楓のLifeStyleConcierge〜ようこそ〜
Previous Posts
Previous Posts
PROFILE
LINKS
SELECTED ENTRIES
RECENT COMMENTS
  • トマス・ゲインズバラ(Thomas Gainsborough)
    みーたん (06/17)
  • 秘密の正室 マントノン侯爵夫人
    ラカン (05/21)
  • 100年前のVOGUE 1909年 アーツ・アンド・クラフツ運動の表紙 1892年 ヴォーグ創刊の表紙
    寺島 惇 (04/30)
  • コールハーンのコートとブーツの巻 Cole Haan
    岩村純子 (11/16)
  • 訪問者の皆様へ
    フェルセン (10/31)
  • サン=テグジュペリの薔薇と香水
    楓 (07/03)
  • サン=テグジュペリの薔薇と香水
    tabasa (07/03)
  • ジョン・メリッシュ・ストラドヴィック 安楽の夢、安楽の歌曲
    楓 (03/14)
  • シェイクスピア「ハムレット」から 愛しのオフィーリア
    楓 (03/14)
  • ジョン・メリッシュ・ストラドヴィック 安楽の夢、安楽の歌曲
    E=MC2 (03/09)
RECENT TRACKBACK
  • アガサ・クリスティー 「無実はさいなむ」 ヨブの苦悩
    RE+nessance (07/10)
  • Dear, dear Norland マリアンの嘆き 「分別と多感」第5章 皮肉な人生
    KOBAKO (04/27)
  • ハノーヴァー朝 英国の美少女姉妹たちとオースティンの姉妹たち
    RE+nessance (04/25)
  • ジョン・ダンカン 神話と伝承の人々の行進 「愛の仮面」
    RE+nessance (03/13)
  • ディーノ・バルス イヴの原罪
    RE+nessance (02/07)
  • シェイクスピアの言葉遊び オフィーリアのヘンルーダー
    remove (12/11)
  • シェイクスピアの言葉遊び オフィーリアのヘンルーダー
    RE+nessance (12/11)
  • カミーユ・ピサロの息子 リュシアンのオフィーリア
    XAI (11/19)
  • オフィーリア  Ophelia
    Life Style Concierge Private (11/17)
  • 秋のコンサートから ポップス&シャンソン フランセーズ(フランスの歌)
    remove (10/20)
CATEGORIES
ARCHIVES
RECOMMEND
Remaining Flowers
Remaining Flowers (JUGEMレビュー »)
Daniel Ost, Jean-Pierre Gabriel, Robert DeWilde
Remaining Flowers

出版後すぐに品切れとなり、初版本に6万円のプレミアがついた伝説的な第1作目作品集と、1993年に出版された第2作目作品集の中から抜粋された復刻版作品集。
RECOMMEND
Leafing Through Flowers
Leafing Through Flowers (JUGEMレビュー »)
Daniel Ost
世界一美しい本


英国のドンサイド展で「世界一美しい本」部門で銀賞を受賞したダニエル・オストの第3作目作品集です。
RECOMMEND
インスタレーション
インスタレーション (JUGEMレビュー »)
松尾 太一。
インスタレーション


「花は、あくまでも主役を引き立たせるだけの添え物で、目立ちすぎてはいけないが、添え物として最も素敵なもの」
RECOMMEND
RECOMMEND
Monet in the 20th Century
Monet in the 20th Century (JUGEMレビュー »)
Claude Monet, Mary Anne Stevens, George T. M. Shackelford, Royal Academy of Arts (Great Britain), Michael Leja, Boston Museum of Fine Arts
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
The Jewels of Lalique
The Jewels of Lalique (JUGEMレビュー »)
Rene Lalique, Sigrid Barten, Yvonne Brunhammer, Cooper-Hewitt Museum, Smithsonian Institution, Dallas Museum of Art
RECOMMEND
RECOMMEND
The Floral Art of Pierre-Joseph Redoute
The Floral Art of Pierre-Joseph Redoute (JUGEMレビュー »)
Marianne Roland Michel, Peter C. Sutton, Carolyn Rose Rebbert, Cynthia A. Drayton
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
The Devil's Dictionary
The Devil's Dictionary (JUGEMレビュー »)
Ambrose Bierce, Ralph Steadman
MOBILE
qrcode
無料ブログ作成サービス JUGEM
SPONSORED LINKS

05
--
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
--
>>
<<
--
日々の生活美

Life Style Concierge

<< モンテスパン侯爵夫人フランソワーズ・アテナイス | main | ジャンヌ・デュ・バリー 傾国の美女デュ・バリー夫人 >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | | - | - | pookmark |
秘密の正室 マントノン侯爵夫人
思いがけずに巡りあった中島実穂さんの「マダム・ド・マントノン: ルイ一四世と冠のない王妃」(文芸者)という1冊。

ドラマティックに装飾されずに、マダム・ド・マントノンの生涯を伝記として伝えたいという著者の冷静な視線を感じる1冊で、非常に丁寧に描かれています。

本日の記事「マノントン侯爵夫人 ルイ14世と冠のない王妃」は、中島実穂さんの著作からも、要約させていただいております。

はじまり、はじまり!



マントノン夫人
フランソワーズ・ドービニェ(1635-1719)


フランソワーズの洗礼父はあの、箴言集のロフシュコーの従兄弟でした。

祖父はカルバン派プロテスタント作家で、父のほうは監獄と縁があり、またカトリックの娘と結婚を決め、「良き風俗の破壊者で、家の名誉を汚すもの」として、相続人から名を消されています。

それゆえ、フランソワーズは「カトリックの娘」とよばれました。

宗教上の祈祷の違いなどを教えたのは叔母アルテミスでした。フランソワーズはプロテスタントの叔母アルテミスに育てられることになったのですが、フランソワのカトリックの洗礼母で、その母親二オール総督夫人のもとに引き取られることになります。

家族の崩壊。

それはフーケ(デュマの三銃士ダルタニャンに逮捕されたお城のフーケ)の父が援助してくれたおかげなのですが、結局、遠い島に取り残され途方にくれた境遇となるのです。



マントノン夫人 1685年

「無冠の王妃マントノン夫人 ルイ十四世正室の回想」
(表紙に使用されている肖像画)
マントノン夫人自身の回想も書かれています。
著:フランソワーズ・シャンデルナゴール  訳:二宮フサ

家族から離れどこにも逃げ場がない娘。それがフランソワ。のちのマントノン夫人です。

フランソワはウルスラ派・カトリック女子修道院で教育されました。つぎは規律の厳しいパリのウルスラ修道院。

フランソワーズは自分の身の振り方を考えなければならない境遇。フランソワーズが修道院から逃れ生きていく方法は、ひとつ。

カトリック教徒として聖体拝受を得ること。

それは貴族階級のカトリックの娘としてこの世に生きていける資格を得られるわけなんです。

フランソワーズの両親を知っているというド・ヴィレルモン夫人に会ったときも、喜ぶべき偶然か、恥ずべきことなのかもわからない。ところがそういった境遇でも、時代の寵児ポール・スカロンと出会うきっかけをつくってくれたのです。
ポール・スカロン マントノン夫人の最初の夫



スカロン夫人(のちのマントノン夫人)


その詩人で喜劇作家の「文学サロン」でポール本人に見初められ結婚をします。この9年間、ポールの病気で「処女妻」だったというらしいマントノン夫人。

それでもつかのまの安息。

発病したポールでしたがパリで開くサロン。明日生きるためにも困っていたフランソワにとっては、ブルジョワ層、貴族たち、そして知的な会話にも恵まれます。

ニノン・ド・ランクロ、ルイ14世の公妾マリー・マンチーニ、ダルブレ元帥、スウェーデン王妃クリスティーヌ。

ところが、1660年にポールは亡くなり、家庭教師などをしていましたが、アンヌ太后が亡くなると同時に寡婦年金もなくなります。

また貧しさに耐えなければならない。

この頃フランソワーズは秘密の恋も経験します。
それは中島実穂さんの本から読んでくださいな。

 painted by the Villarceaux Marquis

スカロン未亡人 1664年
40歳まで処女という説は否定されます。
マントノン夫人の秘密の恋が発見された絵 
ヴィラルソー侯爵の作品


親しい交際を続けるダルブレ伯爵は、細々とした生活のフランソワーズに思いがけない出会いを与えてくれました。

先日招かれたダルブル伯爵邸での出会い。

美しく誇らかな物腰で、大輪の花ピオニーのような人 。モンテスパン侯爵夫人だったのです。

ただ見とれて、一言も話さなかったフランソワーズ。それなのにモンテスパン侯爵夫人はフランソワーズの年金が打ち切られる話を聞き、国王に引き続き支払われるようお願いしたことが伯爵から知らされます。
モンテスパン侯爵夫人フランソワーズ・アテナイス
なんとしてもモンテスパン侯爵夫人にお礼を表したい!



モンテスパン侯爵夫人とその子供


フランソワーズがモンテスパン侯爵夫人とルイ14世の秘密養育官になったのは1669年。1670年のルイ・オーギュスト(メーヌ公爵)の出産にあわせてでしょうか。

そして1674年には、モンテスパン侯爵夫人はルイーズ・マリー・アンヌを出産します。モンテスパン侯爵夫人の寵姫就任の宴もこの年に開かれていますが、国王の公妾だったド・ラヴァリエール嬢がカルメル修道院にいくのを決心するのもこの年。

ルイズ・ド・ラヴァリエール ルイ14世の菫の貴婦人
そしてルイ14世はフランソワーズの働きぶりに20万リーブルという報酬を与え、マントノン城を購入するように呼び出したのもこの年のことです。

そして「侯爵夫人」という称号も。

Francoise dAubigne (1635-1719) Marquise of Maintenon and her Niece

マントノン夫人とその姪


1672年ルイ・セザールの誕生の頃。1673年にルイーズ・フランソワーズ、そしてルイーズ・マリー・アンヌと続き、1678年にルイ・アレクサンドルが誕生しています。この年にはフォンタンジュ嬢が、ルイ14世の新たな寵姫として加わっています。

宮廷での養育官となったのは1673年前後?

公妾は何人もいるルイ14世。飽きられると無視をされ、新しい寵姫に夢中になるという国王。

ルイ14世は、飽きられたルイーズが修道院に何度か逃げ込んだときに体裁を考えて連れ戻したとありますように、飽きた公妾を追い出すことはなかったようですが、新しい公妾が加われば、針のむしろに座らせるような苦しみを自然に与えることは当たり前で、そういった女性に対する繊細な気配りにかけた国王だったんだなって思います。

ここが光源氏と違うところでしょうか。(笑)

Françoise dAubigné, Marquise de Maintenon

マントノン侯爵夫人フランソワーズ・ドービニェ


こうした時期に宮廷入りしたマントノン夫人が仕えたモンテスパン侯爵夫人は、国王の寵愛を独占したいため、愛の妙薬の黒ミサ事件がもとで逆に愛想が尽きてしまうのです。

絶対王政時代のルイ14世。

その面目を考えて行動できる公妾がいなかったんですね。マントノン夫人の間までに。

ルイ14世の孫のルイ15世。その愛妾ポンパドゥール夫人はマントノン夫人に倣ったというのは、国王を支える力だったんです。

マントノン夫人の肖像画の書物をご覧ください。ポンパドゥール夫人は肖像画にも利用したのでしょうね。

私の時代 マダム・ド・ポンパドゥール
マントノン夫人は、これまでの愛妾とは違う国の体面も保てる女性として、王妃がなくなったあとに公の結婚ではなく、秘密結婚として公妾ではなく「公ではない正室」となったのです。



マントノン侯爵夫人フランソワーズ・ドービニェ


ところが・・・。(笑)

王妃の失態、モンテスパン侯爵夫人の黒ミサに続き、失寵はなかったものの秘密正室マントノン夫人もキエティスム(クワイエティズム)事件をおこしちゃうんです。

もともとマントノン夫人はプロテスタントの家に生まれ、カトリックの洗礼を受けという奇遇な宗教の運命をたどっています。

フランスの宗教はカトリーヌ・ド・メディシスによって、ユグノーのサン・バルテルミーの大虐殺があり、そのあとの王妃マルゴの夫アンリ4世(この人はプロテスタント、カトリックと何度も改宗してますね)によって「ナントの勅令」(プロテスタント(ユグノー)などの新教徒に対してカトリック教徒とほぼ同じ権利)を発令します。
カトリーヌ・ド・メディシス 黒衣を纏う灰被り猫
そしてルイ14世は・・・。

1685年、フォンテーヌブローの勅令によりこの「ナントの勅令」を廃止(フランス革命の遠因)したわけです。



マントノン侯爵夫人フランソワーズ・ドービニェ


キエティストとして知られる神秘家たちによって、キリスト教哲学「キエティスム(静寂主義)」に影響されます。

マントノン夫人はあんなに信仰を嫌い、尼僧を嫌って修道院を「聖体拝受」で逃げ出したのに、宗教陪審委員会の議長を務めたり、宮廷では黒衣とロザリオ、そして聖書を持ち歩く聖女になっています。(ルイ14世の性欲を避けるためでしょうか?)

作家ギュイヨン夫人によって、マントノン夫人、フェネロン大司教(Francois Fénelon)などのカトリック派を改宗させました。

これは当時にとっては「異端者」だったわけなんですね。

思慮深いマントノン夫人。どうしたことでしょう。

そしてフォンテーヌブローの勅令による「ナントの勅令の廃止」は、マントノン夫人が黒幕とも言われています。



マントノン侯爵夫人(ディティール)


公妾モンテスパン侯爵夫人は黒ミサで、私正室マントノン侯爵夫人は異端者で、ルイ14世の身辺はスキャンダルで忙しい〜。

フランスの華やかな悪徳者に対して、フランスがもっとも嫌う陰鬱な美徳者。国民から愛されたモンテスパン侯爵夫人は前者で、国民からは愛されなかったマントノン侯爵夫人は後者です。

ほら、戯れ歌が聴こえますよ。
みせかけの信心、偽善、信仰心
そしてイエスズ会の聖職者
フランスにはこんなのがいる、いる、いる
老マントノンのおかげでさ!
(意訳:楓)
マルキ・ド・サドの「悪徳の栄え」、「美徳の不幸」なんて極端すぎますが、フランスの風潮を巧くタイトルに組み合わせているって思うんですね。



ルイ14世とその家族 1710-1715
by ?ニコラ・ド・ラルジリエール(Nicolas de Largilliere)?

右が息子ルイ(グラン・ドーファン)、左が孫ルイ(ブルゴーニュ公)
その椅子にルイ14世、ヴァンタドール夫人とルイ(ブルターニュ公)
壁後ろの彫像だと思われるのがアンリ4世とルイ13世らしいです。


穂蜜の正室マントノン侯爵夫人は、「その家族」に描かれていません。ルイ15世の養育係りヴァンタドール夫人が描かれています。王室にとってはマントノン夫人は結局愛妾だからでしょうか。
ルイ14世  唯一の信仰 唯一の法 唯一の王
ルイ14世 王権神授説の宮廷絵巻
ルイ14世 芸術への愉楽
ルイ14世  コルベールの重商主義芸術政策
ルイ14世 スペイン継承戦争 フェリペ5世への箴言
モンテパス侯爵夫人は、サン=ジェルマン=アン=レーに領地を買い求め、貧民層、高齢者などを受け入れる施設の施療院を創立しました。のちに19世紀の画家モーリス・ドニが買い求め、現在はモーリス・ドニ美術館になっています。



マントノン侯爵夫人


マントノン侯爵夫人は、サン・シール学院(Saint-Cyr-l'École)を設立しました。サンシールの乙女たちと呼ばれた、貧しい貴族の娘たちの全寮制の学校です。

1715年8月30日に、ルイ14世の臨終に立ち会うことなく、無冠の王妃(秘密の正室)マントノン侯爵夫人は、ヴェルサイユをあとにします。

サン・シール学院で余生を送るため。

扉を開くとヴィルロワ将軍が万感を胸に秘め立っていました。

「アデュー(永遠にさようなら)、将軍」とマントノン夫人はつぶやきました。心のなかで、ルイ14世になんとお別れをしたのでしょうか。

罪あるものの娘として生まれ、宮廷で日陰の王妃となり、最後は身を寄せる場所もあり、静かですが、1719年に84歳で亡くなりました。

ここまでの参考(引用)
wiki
ヴェルサイユの春秋 ジャック・ルヴロン
マダム・ド・マントノン: ルイ一四世と冠のない王妃 中島実穂




この作品タイトルは、「マントノン侯爵夫人とブルゴーニュ公爵夫人(Duchess of Bourgogne)」となっていました。

ルイ14世の孫ブルゴーニュ公ルイと結婚したマリー・アデライード・ド・サヴォワ(1685-1712)でしょうか。

そうすると王太子妃となっているはずなんですが。

ルイ14世の孫の嫁が甘えているのでしょうか。なんとも不可解な作品を「LIFE」でみつけてしまいました。

ラ・ボーメル(La Beaumelle) によると、「マントノン夫人は時期というもの十分に捉え、それを表に現さずにおく力をもった人であった。」 と表現しています。

そのとおりで、マントノン侯爵夫人がスカロン未亡人だった頃の不倫も、紹介した絵が発見されなければわからずじまいだったはず。

回想録や歴史作家など、日本書紀のように政治的意図が絡んでいる場合もあるので100%信用していません。

また当人による回顧録や手紙、日記など、王室や貴族(日本でもそうですが)に生まれたなら、「後に残るもの」としての小さい頃から教育されます。

ですから、この場合も100%信用していません。

火のないところに煙は立たないので、絵画や文学、あるいは一般人の日記も読んでみると面白いことが残っています。

ただこれも100%信用していません。

でも、ラ・ボーメル(La Beaumelle) の、「マントノン夫人は時期というもの十分に捉え、それを表に現さずにおく力をもった人であった。」というのは、彼女の生い立ち、最初の結婚からみて、十分に納得できる言葉の力を含んでいます。

ポール・スカロン マントノン夫人の最初の夫
ここでもsai は「計算高い女性」と記事本文に書いていますが、モンテスパン侯爵夫人の子を養育するにも、たいへんな苦労があったと思いますが、母親より信頼されるよう手なずけたり、母親より献身的であるように努めたり、画された計算が時期というものを十分にとらえて成功していった女性ではないでしょうか。

残念なことに、マントノン夫人が養育した国王の嫡子、庶子には徳を備えた人は育たなかったようです。


ルイ14世の秘密結婚の相手として、公妾と違う立場を貫いたマントノン夫人。公妾の立場となれば、新しい公妾が入城すると、モンテスパン侯爵夫人のようにいつまでも嘲笑いに耐えているわけにもいきません。

衣装、装飾品、ヘアスタイルもこれまでの公妾と全く違い、黒衣にロザリオや聖書を見に付け、ヘアスタイルはシニヨンで上品な仕上げをし、濫費、政治の口出しなどで騒がす、彼女たちとは違う「格」を強調します。

それは「シック」と「教育」でした。

マントノン侯爵夫人の手紙の要約

「もしわたくしたちがこの少女たちを教育するのに保護者然としているのなら、その将来は期待できないでしょう。忍耐こそ大切です。わたくしの努力がほかの誰かに拡がるなら、そのためのお世話や仕えることになんの席槽もないことでしょう。」
「マントノン夫人によるサヴォワの王太子妃教育」(マリー・アデライード・ド・サヴォワのこと)では、1枚目の作品の二人がマノントン夫人と王太子妃ならば、なにかマントノン夫人が訴えている教育とは違う気がします。


マントノン侯爵夫人の書簡

マントノン夫人の書簡からの抜粋と要約
王女の立場において決して党派的であってはなりません。
むしろさまざまな方法で平和をつくりださねばなりません。
国を愛しなさい。
その支えである貴族を愛しなさい。
民衆を愛しなさい。
その所領地を守り抜き、仕えの人を愛しなさい。
豊かになりなさい。しかしなりすぎてはいけません。
そして両親を愛しなさい。
フランスだけがあなたの祖国であるべきです。
フランスを愛する姿はフランスもあなたを愛すでしょう。
あなたに救いを求める請願には誠意を示しなさい。
その奉仕は真の償いのおこないなのです。
マリー・アントワネットの女官長だったら国が滅ばなかったかもしれません。

最後の行に「奉仕は真の償いのおこない」とありますが、これまで懺悔に値するものがあれば善行を行えば浄化されると信じられ、宮廷や貴族の国民への援助や慈善事業は、死するときに罪なく天に召されるためにと行われていたんですね。

マントノン夫人の書簡からの抜粋と要約

神への畏れは知恵のはじまりで、神への愛は律法の充足に値します。

世俗の書物(最初の夫ポール・スカロンの本も含めているのでしょうか?)は倣慢を養い、それがひろがるにつれ女性には有害となるでしょう。

人は不幸なことに簡単に悪徳の手におち、そこから離れにくくなります(マルキ・ド・サドの悪徳の栄えのようですね!)。

聖書は教会を象徴し聖職者を敬愛し貴人を守ります。区別なく不幸な人を助け、寛容で美徳と積むように語りかけます。

全き幸福などを期待してはなりません。そういうものはこの世にはありません。(そのとおりですね!

宮廷にさえないのです。

結婚のなかに全き安らぎを期待してはなりません。もっとも善き人というのは、優しさと忍耐で他人のことを悩み受けとめうる人のことです。自分の従属をおもてに出さずに従順であり続けるのみです。
さて、この手紙。キエティスム事件で「異端者」扱いされたあとでしょうか。そしてアンリ4世のナントの勅令を廃止したあとでしょうか。

もしも、キエティスム事件でルイ14世が勧誘されられていたら、フランスの宗教と政治はどうなると思いますか?

モンティスパン侯爵夫人の「愛の妙薬」より、はるかに国を滅ぼす可能性があったため、本来はモンティスパン侯爵夫人を凌ぐスキャンダルに成りかねなかったのです。

でも、これも宮廷で封印されたわけですね。



「わたしは自分の欲望に限界をつけることは決してないでしょう。」

この欲望とはマントノン夫人の強い意思を言っているのだと思われます。

生まれた時から彼女の理想と違う運命を歩んできたマントノン夫人。前妻とその愛人を殺しただけではなく、放蕩を続けた父のために、家族は迷い、身寄りのない娘が、修道院から逃げ出したい一心で聖体拝受を受け、身体の不自由な作家と結婚をし、宮廷に縛られた一生。

でも、どこにいてもマントノン夫人の強い意志は損なわれませんでした。理想は違っても。

最後に、わたしはこの人は秘密結婚ではなく
ほんとうのフランス王妃の座を狙っていたと思っています。


参考(引用・要約):LIFE/ルイ14世の世紀(ヴォルテール)
| 太陽王のヴェルサイユ | 22:38 | comments(3) | trackbacks(2) | pookmark |
スポンサーサイト
| - | 22:38 | - | - | pookmark |
コメント
はじめまして♪
よかったらウチのブログも
見ていってね♪
| inField | 2010/01/18 3:37 PM |

inFieldさん
ようこそいらっしゃいました。

グラフィックデザインが趣味なんですね。本業かと思いました。

たくさん作品をアップしてくださいね。
| 楓 | 2010/01/18 6:16 PM |

豊富な資料掲載で参考になりました。
ところで公妾というのは同時期には一人のみのはず。宮廷が混乱しますから。
それと光源氏がなぜ理想とされたかというと、可能な立場なら、恋愛関係が一時であった女性もずっと面倒をみたからです。

| ラカン | 2015/05/21 9:40 PM |

コメントする









この記事のトラックバックURL
http://lohasstyle.jugem.jp/trackback/152
トラックバック
ルイ14世 唯一の信仰 唯一の法 唯一の王
神とルイ14世 1674年 まさに王権神授説 by シャルル・ル・ブラン イエス・キリストが王位とヘルメットをルイ14世に贈る。右側はジャン=バティスト・コルベールだ。過去記事 ルイ14世 王権神授説の宮廷絵巻そして唯一の信仰 唯一の法 唯一の王を象徴しているか
| remove | 2009/11/26 10:41 PM |
ポール・スカロン マントノン夫人の最初の夫
ポール・スカロン1638年以前のポール・スカロン マントノン夫人は賢いとされているが、僕にとっては計算高い女性の一人だ。最初の夫ポール・スカロン(1610-1660)。風刺の効いたスカロネスク様式を確立したといわれている。ポールとの結婚は耐え難い貧しさのため
| RE+nessance | 2009/11/26 11:04 PM |