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モンテスパン侯爵夫人フランソワーズ・アテナイス



モンテスパン侯爵夫人
ピエール・ミニャール


ルイ14世の侍従長ガブリエル・ド・ロシュシュアールがモルトゥマール公爵に昇爵したのが1663年です。

ルイ14世の愛妾ラ・ヴァリエール嬢が国王の子を産んだ年のこと。

昇爵したモルトゥマール侯爵の娘で、王妃の侍女フランソワーズ・アテナイスがモンテスパン侯爵に嫁いだのもこの年です。

アテナイスは、「殿方は気が多いものです。何ほどのことはありません。王妃が健康なお子さまが恵まれますよう私もいっしょに祈ります。」と励ます機転の利く侍女。

アテナイスのもともとの婚約者は決闘で亡くなり、嫁いだのがその兄弟モンテスパン侯爵ルイ・アンリ・ドゥ・パルダヤン・ドゥ・ゴンドランでした。



モンテスパン侯爵夫人
カスパル・ネッチェル(Caspar Netscher)


アテナイスも1663年に、長女(12才で夭折)を出産しています。

アテナイスの美しさは咲き誇る薔薇のように華やかな印象を与えます。金髪の巻き毛に青い大きな目、ふくよかな曲線美は、夫にも周囲にも魅力をふりまきます。

私はとくにアテナイスの洗練された会話や振る舞いが、いっそうの魅力になったのだと思います。

北のフランドル戦場にむけて宮廷の移動がはじまります。そのときに王妃の侍女アテナイスに目をむけていた国王。アテナイスもその視線を感じていました。

野心家のアテナイスは国王の寵姫の座を狙っていたのです。

1665年には夫との間に男の子が誕生します。ラ・ヴァリエール夫人も国王の子を出産。



モンテスパン侯爵夫人
アンリ・ガスカール(Henri Gascard)


この頃のアテナイスは宮廷で噂のラ・ボォワザンを訪れるのです。たぶんですね、この時代の宮廷での賭博と黒ミサは同じように愛好されていたんです。

最初は呪文、あるいは護符だけだったと思われます。

はじめは可愛い恋のおなじないだったのでしょう。皆さんも思春期の頃に恋の御まじないをしませんでしたか?

その結果は!

1666年、フィリップ1世 (オルレアン公)に招かれた舞踏会で、国王と踊る機会を得ることができたのです。

1667年のフランドル戦争の戦地に国王と同行する侍女の名に連ねることができました。ラ・ヴァリエール嬢の名がないこのは私の勝利、いえ御まじないの勝利だったのでしょう。

この年には国王との子を産みます。



モンテスパン侯爵夫人と三美神
ピエール・ミニャール (Pierre Mignard)


1674年には、公式の寵姫就任の披露宴が祝典として開かれました。

また、人を唖然とさせたマタニティのガウン(罪なき者)をデザインをするところなど、相当な自信家で、自分の考えや好みがはっきりした女性でもあったのでしょうね。

王はコルベールに命じ、モンテスパン侯爵夫人の城を建設させることにしました。ここのヴィーナスの館とよばれたクラニー城(現在はありません)

モンテスパン侯爵夫人のクラニー邸では賭博の出入りが多く、とくにランスクネとよばれるトランプが好まれたようです。

「クリスマスの日、モンテスパン侯妃お一人で70万エキュも失われました。」

たいしたものですね。

王はとくにモンテスパン侯爵夫人には、寛大でした。
「他人の目を惹く余興は多いに結構」といって。



モンテスパン侯爵夫人とその子供 1675年
アンドレ-シャルル・ブール
(Andre-Charles Boulle,1642-1732)


ですが王妃を軽んじる言動に対してルイ14世は・・・。
「王妃が主人だということをわきまえ忘れぬよう。」と諌めることもあったようです。

寵姫就任の翌年の頃でしょうか。一時クラニー城に身を引くよう乞われた時期もあったようです。

友人で未亡人だったスカロン夫人(のちのマノントン夫人が養育係りでした。モンテスパン夫人と国王の隠し子の秘密養育官。

この頃の平均的な労働者の年収は400リーヴル。スカロン夫人はモンテスパン侯爵夫人のとりなしで、年収2000リーヴルを与えられました。

モンテスパン侯爵夫人が公妾となって、ヴェルサイユに20のアパルトメントを持つころにはスカロン夫人も宮廷で愛妾の子の養育官となり、年収は6000リーヴルとなったようです。

さて母としてのモンテスパン侯爵夫人はスカロン夫人と教育のことですれ違いが多くなります。

また、4人目の出産でモンテスパン侯爵夫人は取り返しのつかないほど太り、地味なスカロン夫人が際立つほど。



モンテスパン侯爵夫人とその子供 作者不詳


養育のすれちがい、王がスカロン夫人をみる目。モンテスパン侯爵夫人は国王に、養育官を変えたいと申し出ます。

一週間後、スカロン夫人はドーファン付きの女官になり、養育官の役目を終えることを伝えられます。勝利に不敵な笑みをはなつモンテスパン侯爵夫人。つぎの言葉を聞くまでの短い勝利。

「スカロン夫人。これまでの奉仕に報い、爵位を授ける。マントノン侯爵夫人と名乗るように。」

モンテスパン侯爵夫人の勝利に酔いしれた時間は儚く散ったのです。

1678年、ルイ・アレクサンドルが誕生したこの年、オルレアン公フィリップ1世の妃エリザベート・シャルロットの侍女のマリー・アンジェリク・ド・スコライユ・ド・ルーシーユがルイ14世の目にとまったのです。のちにフォンタンジュ公爵夫人の称号が与えられます。


新しい公妾マリー・アンジェリク・ド・スコライユ・ド・ルーシーユ



マリー・アンジェリク・ド・フォンタンジュ


まったく知性を感じさせない若くて美しい娘。とよく言われています。

ところが機転がきくんですね。その機転とは。フォンタンジュ嬢の名をとったヘア・スタイルはの所以になるお話です。

太陽王ルイの恋心に火をつけたご褒美に下贈されたフォンタンジュ公爵領。狩猟の合間の1本の矢がこのフォンタンジュ嬢の髪をひっかけます。

女神アテナの驕りの春の高ぶりと (モンテスパン侯爵夫人)
ジュノンの艶姿、ヴィナスの均斉な美もて飾れる (フォンタンジュ嬢)

このラ・フォンテーヌの激賞は、予言めいたものになりますね。

さて、とっさの機転ですばやくレースの靴下止めで見事に束ねた髪。

ルイ14世は、彼女の沈着と機敏さに驚きます。



フォンタンジュ スタイル


こちらがフォンタンジュ嬢のヘアスタイル。

髪を上天へ結いリボンなどで結びます。シャッポーも立体化したものが売り出され、こののち30年の流行を保ちます。このシャッポーが髪をすべて上に結い上げ、髪の上から飾るもの。

フォンタンジュ嬢のスタイルをベースにさまざまな手を加えて。

このときのフォンタンジュ嬢はすでに妊娠をしていたのではないでしょうか。

1679年、フォンタンジュ嬢は公妾となりました。公妾は一人とされていますので、当然モンテスパン公爵夫人は公妾ではなくなってしまいます。

それでもモンテスパン侯爵夫人はそのままヴェルサイユにも居住します。



マリー・アンジェリク・ド・フォンタンジュ


ラ・ヴォワザンでは、多くの顧客がつくにしたがって、ますます黒ミサは本格的な黒ミサにかわっていくのです。

呪文から鳥獣類の生贄をささげるようになります。

モンテスパン侯爵夫人は太陽王ルイの寵愛をつなぎとめるために儀式を行うようになりました。

神聖とされる祭壇に全裸で横臥し、全身を嬰児の血で洗礼します。呪詛がこめられている赤子の血とワインを飲み干し、その願う人にもその血と淫剤の愛の妙薬を飲まさなければなりません。

ルイ14世は密かに飲まされたのですね。

1678年の儀式での「ラ・ヴォワザンの毒薬」で、王の殺害が計画されます。このモンテスパン侯爵夫人の黒ミサ事件(ラ・ヴォワザンの毒薬)に関与していたのが、ポリニャック家です。

また、フランス王室では、ブルボン家の前のヴァロワ家でも、王妃カトリーヌ・ド・メディチが毒殺事件のほか、黒ミサでの生贄の儀式を行っています。

カトリーヌ・ド・メディシス 黒衣を纏う灰被り猫

繰り返し行われる妖魔術は、フランス王室の影の歴史。



マリー・アンジェリク・ド・フォンタンジュ


さてこのフォンタンジュ嬢は黒ミサが発覚した年、1679年に亡くなりました。黒ミサ事件のあとでしたから、モンテスパン侯爵夫人が「ラ・ヴォワザンの毒薬」を使ったともいわれています。

妊娠してからは顔立ちも身体も大きく変化し、出産直後は出血がとまらなかったといいます。

出産したあとの顔は浮腫んだまま。息をひきとる半年間、その凄まじい容貌だったといわれています。

モンテスパン侯爵夫人はなかなか怜悧で賢い人です。マントノン伯爵夫人とも自分の立場が危ういと思えば、涙ながらにお話しをするという人。

こうした権威を守る術を操れるモンテスパン侯爵夫人でしたら、巧く言いくるめて「ラ・ヴォワザンの毒薬」を良薬といって贈ったのかもしれません。





モンテスパン侯爵夫人


ラ・ボーメル(ラ・ボーメイユ)は、モンテスパン侯爵夫人をこのようにみています。

「はばかるところなく人の悲運をよろこんだ。」と。
 
サン・シモン(1675-1755)は、どう見ていたでしょう。

「支配欲が強く、倣慢にして、人を侮る。この美貌の主は従臣にさえ自己本位にとらわれた。」

ところが、モンテスパン侯爵夫人は国民には大変人気があったらしいんですね。

まぁ、側で見ていないからでしょうが、支配欲が強いところは誇らしげにみえ、その美貌は見る人をうっとりさせてしまうからなのです。



フランソワーズ・アテナイス・ドゥ・モルトゥマール
(モンテスパス侯爵夫人) 作者不詳


ラ・ボーメル、サン・シモンがとらえているように、モンテスパン侯爵夫人の勝手には、もとの夫モンテスパン侯爵もたいへん侮られました。

1669年、妻に会いにルーヴルを訪問したときの冷たい態度。またモリエールの「ジョルジュ・ダンダン」は、この寝取られ侯爵を揶揄したものでした。

国王と妻の関係をあとになって知らされたモンテスパン侯爵は、「妻の貞操に対する喪」と称し、喪服で宮廷にあらわれて、ルイ14世を怒らせます。

結局、10万エキュの大金で離婚することになりますが、黒ミサ事件が起きて、モンテスパン侯爵夫人は領地に戻ると元夫に願うのですが、当然のことで断られます。

こうして、1686年に宮廷を出て、サン・ジョゼフ修道院にはいります。「ラ・ヴォワザン毒薬事件」から6年もいたんですね、宮廷に。



モンテスパン侯爵夫人


宮廷での嘲笑に耐えたのでしょうか?マントノン夫人が哀れんだのでしょうか。

マントノン夫人も父親が前妻と愛人を殺害し、罪ある人の子として孤児同様に修道院にいれられ、なんとか修道院をでたいけれど、行き場所がない。

そんな思いが「行く場所」のないモンテスパン侯爵夫人を留めておいたのでしょうか。

マントノン夫人は若かった。だからポール・スカロンという才能溢れた作家と結婚もしました。でもモンテスパン侯爵夫人に何が残ったのでしょうか。

公爵に叙せられた子供たちでしょうか。

誰も彼女を引き取ったりはしなかったのですね。



モンテスパン侯爵夫人
もしくはラ・ヴァリエール嬢


自分のためにだけ生きた。
それもひとつの人生です。
ただあまりにも人を犠牲にし過ぎました。
夫も子供も、若い美しい侍女も。

ルイ14世の王妃マりー・テレーズはいいました。
「いつかあの辻君に国は滅ぼされるでしょう。」と。

国を滅ぼす女性の登場はまだ先のこと。

ところが、モンテスパン侯爵夫人は、宮廷をあとにすると。
19世紀の画家モーリス・ドニが買い求め、現在はモーリス・ドニ美術館になっているところは、実は彼女が領地を買い求めたところで、貧民層、高齢者などを受け入れる施設の施療院を創立したんですよ。

この人、なかなか侮れない。
この時代の慈善事業は罪を洗い流すことを意味します。

ルイ16世期までの王室や貴族の「施し」はそのために行われていたわけでした。

ルイ14世 唯一の信仰 唯一の法 唯一の王
ルイ14世 王権神授説の宮廷絵巻
ルイ14世 芸術への愉楽
ルイ14世  コルベールの重商主義芸術政策
ルイ14世 スペイン継承戦争 フェリペ5世への箴言

参考(引用)
wiki
ヴェルサイユの春秋 ジャック・ルヴロン
マダム・ド・マントノン: ルイ一四世と冠のない王妃 中島実穂



追記



マリー・マンチーニ(仏マリー・マンシーニ)
ルイ14世の初恋


最近書いた記事 ルイ14世の初恋 マリー・マンチーニの姉オリンピアはモンテスパン侯爵夫人と黒ミサのリストに名があがったルイ14世の愛人。マザリネットといわれたマンチーニ姉妹、マルティノッツィ姉妹からご覧ください。→「マザリネットのマンチーニ姉妹」より

追記:マリー・マンチーニをのぞいて、モンテスパン侯爵夫人、ラ・ヴァリエール嬢、オリンピアはじめとして、ルイ14世と王妃を取り巻く公妾たちも含んでいると考えている寓意画「ルイ14世とその家族」もあわせてごらんください。

記事 ルイ14世 御伽の国から夜伽の国へ
| 太陽王のヴェルサイユ | 13:47 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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