毎年15万リーブル(約10億円)の御下賜金が与えられていました。



Marie Therese Louise
by Marie Elisabeth Louise Vigee Le Brun
エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン
1781


たぶん王妃同様に、ランバル夫人も物事を深く考える性質ではなかったのでしょう。

公職の私物化ということを。
古くからの名家の貴族たちはヴェルサイユをあとに、アントワネットたちの中傷をひろめていくのです。

この美徳の心を持つランバル公妃にまで。

ランバル公妃が忠誠を誓う王妃マリー・アントワネット。その王妃の寵愛はしだいにポリニャック伯夫人へと移って行きます。それがあからさまにわかるようなマリー・アントワネットの無邪気さというか明け透けな性格。

Marie Therese de Savoie, princesse de Lamballe

Marie-Thérèse Louise de Savoie-Carignan,
Princesse de Lamballe
by Antoine-François Callet


ポリニャック夫人とランバル夫人は奇しくも生年月日が同じです。ランバル夫人はアントワネットを利用しようと思わずに、贅沢三昧ができた人。

彼女の御下賜金というのは、国庫から王妃に割り当てられている枠があるわけなんです。

王妃の衣装費、王妃の御内帑金(お手元金)、そして造設費、御下賜金などです。

実際のところ、国王、王妃をはじめとする王族が浪費したといわれる額は、国庫の10%ほどだったのです。戦争の費用が国庫をからにしていくのです。

ところがランバル公爵夫人をはじめ、王妃の取り巻きの私的な人事、法外な御下賜金とそれによる華美さが、王妃に「赤字夫人」とレッテルを貼られる正当な「理由づけ」になるのですね。



Princesse de Lamballe
Joseph-Siffred Duplessis(ジョゼフ・デュプレシ)


ランバル公爵夫人には、宮中女官長に任命した一時金5万リーブルを与え、俸給のほかに衣装の支給、そしてアパルトメントを用意した王妃。

そして御下賜金を思う存分ドレスに費やすのです。ランバル公爵夫人のドレスへの執着は特別でした。

のちにお出入り禁止となる王妃ご用達のローズ・ベルタンの店「ル・グラン・モゴール(boutique, Le Grand Mogol)」で新調する。

とにかく宮廷の最高のゴシップの種を撒いている女官長。

国民からはどのように思われるでしょう。それはカリカチュアで証明されていますよね。

無心でありながら、「空っぽな頭」は、宮中女官長と王妃のスキャンダルを増長させるのです。



Marie-Thérèse Louise de Savoie-Carignan
wearing a Creme gown with a Blue belt
(detail)
by Anton Hickel


王妃を利用するわけでもなく悪意もない。ただ優しく、控えめで、無欲であり、知性と教養溢れるランバル公爵夫人。

夜遊びにも賭博にも無縁でした。人事にも政治にも口出しをしません。せめて王妃に忠告してくれるような分別があれば・・・。

職務に関しては心の友人の延長で、責任や管理ができない人。

そして公的地位にあるべき姿が、ほかの女官の模範になるようなことがなかったのだと思います。

王妃の好意に感激し、ただただ献身的に仕えるのがランバル公爵夫人。



Marie-Thérèse Louise de Savoie-Carignan
wearing a Creme gown with a Blue belt
by Anton Hickel  アントン・ヒッケル 1789年


王妃の好意が宮廷や国民の反感を買わないかの分別があり、自分の管理する女官たちが、王妃を尊敬し心から仕える教育をするほうが大切で、それこそ真の友といえるでしょう。

このような宮中女官長でしたら、王妃もランバル公爵夫人も残酷な運命に終わらなかったかもしれませんね。

母マリア・テレジアや兄ヨーゼフが戒めるのは、「人を見る目」は、人事の配置にふさわしい人を選べということも含まれていたのですよね。能力のある人間を。

ご存知のように、ランバル公妃ことマリーア・テレーザ・ルイーザは、1767年にフランス国王ルイ14世の曾孫ランバル公ルイ・アレクサンドルと結婚し、ランバル公妃マリー・テレーズ・ルイーズとなりました。

Marie-Thérèse Louise de Savoie-Carignan, Princesse de Lamballe

Marie-Thérèse Louise de Savoie-Carignan,
Princesse de Lamballe
by Jean-Laurent Mosnier


ところが1768年には夫と死別します。

原因は、ランバル公の放蕩によるもので、性病のためにルーヴシエンヌ城で亡くなっています。

マリーア・テレーザ・ルイーザを、ランバル公の父パンティエーヴル公が縁組の相手に選んだのは、息子の放蕩(性欲)を抑えるために、早々と結婚式を挙げさせたわけですが、結局、ランバル公妃だけでは満足できずに身を持ち崩すのです。

こうして、ランバル公の死により、ブルボン=パンティエーヴル家は最後となります。

未亡人ランバル公妃は1770年に宮廷に仕えるようになり、マリー・アントワネットは、「若い未亡人」ということに、非常に同情を寄せることになります。それがランバル公妃の女官長の地位を与えることになるのです。


記事「危険な風味のチョコレート」でもご紹介していたシャンパルティエ・ジャン・バプティスト作の「パンティエーヴル公ファミリー」(1768年)です。

フランス、ウィーン、イタリア、スペインとヨーロッパ諸国の宮廷や貴族のスティタスである「チョコレート(ショコラショー)」を飲むシーンです。

この集団肖像画は、左から父パンティエーヴル公ルイ・ジャン・マリー、長男ルイ・アレクサンドル・ド・ブルボン (ランバル公)、中央ランバル公妃マリー・ルイーズ、娘マドモワゼル・ド・パンティエーヴル、母マリー・テレーズ・デステ=モデーヌ。

これが最後の家族の肖像画になったのかもしれません。

2年の不運な結婚生活にピリオドをうち、いよいよランバル公爵夫人の最期を決定付ける運命のヴェルサイユへと導かれていきます。


さて、生年月日が同じポリニャック夫人は、同じ1767年にやはりポリニャック伯爵と結婚をしています。

ランバル公妃が夫と死別した1768年のポリニャック伯夫人の一族は、家運の衰退がはじまります。

ところがランバル公妃への王妃の寵愛と関心は、このポリニャック伯夫人へと移り変わり、一族は高みを目指します。この新しい女官長ポリニャック伯夫人。そして王妃の新しい心の友人。

1780年に宮廷を退いたというランバル公妃。もう一度、ルブランの描いたランバル公妃の肖像画をご覧ください。とても切ない笑顔に見えませんか。

この頃ランバル公妃はどこに住んでいたのでしょう。亡くなったランバル公の妹ルイーズ・マリー・アデライード・ド・ブルボン=パンティエーヴルが相続したオテル・ド・トゥールーズにでも身を寄せたのでしょうか。

Mort de la princesse de Lamballe 1792

Mort de la princesse de Lamballe 1792年9月3日
「ランバル公妃の死 1792年9月3日」 1908年
レオン=マクシム・フェーヴル(Léon-Maxime Faivre)


この傷心の1780年に、作曲家ジャン=バティスト・クルムフォルツが、ハープの名手ランバル公妃に六曲のソナタ集「ハープのためのソナタ 作品8」を献呈したのです。

ルブランがランバル公妃を描いている頃、王妃マリー・アントワネットは、香水師ファージョンに、プチ・トリアノンの香りと男性に贈る香りを注文するなどの相変わらずな生活の中、王大子ルイ・ジョセフを誕生させました。

この世継ぎを祝えないほど国民の生活は困窮していました。すでに王妃の凋落への予兆が表れ始めていました。 

1789年、ポリニャック伯夫人はオーストリアに亡命しました。王妃アントワネットの生まれた国。この年、ランバル公妃はアントワネットの元で再び献身的に尽くしています。

1791年、援助を求めに英国へわたり、帰国後は王妃のいるテュイルリー宮殿に戻ります。


1792年、タンプル塔へ投獄。移送されたラフォルス監獄へ。

ランバル公妃はフランス革命の正当性を認めませんでした。王妃を守るためでしょうか。革命を誘ったヴェルサイユ時代を忘れているのでしょうか。

そのため、ランバル公妃は無残にもフランスの国民の手で八つ裂きにされるのです。9月虐殺の被害者です。

記事  フランス革命下の一市民の日記 1792年 9月

王妃への忠誠心。美徳に溢れたランバル公妃。王妃の心の友人を殺してしまったのは何者なんでしょうか。

この同じ年、亡命先でポリニャック伯夫人も亡くなりました。生まれたのも、結婚も、死までも同じ年だったのですね。

こうしたフランス革命下のバスティーユ牢獄で、せっせと執筆に励んでいたのはマルキ・ド・サド(Marquis de Sade)です。ちょうど、「ジュスティーヌ物語あるいはは美徳の不幸」(妹)、「ジュリエット物語あるいは悪徳の栄え」(姉)は革命の前後に仕上げたものです。



La princesse de LAMBALLE


ジュスティーヌは身も心も美徳に捧げた清らかな娘。どういうわけか人々に邪険にされ不運な女性です。美しい心のこの女性の最期は雷に打たれ死ぬのです。

姉のジュリエットは、16世紀に実在したエルゼベート・バートリーのような残酷なサディスト。まるでランバル王妃の遺体を前にした国民のように死に無関心。

レオン=マクシム・フェーヴルの「ランバル王妃の死 1792年9月3日」は、1908年のパリのサロンの出展された作品です。

画像が大きくなります。そこに描かれている人々の顔は、ジュリエットのように、死に至るまでの好奇心であったり、憎しみどころか悪意のまなざし。窓のないフランスの農家の家、生きるか死ぬかの貧しい生活の人々の狂気。

この9月虐殺で1万4千人とも、1万6千人ともいわれる死者。革命での断頭台で消えた人はパリだけで1400人。

わたしにとってランバル公妃の死は、美徳を積み、そして雷に打たれて死んだジュスティーヌを思い出させるのでした。

 

| ヴェルサイユ | 19:41 | comments(2) | trackbacks(1) | pookmark |
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コメント
詳しい記事をありがとうございます。
ランバル公爵夫人に献呈された,CD,クルムフォルツ作曲ハープの為のソナタは,私が演奏しています。

http://www.shira-fuji.com/regina
| Eiko Masui | 2013/06/10 8:49 AM |

Eiko Masui 様
ようそこしらっしゃいました。HP拝見させていただきました。CDをおだしになられていらっしゃるとは、感激です。またくわしいランバル公爵夫人のお話があって、夢中になって拝読いたしました。6月1日はコンサートがあったのですね。ハープのような高尚な楽器は弾けませんが、聴くのは大好きです。中学から短大までハープを習っていたお友達がいましたが、体力も必要よと言っていました。
| 楓 | 2013/06/12 8:14 PM |

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フランス革命下の一市民の日記 1792年 9月
このセレスタン・ギタールの日記は、ほとんど毎日のように綴られている日記から、僕がトピックし、引用・要約(かなり短く)しているので、フランス革命下の一市民の日記 セレスタン・ギタール著 レイモン・オベール編 河盛好蔵藍訳 中央公論社 を実際に読んでみてく
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