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ポリニャック伯夫人 悪徳の栄え

奇しくも王妃マリー・アントワネットの寵愛を受けるランバル公妃と、同じ年の同じ誕生日に生を受けたポリニャック伯夫人。

ランバン公妃が美徳の不幸なら、ポリニャック伯夫人は悪徳の栄えといたしましょうか。サドの悪徳の栄えと比べれば可愛い悪徳ですが。



ポリニャック伯夫人
ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン
 ?ジョシュア・レノルズ(wikiでは)?


清らかで、つつましくもあり、それでいて天真爛漫なヨランド・マルティーヌ・ガブリエル・ド・ポラストロン。

3歳で叔母に預けられ、貴族子女の教育を修道院で学び、18歳でメルキオル・ド・ポリニャック枢機卿(ルイ15世時代のメーヌ公妃 クーデターで失脚)の甥アルマン=ジュール・ド・ポリニャック伯爵と結婚をします。

ランバル公妃の結婚と同じ年の1767年7月7日。

こうして、1679年のルイ14世の寵姫モンテスパン侯爵夫人の黒ミサ(ラ・ヴォワザンの毒薬事件)に関与したところから衰退をたどる名門貴族のポリニャック家に嫁ぎ、このガブリエルによって再興を果たすことになります。

不思議な因縁ですがモンテスパン侯爵夫人の子孫がランバル公妃の嫁ぎ先なんですね。



ポリニャック伯夫人の娘 ルイーズ 1783
エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン


こうした家系でガブリエルは長男アルマン=ジュール・エルキュール・ド・ポリニャックに次男ジュール・オーギュスト・アルマン・マリー・ド・ポリニャック(フランス首相)が生まれ、のちのフランス政界で活躍する子供たちを誕生させていくのです。

王妃との出会いは1775年夏。ポリニャック伯爵の姉によって、ヴェルサイユの正式なレセプションに夫妻で招かれることになりました。

これは権勢の一族ポリニャック家の策。ガブリエルに王妃の寵愛を受けさせること。

26歳の若いポリニャック伯夫人は、彼女の優雅さと美くしさで王妃マリー・アントワネットを魅了します。

ヨランド・マルティーヌ・ガブリエルは、白百合のような美しさ。

誠実な青い目に、微笑む純白の歯、そして天使のような顔立ち。それはまた美しい歌声。



ポリニャック伯夫人
エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン


いつもご機嫌よく周囲に溶け込み、議論をするわけでもなく、それでも知性と機知に富む彼女に、自然と王妃は好意を抱きます。

わたしはヨランド・マルティーヌ・ガブリエルの個性は、「はにかむようなしぐさ」と「率直さ」だったのだと思います。それが正直で誠実に映る。あなたのまわりにもいらっしゃいませんか?こういう個性の方が。

とくにルイ16世にも好まれたポリニャック伯夫人ですが、ルイ16世とアントワネットの仲を自然と取り持つような影響を二人に与えていたのではないかと思うのです。

こうしてアントワネットの取り巻きたちにも迎えられ、アルトワ伯には特に気に入られたようで、ランバル公妃の地位に取って変わることとなったのです。

王妃はアルマン=ジュール・ド・ポリニャック伯爵に王妃付馬頭に任命します(そのため王妃の馬の数は倍の300頭に増え、20万リーブル以上の支出となるのです)。

Duchesse de Polignac Pastel Lebrun 1787

ポリニャック伯夫人
エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン


ガブリエルは、1782年には王室の教育女官長となり、ポリニャック一族に年間50万リーブル、のちに70万リーブルの年金と御下賜金を賜ることとなるのです。

また王妃の賭け事は、約49万リーブルにもなっており、国王はこの濫費に対処するために、経済学者チュルゴーを財務大臣にたてるのですが、王妃はチュルゴーを嫌い、失脚させます。

よく私利私欲といわれているポリニャック伯夫人と取り巻きたち。好意につけ入るような事はしなかったランバル公妃も王妃からの一時金や御下賜金は14〜15年にわたり年間にしておよそ10億円を好意として受け取っていましたね。

ランバル公妃マリー・ルイーズ 美徳の不幸

ところで、王妃はランバル公妃をどうして疎ましく思ったのでしょう。



王妃マリー・アントワネット
エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン


とくに、レズビアンといわれたほど親密だったランバル公妃、ポリニャック伯夫人ですが、捏造というのは「レズビアン」という定義に対してです。

ランバル公妃の厚意は、王太子妃アントワネットの満たされない快楽への奉仕として行っていたということです。

申し上げにくいですが、王妃マリー・アントワネットは非常に早熟で、性的放埓な振る舞いがあったのではないでしょうか。

くわえて、アントワネットとデュ・バリー夫人なみの女官同士の争いにも嫌気がさし、気軽なポリニャック伯夫人に委ねたのだと考えますが。

また取り巻きのフェルゼン伯爵を別に、1779年のド・コワニー公爵との逢引など、ランバル公妃の奉仕が必要ではなくなってきた身辺の頃です。

こうした王妃の経緯が、取り巻きたちとの同性愛、ルイ・ジョセフとの近親相姦、愛人との乱交と捏造されていきます。

Louise Pommery bas-relief monumental réalisé par Jean Barrat, en 1986  

ルイーズ・ポメリー モニュメント


その後も王妃の賭け事(LA PARTIE DE REINE)は延々続き、1785年には王妃の首飾り(LE COLLIER DE LA REINE)とマリー・アントワネットの身の回りは騒がしくなりますが、ポリニャック家の策は功を奏でました。

なによりポリニャック家のすごさは、今世紀まで存続させたことですよね。

1863年の創業のポメリー。マダム・ポメリーの嫁いだ先が「シャンパーニュとは芸術である。」というポリニャック家です。

孫にあたるエドモンド・ドゥ・ポリニャック公爵(1834―1901)のウィナレッタ夫人は、ミシン王シンガーの娘で、芸術をこよなく愛し、フォーレ、シャブリエ、ラヴェルから曲を献呈されています。

オートクチュールのジャンヌ・ランバンの娘マリー・プランシュは、ポリニャック家に嫁ぎ、1946年にランバン(LANVIN)の事業をポリニャック伯夫人として引継ぎました。

ポリニャック伯ピエールの息子レーニエ3世はモナコ大公でグレース・ケリーが妃。


Joshua Reynolds Georgiana Duchess of Devonshire

ジョージアナ・キャヴェンディッシュ
(デヴォンシャー公爵夫人)
ジョシュア・レイノルズ(1775年頃)


すごいですよね。やはり「悪徳の栄え」でしょうか。ランバル公妃、アントワネットの子孫は絶えていますのに。

1789年、革命の波が押し寄せるとともにポリニャック伯夫人はアントワネットの祖国オーストリアに亡命します。

1790年、アントワネットとポリニャック伯夫人の友人、英国のデヴォンシャー侯爵夫人が王妃を訪ねてきます。(あのダイアナ元妃はデヴォンシャー侯爵夫人の傍系子孫です。)

「マダム・ポー」の話になると、泣き崩れる王妃。

ポリニャック伯夫人のとった行動は当たり前。国を滅ぼしてでも、家を守る女性として。跡継ぎを絶やさないように。生き延びるために。

オノーレ・ミラボー
「ダサス家には国家を救った手柄により1000エキュ、ポリニャック家には国家を滅ぼした手柄によって100万エキュ」

その翌年でしょうか。デヴォンシャー公爵夫人はマダム・ポーことポリニャック伯夫人の孫、コリザンド・ド・グラモンを預かることになります。



ポリニャック伯夫人
エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン


1792年、ランバル公妃の首を槍に高々と吊るし、王妃のいる塔に市民は押しかけます。

このころ、ポリニャック夫人は癌に侵され(病名は不確か)痛みに苦しめられていました。

王妃(1755年11月2日-1793年10月16日)も断頭台で果てます。

ランバル公妃(1749年9月8日-1792年9月3日)と同じ年に誕生し、同じ年に結婚し、同じように寵愛を受けたポリニャック伯夫人(1749年9月8日-1793年12月9日)。

やはり国を滅ぼした手柄は神も賞賛を与えたのでしょうか。ポリニャック伯夫人はランバル公妃の後を追うように天に召されました。

ところでミラボーはポリニャック家、あるいは神に100万エキュ支払ったのでしょうか。

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