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コンシエルジュリー 囚人のマリー・アントワネット
2010年12月の記事「ブルボン朝の王妃 マリー・アントワネット さらば、王家よ」にも掲載しています。


 コンシェルジュリーでの元王妃 「ロザリー・ラモリエール記」より



コンシエルジュリーに入った王妃の牢は現在観光コースですが、実際のマリー・アントワネットの独房ではありません。礼拝堂に面した部分だそうです。そしてカーネーション事件後は一番奥の建築物。処刑の一月前です。

王妃のコンシェルジュリーでの食事

朝食はプチ・ロール(ロールパン)にショコラ。王妃時代から朝食のメニューも変わっていませんね。王妃は葡萄酒は口にしない習慣でヴィル・ダブレのお水を愛飲。この手記にもお水しか口にしないとありましたが、ヴィル・ダブレも用意されていました。

この当時、1973年の7月から9月までは物価が高騰して、都市に住む平均的な市民も、パンを手に入れるのが一苦労でした。パンの質がさがり、ひどくまずいパンでさえ入手が難しかったのが8月でした。

そして昼食はいちばん多く取る習慣でしたね。コンシエルジュリーの王妃の昼食はスープ、ミルク粥、野菜、家鴨(王妃の好物らしいです。)、または仔牛のお肉、デザートで、夕食はこの昼食のメニューから選ぶそう。

Postumous portrait of Marie Antoinette in the Conciergerie

コンシエルジュリーの喪服のマリー・アントワネット


当時のコンシエルジュリーは、藁をひいた大監房に集団で投獄されます。

寝台もなく、藁のうえで寝るそうです。排泄物のなかで寝て、死を待つ人々。裕福なものはお金次第で、二人部屋、個室に上等な食事を与えられました。

記事 フランス革命下の囚人たち

マリー・アントワネットには、特別に広い牢、排泄するときの屏風と排泄係りのほか、部屋付きの女中が身の回りの世話をしていました。

ロザリー・ラモリエール(部屋付女中)の手記

9月虐殺の少しあと、私が勤めていたボーリュー夫人が亡くなり、牢獄の管理人リシャール夫人に勤めることになりました。コンシエルジュリーのマダム・リシャールは、囚人に対する私の同情心に対して、すこしも反感を示しませんでした。

8月1日、王妃がこのコンシエルジュリーに移されてきました。ベットは王妃に似つかわしくないものでしたが、私達が用意した上等なシーツと長枕でお休みになられました。

4日目、5日目頃のこと。王妃から金時計を取り上げることになりました。

王妃の下着が届けられたのは10日もしてからでした。ミショニがマダム・エリザベートから預かってきたようです。白麻のシュミーズ、ポケットハンカチーフ、三角スカーフ、絹やあら絹の靴下、白い普段着、夜のボンネット、たくさんのリボンのはしきれ。

王妃は大きな喪の帽子をかぶっておられました。お持ちの寒冷紗でボンネットの仕立てをマダム・リシャールに頼みました。私は残りの寒冷紗をいただきました。まだ大切にとっています。

ある日、マダム・リシャールは彼女の息子、青い目の品の良い一番下の息子を王妃の部屋に連れてきました。王妃はその息子を抱きしめ、優しくキスをし王太子の話をはじめました。マダム・リシャールはかえって苦しめたのではないかと、連れて行くのをやめようと話しました。

マダム・リシャールは法令により、お食事に使う王妃の銀器を隠すことになりました。私は王妃が食事をされる器は銀のように磨きました。

王妃は鳥を二日間食べられるように二つにわけます。その見事な手さばき。二皿目の野菜料理。王妃はかなりの食欲でお召し上がりになりました。

マダム・リシャールがいた頃は、心のこもった食事をだされていました。美味しい鳥、上等な果物。

9月半ば、ド・ルージュヴィルという男がミショニという衛兵によって王妃の部屋へ連れてこられました。王妃の服の裾のところにカーネーションを落としていきました。

女中のアレル(アレン)は何もかも見ていて、フーキエに報告しました。リシャールとマダム、上の息子はサント・ペラジー、マドロネットの独房に入れられました。

Le cachot de la reine ・la Conciergerie

コンシエルジュリーのマリー・アントワネットの独房


新しい管理人はルボー、そして娘のヴィクトワール(マダム・コルソン)。ルボーはマダム・リシャールの投獄の件で、くれぐれも不注意に親しくするのは気をつけるようにと言いました。

管理は厳しくなり、王妃の食事は鳥か仔牛のお肉の主食に、野菜料理は一皿になりました。

そしてマダム・アレルがいつも髪を結っていましたが、彼女がいなくなって、王妃はご自分で髪をお結いになるのです。

王妃は折り返しのある小さな部屋履きを履いていました。私はこのきれいな、うつぼ黒の履物にブラシをかけました。サン・テュベルティ風でした。

ある将校が、私はいつも王妃の部屋履きをブラシをかけているのを見て、王妃の履物をひとつとり、磨いてくれたのです。

不幸なカーネーション事件から、洗濯屋のソーリュウが来なくなり、かわりに私が真っ白に洗って差し上げました。

革命裁判所の書記は、王妃のいくつかの下着類を取り上げ、時々1枚ずつ与えるようになりました。王妃の二つの指輪も取り上げられました。

王妃の生活は、ご不自由で蜀代もランプもありません。裁判を受ける日は断食させられました。

16日、フランス王妃は死刑の宣告を受けたことを知りました。私は自分の部屋まで叫び声と鳴き声を押し殺しました。

夜が明ける前、宣誓司祭がやってきましたが、王妃は断りました。

「今朝は何をお召し上がりになりますか。」

王妃は涙を流しておりました。「何もいりません。すべておしまいですから。」私はあえて「スープとヴェルミセルがございます。しっかりなさらなければなりません。」と言いました。

幾さじか飲み込むのがやっとでした。

王妃は憲兵の前で注意深く、誰かが持ってきたシュミーズを身につけました。朝に身につけられる白いピケの普段着にモスリンの肩掛を身につけました。髪は少し高く結い上げ、ひだのある飾りで縁どられた寒冷紗の帽子。形も変わらなければ傷みもしなかった黒い布製の靴。

私は王妃の前で悲しい思いをさせぬよう、さよならもお辞儀もせずに別れました。そのあと裁判所の守衛長が王妃の品々、1本の藁までを私に拾わせ、遺品を持っていってしまいました。

Death  of Marie Antoinette

?マリー・アントワネットの死に顔?


マリー・アントワネットはいつでも生きる望みを絶つことはありませんでした。そのためにはフランスを犠牲にしても。

記事 フランス革命下の一市民の日記 1792年の7月
記事 フランス革命下の一市民の日記 1792年の8月

私の過去記事では3つの罪をあげました。

過去記事 マリー・アントワネットが愛したもの

いま、フランスでは国王夫妻についてはとても同情的です。でもそれは真実を知ってこそだと思います。アントワネットの弁護士ショーヴォー・ラガルドの手記、処刑に関しては下記記事から。

記事 フランス革命下の一市民の日記 1793年の10月

もっとも残念なのは、コンシエルジュリーに投獄されて、無実の民衆や修道女、非宣誓司祭たち、王党派の貴族や宮廷に仕えていた廷臣などの監獄生活を知ることもあったでしょう。

ロザリーの手記には、修道女が毎日祈り続けている姿に目をむけただけ。排泄物と藁の上で死を待つ囚人の姿は見ることはなかったのでしょう。そのことに関して心を痛めることがあったのでしょうか。

そして、仮に見なかったとしても、ルイ16世の全盛期、国王が何のために監獄を視察していたのかもわからなかったのかもしれません。救いと感謝の絆は牢獄からも生まれるのです。

記事 フランス革命下の囚人たち

ル・バトニエ・アンリ・ロベールは「ルイ16世」(レ・グラン・クール叢書)で、不幸のなかで王妃としての義務を自覚して、比類なき品位をそなえた悲運の王妃(悲劇の王妃)と派手に絶賛しています。

王妃はタンプル塔、コンシエルジュリーでどんな王妃の義務を果たしたのでしょうか。投獄前の生活とは比べられないほど、この監獄生活で品位を保ちながら暮らしたことは、義務に値するのでしょうか。

「私たちが不運な彼らの幸福のために努めることが、当然の義務です。」と言ったとされる言葉はどこにあるのでしょう。

ノブレス・オブリージュとは、「従者にかしずかれる高貴な身分の者は、高潔な意志のもとに義務を負うこと」で、社会的圧力ではなく、社会的責任を負うことです。

懐かしいトリアノンのあの遊び。ここで、朝の部屋着にはルブラン夫人が描いた真っ白なピケのドレスを、遊びでもなく、流行でもなく着ていました。「私はこういうドレスが好き」といった王妃。最後まで望みは叶ったのです。

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