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マザリネットのマンチーニ姉妹

このヴェルサイユ宮殿では、マリー・マンチーニ(マリー・マンシーニ)とルイ14世の企画があったようで、そのポスター(チラシ)がいままで見たものよりとってもお上品で素敵。

ルイ14世展の記事はこちら
太陽王ルイ14世展
その記事にちなんで
ルイ14世 球体に描かれた肖像画
ルイ14世 御伽の国から夜伽の国へ

それでは前回の記事の続きです。



マザリネットと呼ばれた五人姉妹。いま手元に参考になるものがないので、wikiから引用要約させていただきます。

wiki マリー・マンチーニより
フランス王ルイ14世の愛人。ジュール・マザラン枢機卿の姪にあたる。ローマで、ミケーレ・マンチーニとジェローラマ・マザリーニの三女として生まれた。姉にラウラ、オリンピア、妹にオルテンシア、マリア・アンナがいる。愛妾ではなく、結婚を望むことを宰相に告げた。マザランと王太后アンヌ・ドートリッシュはマリーにコロンナ家の公子ロレンツォ・オノフリオとの縁談を承知させ、1661年にイタリアへ嫁がせた。この二人の悲恋はジャン・ラシーヌが「ベレニス」(Bérénice, 5幕悲劇、1670年)の第5幕に台詞を取り入れた。生涯二人は会うことはなかった。マリーは回顧録を執筆。フランスで出版。彼女の子孫にはポーリーヌ・ボナパルトの夫であるカミッロ・フィリッポ・ボルゲーゼ侯爵がいる。

マザランの姪マンチーニの五姉妹はwikiでわかります。末のマリア・アンナは元帥の甥と結婚し宮廷にも出入りができるほどでした。また詩人ジャン・ド・ラ・フォンテーヌのパトロンでもあったそうです。



Mazarinettes


左がマリア・アンナ、中央がマリー、右がオルテンシアです。「マザリネットの三姉妹」で1660年頃の作品。作者不詳です。

さてモンテスパン侯爵夫人と黒ミサに関与したといわれている次女のオリンピア。モンテスパンはフォンタンジュ嬢、オリンピアはラ・ヴァリエール嬢の毒殺の疑いがもたれています。ラ・ヴァリエール嬢の修道院への逃避はこうしたものから逃れたかったのかもしれませんね。

こちらは→ オルテンシアとマリーで、ヤコブ・フェルディナン ヴォエ(Jacob Ferdinand Voet)の作品。


この作品は2枚ともマリー・マンチーニ(マリー・マンシーニ)です。画家はヤコブ・フェルディナン ヴォエです。

ルイ14世の初恋の相手としてはもうご存知でしょう。ノーベル賞受賞ハロルド・ピンターの妻アントニア・フレーザー(Antonia Fraser)によって「Love and Louis XIV」で二人の関係を取り上げています。

さてラ・シーヌの「ベレニス」に二人の場面が第5幕第5場にあるとwiki にありましたが、なにもこの場面だけではありません。

モリエールたちによって演じられた「ベレニス」は、オルレファンの侯爵夫人が秘密で国王とマリー・マンチーニの恋の物語をマダム・アンリエット・ダングルテールがコルネイユとラ・シーヌにつくらせたようなんですね。

弟王の妃ヘンリエッタ・アン・ステュアートのフランス名と同じ呼び方の侯爵夫人の依頼。ジャン・ラシーヌは1670年に発表したこの戯曲を悲劇に仕立て上げました。




肖像画「マリー・マンチーニ」1661年
ヤコブ・フェルディナン ヴォエ


物語はローマ皇帝ティチュス(ティトゥス)とパレスチナの女王ベレニスに置き換えています。ベレニスは異邦人のためローマ皇帝とは結婚できません。

この物語全体が二人をモデルにしたもので、もしかすると第5幕第5場の台詞が実際に使われていたのでしょうか。

わたしとしては、次のシーンがこの悲恋そのものだと思っています。

第4幕第5場

「わが義務のため身を引いてほしい。」
「あぁ、いまさら・・・。ああ私は愛されてるとばかり思 い込んでおりました。」

どうですか。



肖像画「マリー・マンチーニ(マリー・マンシーニ)
 コンスタンティン・ネッチェル(Constantin Netscher)


このコンスタンティンが描いたマリー・マンチーニは回顧録を書いた頃なのでしょうか。品の良いお顔立ちの貴婦人に見えますね。

マリーは1665年に夫婦関係が破綻し、イタリア国外で暮らしていたといいます。その生涯を終えたのは76歳のときでした。



さて五人姉妹のなかでもルイ14世のお手つきではないのですが、彼女ものちに宮廷の愛妾となるのが四女オルタンス・マンチーニ(1646-1699)です。

多くの愛人をもち愛妾となった英国のチャールズ2世とも関係を絶ったあとまで友人として保っていたといいます。気質、性質的に王妃マルゴと似ています。

 

「オルタンス・マンチーニ」
Hortense Mancini, duchesse de Mazarin
ヤコブ・フェルディナン ヴォエ(Jacob Ferdinand Voet)


結婚相手は富豪の一人であるアルマン=シャルル・ド・ラ・メイユライエで、オルタンスはマザランの遺となったマザラン邸や絵画コレクションを相続します。このあと結婚生活が破綻し、妹のマリー・マンチーニが嫁いだイタリアへ向かいます。

オルテンシア(Ortensia)と呼ばれたオルタンス。紫陽花のこと?



「オルタンス・マンチーニ」1671年
Sir Godfrey Kneller


この肖像画の画家はクリスティーズで蔵書のオークションでも有名な作家ジョン・イーヴリンの肖像を描いた人なんですよ。この堂々とした。かっこいいですね。

オルテンシアはバイセクシャルで男装も好んだそうですが、絵画作品には見当たらない。残念。でも寓意画のような作品を発見しました。



「オルタンス・マンチーニ」
ヤコブ・フェルディナン ヴォエ 年代不詳


トルコのスルタンを思い出すような寓意画ですね。

オルタンスは嫁先から逃げ、ルイ14世が保護者となってオルタンスはオート=サヴォワへ城で、作家や哲学者、芸術家を集めパトロンとなります。優雅ですね。

wiki によると「剣と銃を携える彼女の冒険談が、ヨーロッパ中のいたるところに伝わるほど有名だった」とありましたが、この様子は絵画作品になっていました。



「オルタンス・マンチーニ」
ベネット・ジェンナリ Benedetto Gennari the Younger


いつものように画像は大きくなります。(たまに外れていることもありますが)

この作品からわかるように、どれ〜だけスッゴイ冒険談、いえ武勇談だったんでしょ!!!ジャングルにでも行ったのでしょうか。虎狩とか。

オルタンスはさっそく回顧録を書き始めます。自分を正当化するためにってありましたが、回顧録や手紙があてにならないと思うのは、自分もお手紙なんかはちょっぴり気取って書きますからね。



「オルタンス・マンチーニ」
(C)Elizabeth Goldsmith


あのリニャック夫人の家系ポリニャック伯ピエールの息子レーニエ3世は、オルタンス・マンチーニの子孫にもあたります。

とっても華やかで貫禄のあるオルタンスは54歳で自宅で静かに亡くなったようです。





肖像画「ラウラ・マンチーニ」
Laura Mancini


おだやかで寛容的な雰囲気ですね。マザリネットと呼ばれた姉妹の長女。オルスタンは公妾タイプですが、このラウラは王妃タイプだと思いませんか。

アンリ4世の孫に当たるヴァンドーム公爵ルイ・ジョゼフ・ド・ブルボンと結婚しています。ブルボン家に嫁いだのですね。

彼女は3人目の子を産んで亡くなっています。末のマリア・アンナ ブイヨン公夫人が引き取っています。

ヴァンドーム公爵は再婚しなかったとありますから結婚生活もきっと幸せだったのでしょうか。幸せとは長続きしないものですね。



末っ子の五女マリア・アンナ・マンチーニ(マリア・アンナ・マンシーニ)はしっかりものという気質をうかがわせます。



「女性狩猟家 マリア・アンナ・マンチーニ」
Maria Anna Mancini
(C)Sotheby's


サザビーズのオークションの1枚。こんなに美しいマリア・アンナ・マンチーニ(1649-1719)の肖像画(見比べてください)は希少です。もっと値をつり上げてもいいくらい。そして購入したほうがお得な気もします。

ただタイトルが「女性狩猟家」とあるところはオルスタンを思うところ。

でもこのうつくしさ。ほかの作品からはなかなか見えてこないので、ホント希少。

マリア・アンナ・マンチーニはブイヨン公モーリス・ゴドフロワ・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュ(テュレンヌ元帥の甥)と結婚し、宮廷にも自由に出入りができる身分。

長女ラウラが亡くなって、ヴァンドーム公爵は枢機卿になり、教会に入ることになったとき、彼女はラウラの子を引きとって育てます。

詩人ジャン・ド・ラ・フォンテーヌのパトロンになるなど寓話的な詩が好きだったのでしょうか

スキャンダルが見あたらない長女ラウラと五女マリア・アンナ。次女の毒殺事件の嫌疑のときには姉妹ともいえど毅然と反オリンピア派となって地位を守るところなど、確実で的確な判断ができる人であったと思いました。



1679年、オリンピアはラ・ヴォワザン(Catherine Voisin )に頼み・ヴァリエール嬢の毒殺を図ったと告発されます。

フランス語名はオランプ(Olympe)。

妹のマリー・マンチーニがルイ14世と別れたあとにお相手となったんでしたか?


オリンピア(1638- 1708) は、1680年に宮廷から追放されます。弟王の妻アンリエット・ダングルテール(ヘンリエッタ・アン・ステュアート 1640-1670)と親交がありましたが、オリンピアが追放のときにはヘンリエッタは亡くなっています。

こうした事件のあと、オリンピアはブリュッセルへ。wikiでは音楽家のピエトロ・アントニオ・フィオッコとアンリ・デマレのパトロンになっています。

反オリンピアの立場をとった五女マリア・アンナとは関係が絶たれたようですが、三女マリー・マンチーニ、四女オルスタン・マンチーニとスペイン、英国を旅したとあるのでこの二人とは縁はつながっていたようです。

なぜンテスパン侯爵夫人に寵愛が移っている最中、彼女はラ・ヴァリエール嬢を毒殺する理由があったのでしょうか。

1669年、ラ・ヴァリエール嬢はシャイヨの聖母訪問会女子修道院に身を寄せた時期でもありました。

誰が告発したのでしょう。

彼女は70歳まで生きていました。黒ミサの守護のおかげでしょうか。



マザランの姪でマザリネットと呼ばれたのはマンチーニ姉妹だけではありません。マルティノッツィ姉妹がいます。



ラウラ・マルティノッツイ(ラウラ・マルティノッジ)
年代・作者不詳


ラウラ・マルティノッツィ(Laura Martinozzi 1639-1687)は1655年モデナ公及びエステ伯アルフォンソ4世と結婚しています。彼女の肖像画はたいへん少ないです。

1662年にアルフォソン4世は急死し、ラウラの摂政のもとに2歳の息子が即位しています。アルフォソン4世の祖父の従兄弟に、ンパドゥール夫人の肖像画に描かれている「忠実な羊飼い」の作者であるョヴァンニ・バッティスタ・グァリーニのパトロンだったアルフォンソ2世・デステがいます。

信心深く厳格だったラウラ。娘のマリーアはイングランドのジェームズ2世妃 となっていますが、彼女の結婚式でイングランドに同行したおり、息子フランチェスコ2世は実権を握ります。

名誉革命でマリーアとジェームズ2世(←ダイアナ元妃は子孫)一家を保護していたルイ14世は、ラウラの息子 フランチェスコにずいぶんと口出しをしていたようです。

ちなみにオルスタン・マンチーニはジェームス2世の兄チャールズ2世の公妾でした。ルイ14世の弟王の妻ヘンリエッタ・アン・ステュアートは彼らの妹になります。





アンヌ・マリー・マルティノッジ(マルティノッツイ)
作者不詳


アンヌ・マリー・マルティノッジAnne Marie Martinozzi 1637-1672)はフロンド側のコンティ公アルマンとマザランが和解した証として結婚。

前記のとおり妹はモデナ公妃となったラウラ。マンチーニ姉妹は従姉妹になります。

息子のルイ・アルマンは、フランス王ルイ14世と、寵姫ルイーズ・ド・ラ・ヴァリエールの娘マリー・アンヌ・ド・ブルボンと結婚します。

1685年、天然痘に感染したマリー・アンヌからルイ・アルマンもうつされ、ルイ・アルマンは亡くなります。

アンヌ・マリーの第2子がフランソワ・ルイ(1664年-1709年)で、第3コンデ公となります。このコンティ公フランソワ・ルイはたいへん宮廷での人気が高い知的な好青年であったことから、ルイ14世は好ましく思っていなかったといわれています。



アンヌ・マリー・マルティノッジ
?コンスタンタン ネッチェル Constantin Netscher?


wiki によるとアンヌ・マリーは夫アルマンが1666年に急死後、修道院にはいり、二人の息子は伯母と伯父に引き取られ、もっとも高い教育を受けたとありましたが、ラウラのように夫が急死してもその後を継ぐ意思はなかったのですね。

幼い子供たちと別れて暮らす辛さはなかったのでしょうか。

それとも修道院入りしなければならない背景があったのかもしれませんね。

ちなみに伯母というのがロングヴィル公爵夫人アンヌ・ジュヌヴィエーヴのことです。ラ・ロシュフコー公と恋に落ち、彼のためにフロンドの乱で指導的な立場になりますが、のちにラ・ロシュフコーに裏切られ、夫アンリと共にルーアンへ向かいます。その人に育てられたのはどちらのルイだったのでしょう。



マザリネットとよばれたマザランの7人の姪。
どなたの生き方が一番好きだったでしょうか?
| 太陽王のヴェルサイユ | 20:37 | comments(3) | trackbacks(2) | pookmark |
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コメント
top記事がコメントできなかったので。シャネル、あれは1980年代のものでしょうか。aleokaのブログではお世話になって。

やっぱり昔のメルアド思い出せなくてログイン無理。それで”あの忍”にしました。urlがそう。

オルスタイン・マンチーニかっこいいわね、でもね、イ抜けありますよ。
| aki | 2010/01/17 9:14 PM |

ようやくカッコがつきました。今度は絶対メルアド忘れない。ぜひぜひリンクお願いします。

なによりオルスタイン・マンチーニ?イがないものがありますよ。

彼女の年をとった肖像画がみたい。

さて楓好みのスキンあるんだけど、どうかな。来ませんか?

とーしさん、元気かな。
| MAKI | 2010/01/17 10:16 PM |

akiさん、makiさん新ブログ誕生おめでとう。みんなこの数年プロバイダ変えたり(光だよね)以前の登録のメルアド変更しないままじゃないですか。楓も1個あるの。

ちなみにご指摘の名前オルタンスです。名前を3つつくってました、勝手に。

すいません、試験勉強のためということで。あとねオルタンス→ホルスタインって牛を想像したのかな。だからオルスタインになっちゃった。
| 楓 | 2010/01/18 5:48 PM |

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