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フランス革命 マリー・アントワネット史

Marie-Antoinette"

大公妃マリー・アントワネット
シェーンブルグ宮殿


1755年11月2日、マリー・アントワネットはオーストリア大公マリア・テレジアと神聖ローマ皇帝フランツ1世シュテファンの十一女として誕生しました。

マリア・アントーニア・ヨーゼファ・ヨハーナ・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン(Maria Antonia Josepha Johanna von Habsburg-Lothringen)と名づけられました。

ハプスブルグ家 マリア・アントーニア
ハプスブルグ家 マリア・テレジア
パルマ公女マリア・イザベラ
スペイン・ブルボン朝 王女 マリア・ルドヴィカ
姉妹たち
長女 マリア・エリザベート 3歳で死去
次女 マリア・アンナ・フォン・エスターライヒ せむしの皇女として父親以外には愛されなかったマリア・アンナは修道院で奉仕に一生を捧げます。
三女 マリア・カロリーネ 2歳で死去
長男 ヨーゼフ2世 「民衆王、皇帝革命家」と呼ばれる。
四女 マリア・クリスティーナ マリア・テレジアの愛情を受け、恋愛結婚を許される。
五女 マリア・エリザベート 天然痘が原因で醜貌のため、修道院に。
次男 カール・ヨーゼフ 6歳で死去
六女 マリア・アマーリエ 政略結婚、のちに帰国禁止。
三男 レオポルト2世 兄ヨーゼフ2世死後に帝位につきます。
七女 マリア・カロリーネ 死去
八女 マリア・ヨハンナ・ガブリエレ 12歳で死去
九女 マリア・ヨーゼファー ナポリ王との挙式直前に死去
十女 マリア・カロリーナ 姉のかわりにナポリ王に嫁ぐ。
四男 フェルディナント・カール・アントン エステ大公

∵1763年5月 アントワネット8歳 メルシー伯爵が結婚の使節としてフランスに派遣

∵1769年6月 アントワネット14歳 ルイ15世より婚約の文書が届く。この年、王太子妃教育係が派遣


 王太子妃 マリー・アントワネット

Marie-Antoinette by François-Hubert Drouais painted in 1773

王太子妃マリー・アントワネット 1773年
フランソワ・ドルーエ 


肖像画は結婚3年目の18歳のマリー・アントワネット。

王太子妃 マリー・アントワネット 4つの不吉

∵1770年5月16日 王太子ルイとヴェルサイユで挙式。

∵(1770年5月15日 デュ・バリー夫人が娼婦あがりの寵姫と聞かされる)

∵1770年頃 ランバル公妃 王太子妃の女官長となる。

∵1771年7月 デュ・バリー夫人 の声がけがアデライード王女により阻止される。

∵1772年1月 デュ・バリー夫人への新年の挨拶。

∵1773年 フェルセン伯爵と仮面舞踏会で出会う。

∵1774年5月 ルイ15世薨去


 凋落への道 王妃マリー・アントワネット





マリー・アントワネット 1775年 作者不詳


「二十歳のうぶな王妃様 ふざけた真似を遊ばすが そのうち御身も城の外」〜この流行歌はフランス革命が起こる14年も前、王妃になりたてのマリー・アントワネットを歌った戯れ歌の一節。

マリー・アントワネットが愛したもの

∵1774年 5月 ルイ16世即位 19歳のマリー・アントワネットは王妃となる。宮廷儀式を簡略化していく。ポンパドゥール夫人のためのプチ・トリアノンを贈られる。

∵1774年 9月頃 「フィガロの結婚」で、のちに「セビリアの理髪師」(1782年初演)となる戯曲のロジーナ役を演じる。

∵1774年 マルシャンド・ド・モードローズ・ベルタンが寵愛を受ける。同年フェルセン伯爵と仮面舞踏会で出会う。

∵1775年 ポリニャック夫人を寵愛、ポリニャック家を取り立てる。

∵1775-76年? アントワネットの圧力でデギュイヨン公爵辞任(モープー、アベ・テレ、デギュイヨン公爵の「三頭政治」はルイ16世の統治のなかで安定していた期間)

∵1776年 ランバル公妃にかわり、ポリニャック夫人が王妃の女官長になる。

∵1776年 兄ヨーゼフ2世訪仏 。

∵1776年 王妃、旧アンシャン・レジーム派によりジャック・テュルゴー罷免。

∵1776年 プチ・トリアノンの改装をリシャール・ミックに依頼。

∵1778年 第一子マリー・テレーズ誕生。

∵1779年 王妃とコワニー公爵のスキャンダル。

∵1779年夏 プチ・トリアノンへの森林移動。(35万2275リーヴルの支出)

Marie Antoinette-children-1785-6-Wertmuller

マリー・アントワネットと子ども達(マリー・テレーズ、ルイ・ジョゼフ)
アドルフ・ウルリッチ・ヴェルトミュラー ストックホルム美術館


王妃は下層民の生活を知ることもなく(知る必要はなく)、国庫の回復で就任した財務総監を次々と罷免させます。王室費を削られるほか、貴族や聖職者が領民からの税金を徴収できなくなるなど、特権階級に不利な政策でした。

マリー・アントワネット フランス紀行から

∵1780年 プチ・トリアノン 王妃の劇場 完成。

∵1781年 第二子ルイ・ジョゼフ誕生。

∵1783-84年 アメリカ独立戦争からフェルセンが帰国。

∵1785年 第三子ルイ・シャルル誕生。

∵1785-86年 首飾り事件 王妃は無関係。

∵1785年 王妃の意見で、オーストリア・オランダ間の戦争にフランスが介入しないよう賠償金を支払う。(オーストリアへの戦争回避における賠償金による財政圧迫)

∵1785年2月 王妃 サン・クルーの館を購入。

∵1786年 凶作と物価高騰のさなか、プチ・トリアノン アモー 完成。王妃の衣装代27万2000リーヴル。

∵1786年7月 第四子ソフィー王女誕生。

∵1787年6月 ソフィー王女夭折。

∵1788年 ネッケル 財務総監就任。

∵1789年5月 三部会 王妃出席。

∵1789年6月 第二子ルイ・ジョゼフ夭折、葬儀の費用を銀器を売却し支払う。

∵1789年7月 王妃の圧力で12日にネッケルが罷免。王妃の取り巻きブルトイユ男爵にかわる。王室財産の破産を宣告。(英国のアーサー・ヤングの日記では、この12日、老婆だと思っていた女性が28歳だと知り、フランスの下層民の格差に愕然としたことを記しています。)

∵1789年7月 14日 バスティーユ襲撃事件(囚人の7人のうちサド侯爵は10日前に療養施設へ移動していました!)

∵1789年10月 5日、ヴェルサイユ行進(10月行進)が向かう。(民衆の怒りを和らげるため、ラ・ファイエット将軍がバルコニーで王妃をに跪き敬愛の情を示したことで緩和されました。このときオランプ・ドゥ・グージェの家には人が押し寄せ、サド侯爵夫人ルネは脱出に成功しています。)

∵1789年 ヴェルサイユ行進後の6日、民衆の要望を聞き入れ、ヴェルサイユを出立。(永遠の旅立ちとなります。)パリのチュイルリー宮殿へ移る。

Marie Antoinette, Queen of the French, 1792

王妃マリー・アントワネット 1792年
作者不詳ということで・・・。


王妃マリー・アントワネットの陰謀と奸計がはじまります。「国王の拒否権行使と逃亡」、「諸外国の干渉による王政の復活」、「亡命貴族との共謀」です。

ブルボン朝の王妃 マリー・アントワネット さらば、王家よ

∵1790年2月 ヨーゼフ2世急死、レオポルト2世が皇位を継ぐ。王妃はレオポルト2世と交渉。

∵1790年春 28万リーヴルの支出、800人の動員でチュイルリー宮殿、王妃の居館の改装が終わる。フランス全土は寒波と干ばつ。凍死者がでる。

∵1790年7月 立憲君主制を主張するオノーレ・ミラボーと会見。ルイ16世がもっとも信頼を寄せた。革命を指導するミラボーは、国王と革命阻止に尽くすことになり、国外の亡命には反対。

∵1790年7月 14日の革命1周年の連盟祭で国王、王妃ともに参加。このとき国王が「フランス王」から「フランスの王」と宣言。憲法を施行することを宣誓。

∵1790年8月 国王一家逃亡を企てる王妃とフェルゼン。ショワズール男爵、ゴグラ男爵らと計画。この頃に王妃は兄ヨーゼフ2世へフランスに向けての軍隊派遣と逃亡の資金援助 を要請。

∵1791年11月 聖職者民事基本法への宣誓を義務付け。国王は承認という形をとる。

∵1791年4月 2日ミラボー急死。14日、国王一家がサン・クルーへ向かうのを逃亡と思われ、中止。王妃は亡命に反対していたミラボーが亡くなったため、国王が悩む民事基本法とミラボーとの議会閉会の計画が中途になったことを理由に逃亡計画を認めさせる。

記事 フランス革命下の一市民の日記 1791年の4月

∵1791年6月 ヴァレンヌの逃亡。国王一家はヴァレンヌでつかまり、パリへ戻る。フェルセンは途中で降ろされる。(ミラボーの言うとおりにしていれば・・・)

記事 フランス革命下の一市民の日記 1791年の6月

∵1791年後半 ヴァレンヌに連れ戻しにきたアントワーヌ・ピエール・バルナーヴに、王妃は保護を求め、国王の拒否権、人事介入ができるようになる。オーストリアに逃亡しているフェルセンには、ブルトィイエ男爵とともに王命を持たせ、「諸外国の干渉」を受けるように催促。

∵1791年8月 オーストリアの兄レオポルト2世とプロセイン王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世が「ピルニッツ宣言」を発し、フランス革命に国王の解放をしなければ介入すると発表。

記事 フランス革命下の一市民の日記 1791年の8月

∵1791年9月 14日は国民議会に王一家が参加。憲章を奉呈された日。

記事 フランス革命下の一市民の日記 1791年の9月

このあとしばらくは国も国王一家もつかの間の穏やかさを取り戻します。アントワネットもオペラ座やコメディー・フランセーズにお出掛けしたり。

∵1792年3月 王妃の兄レオポルド2世急死。

記事フランス革命下の一市民の日記 1792年の3月

∵1792年4月 国王はオーストリア皇帝に宣戦を布告

記事 フランス革命下の一市民の日記 1792年の4月

∵1792年6月 チュイルリー宮殿侵入事件

記事 フランス革命下の一市民の日記 1792年の6月

王妃はオーストリアの駐仏大使メルシー=アルジェントー伯爵を介して「ブラウンシュヴァイクの宣言」を要望します。

∵ 1792年8月 チュイルリー宮殿襲撃事件(8月10日事件)、タンプル塔幽閉

記事 フランス革命下の一市民の日記 1792年の8月


 終焉の獄 王妃マリー・アントワネット

Marie Antoinette Elisabeth Vigee Le Brun, 1800


幽閉されたあと、タンプル塔の委員会のメンバーでもあったペティヨン、マニュエルが訪問します。この二人はクレリーの日記、マリー・テレーズの回想録にも登場します。

∵ 1792年 8月タンプル塔幽閉 
∵ 1792年9月虐殺

記事 クレリーの日記 1 ルイ16世の遺書
記事 クレリーの日記 2 タンプル塔の無能な王

過去記事 マリー・テレーズ王女の回想記録 1
過去記事 エリザベート・フィリッピーヌ・ド・フランス

過去記事 マリー・アントワネット タンプル塔
過去記事 ランバル公妃マリー・ルイーズ 美徳の不幸 

1792年の9月虐殺は、ペティヨン、マニュエルも周知の計画だったようです。ただし、タンプル塔に来たあの日の午前中、マニュエルが言うように、まだランバル公妃は元気で生きていました。

くわしくは次のリンク記事からお読みください。

記事 フランス革命下の一市民の日記 1792年の9月
記事

∵1792年11月 ルイ16世の指物師のフランソワ・ガマンが内務大臣ロランに監査官ウールティエを通して、チュイルリー宮殿の隠し戸棚がつくられていたことを告白。

∵1792年12月 この隠し扉からミラボーの手紙も暴露。

記事 フランス革命下の一市民の日記 1792年 12月

幸いにして、マリー・アントワネットの証拠書類はここからは見つかりませんでした。あるはずだったようなんですね、本当は・・・。

∵1793年1月 ルイ16世の裁判と処刑

記事 フランス革命下の一市民の日記 1793年 1月

記事 クレリーの日記 1 ルイ16世の遺書
記事 クレリーの日記 2 タンプル塔の無能な王

∵1793年6月 ジャコバン派モンテーニュ派の独裁政治がはじまる。

記事 マクシミリアン・ロベスピエール
記事 フランス革命下の一市民の日記 ロベスピエール編 1

∵1793年7月 靴屋のシモンがルイ・シャルルの教育係りとなってルイ16世の居室だった部屋に移される。

記事 フランス革命下の一市民の日記 1793年 7月

記事 マリー・アントワンネット 記事紹介
記事 アントワネットの子供達 18世紀の子供達
記事 ブルボン朝の王妃 マリー・アントワネット さらば、王家よ

∵1793年8月、マリー・アントワネットがコンシェルジュリーへ移送。

過去記事 コンシエルジュリー 囚人のマリー・アントワネット

∵1793年10月、マリー・アントワネットの裁判、処刑。

記事 フランス革命下の一市民の日記 1793年 10月

記事 ブルボン朝の王妃 マリー・アントワネット さらば、王家よ

革命裁判所の検事アントワーヌ・フーキエ=タンヴィル、ジャック=ルネ・エベールは、ロベスピエールが指導者だった恐怖政治のなかでの革命裁判で、恐れられた二人でした。

記事 フランス革命下の囚人たち

記事 フランス革命 革命裁判所 検察官 フーキエ=タンヴィル

この先もいろいろな人物、マリー・テレーズに関しても更新していくつもりです。友人たちのブログ記事もリンクしていきますね。



姉マリー・クリスティーナ?アントワネットにもみえますが。


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