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マリー・アントワネットの娘 マリー・テレーズ王女の回想記録 1
今回の記事はジャック・ブロス編集 マリー=テレーズ王女の回想録−王家の幽閉生活に関して、1792年8月10日から弟の死まで−からの引用と要約です。

引用の要約はすべて楓ですので、そのまま本書と比べていただくと困ります。大幅な略がありで、楓が知りたいことだけをトピックしているからです。また読み違えや勘違いもあるかもしれません。

ただし、翻訳の吉田春海さんの訳、文章の調子は変えていません。要約のため言い回しを変えています。

そのためこの記事を引用される方は、楓が文責であること、また著作、訳者、出典元を明記してください。
本題にはいりたいと思います。今日の記事はランバル公妃惨殺までを。

処刑された父と母。そのあとタンブル塔に一人残されたマリー・テレーズは、その悲痛な出来事を綴ります。

1795年、12月18日の夜、半年前に王女の付き添いになったシャントレンヌに別れを告げ、「両手いっぱいのしわくちゃな紙を夫人にそっと手渡した」のが、この回想録です。

ジャック・ブロスは語っています。

非のうちどころがない国王一家が殉教したという美化の回想録だ。批判的態度で読む必要があると。

しかし、彼らの苦悩を知り、タンブル塔の謎に可能な限りせまることができる。

そうです。こうだった、あだったという美化や美談は史実には必要ありません。真実です。

ルイ16世一家の真実は、のちに回想録なども手を加えられ、真実は告げられませんけれど、人の苦悩と悲痛な思いは知ることができるのです。

私はルイ16世、マリー・アントワネットは有罪だと思っています。

(私は少女漫画脳、ロマンス小説脳を併せ持つので、マリー・アントワネット大好きなんですよ!でも有罪です!)

それでも有罪者である二人の悲痛と苦悩、その家族とタンブル塔に連れて行かれた人々の過酷な運命を知るべきだと思っています。


ジャック・ブロス編集 マリー=テレーズ王女の回想録
−王家の幽閉生活に関して、1792年8月10日から弟の死まで−

 
序 ジャック・ブロス

Marie Antoinett Archduchess of Austria and Queen of France - Her Children Marie Thérèse Charlotte of France, Madame Royale

マリー・アントワネットの娘
マリー・テレーズ・シャルロット・ド・フランス
(Marie Thérèse Charlotte de France)


アングレーム公爵夫人となったマリー・テレーズは、その原稿を父の従僕だったクレリーを通して取り戻し、写しをつくってスーシー夫人に預けますが、スーシー夫人はそれを出版。マリー・テレーズは大半を買い戻し破棄。1789年に王家が体験した出来事を加え完成させた。

だが、語り手は1789年当時、まだほんの子供にすぎなかった。しかし訂正や注釈が加えられていないものは1792年の9月2日で途切れている。


 
私の父、国王陛下は1792年8月13日、夜7時、家族と共にタンプルに着いた。

(略)

父と私たちは午前一時に塔へ案内されたが、塔の準備は何もできていなかった。叔母はキッチンで寝た。

(略)

ここで、私たちと一緒にその陰気な住まいに監禁された人たちの名前を挙げておこう。ランバル公妃、トゥールゼル夫人と娘ポリーヌ。国王付きの従僕、ユーさんとシャミィさん、叔母の侍女ナヴァール夫人。弟の侍女サン=ブリース夫人。母の侍女チボー夫人と私の侍女バジル夫人。

(略)

父は弟に地理を教え、母は歴史と詩、叔母は算術の手ほどきをした。運良く図書室があったので、父は読書に余念がなかった。母はよくつづれ織りを織った。

役人たちはなれなれしく、父にほとんど敬意を払わなかった。

8月19日から20日にかけて、ユーさんとシャミィさんが連れ去られ、ランバル夫人を連れ去ろうとした。

公妃は王族だと母は強く抗議したが連れて行かれた。

Marie Antoinette, Queen of the French, 1792 by Alexandre Kucharski

母 フランス王妃マリー・アントワネット 1792


母はランバル公妃の腕からなかなか離れられなかった。そして私たちの女官と抱擁した。私たち四人は眠れぬ夜を過ごした。

あくる日の七時、女官たちはフォルス監獄へ連行されたという知らせ。ユーさんは無実だと認められタンブル塔に送り返された。

母と弟、私は叔母と、父は上の階の部屋が当てられた。朝食は父の部屋で、朝食がすむと父と一緒に母の部屋へ降り、一日を過ごす。

父はいつも番兵から侮辱を受けた。

聖ルイの日には、朝七時にタンプル塔のそばでサ・イラ(革命の歌)の歌声があがった。

その日の朝、一人の役人から、ラ・ファイエットさんがフランスを離れたことを知らされた。マニュエルはその話しは本当だと告げ、外から受け取る最後の手紙となったローマの叔母様たち(アデライド王女、ヴィクトワール王女)の手紙を受け取った。

国王の称号を剥奪された父はムッシュー、ルイとよばれ、敬意は払われない。

その父の従僕としてクレリーが、父の世話をするため送られてきた。

そして鍵番兼看守にあの恐ろしい男(ロシェ)をよこした。

その男はわざとマルマニョールを歌い、父と母にパイプの煙を吹きかけたり、王妃の頭をぶったたくなどの悪口。

父は黙々と辛抱し、心から男を許していた。母は尊敬せずにはいられないほど毅然として耐えていた。

9月2日、窓から父に向かって石が投げられた。役人には気付かれなかったが、叔母は、味方と思われる婦人が「ヴェルダン陥落」と書いて窓辺に置いたのを読んだ。

ランバル公妃マリー・テレーズ・ルイーズ・ド・サヴォワ=カリニャン Marie-Thérèse Louise de Savoie-Carignan, Princesse de Lamballe 


9月3日、朝八時にマニュエルがランバル夫人をはじめフォルス監獄で平穏無事に暮らしていると告げる。(この時点では事実。詳細はこちら→過去記事 「ランバル公妃マリー・ルイーズ 美徳の不幸」から)

三時、凄まじい悲鳴が聞こえた。父は何気ない振りで話しをするために母とゲームをする。監視の役人は機転を利かせ扉と窓を閉める。

その騒ぎにタンプル塔の人夫、あの恐ろしい男ロシェが加わった。

衛兵隊、士官の役人が部屋に入ってくる。「ランバル夫人の首を持ってきたのさ。」

母が度を失ったのはそのとき一度きりだ。

監視の役人は士官をたしなめたが、父は尋ねた私が悪いと詫びる。

騒ぎは五時まで続いた。

六人の人殺しは首を掲げて塔を一周する。夫人の切り離された遺体は入り口に置かれた。ロシェはランバル夫人の首を見てしきりに歓声をあげる。

母は部屋の中の出来事などひとつも目にはいらず、じっと立ったままだった。

叔母と私は一晩中、非常呼集の太鼓の音を聞いていた。

母のすすり泣く声。

私たちは虐殺がまだ続いているとは思っていなかった。三日間続いたと知ったのはしばらくたってからだった。
| マリー・アントワネット | 21:31 | comments(6) | trackbacks(2) | pookmark |
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コメント
楓さま、とうとうはじめられたんですね(号泣)

ありがとうございます。
(と、自分が楓さまのいちばんの読者!と自惚れさせてください・笑)

わたしはお正月明けから、と油断してましたので(笑)、この女子にとってビボーの時間に(あ、もう過ぎてるか・・こちらは冷たい雨の朝です、マリーテレーズの人生のような・・)
ふと目を覚まして、記事を拝見できて、なんてしあわせ!

わたしはブロスの持っていた回想録は初見です!
だからとってもうれしいし、楓さまが掲げてくださったマリーテレーズの肖像も初見です。
これはおおよそ、何歳くらい?どこで、誰の手によるものなんですか?
家のPC壊れてるから、会社いくまでは、携帯で見るしかなくて、カーソル合わせてもわからないんです。

わたしはルイ16世一家の悲劇の美化は、マリーテレーズ結婚後最初の夏に、ミタウであの悪名高きルイ18世に、
彼女が回想録を書くよう強要されたときからはじまったと思ってます。
ルイ18世の自分の人気とりのために・・

そして王政復古の時代には、さぞや最高潮に達したでしょうね(爆)
その頃、マリーテレーズが自分の少女時代のわりと無邪気な手記や日記をみんなから取り上げるために、必死で「怖かった」とスーザンネーゲルでよみました。シャントレンヌ夫人や、ド・スーシー夫人たち。

そして各自の回想録の出版許可にNGを出すのに。

でもたしか、クレリーかユーか、どっちかは忘れたけどその前にイギリスで出版したら、おお当たりだったんですよね。

わたしはマリーテレーズのきもちがわかります。
この王政復古のやたらちやほやされるようになった時代に、商業的に、自分の愛する家族たちの死が、利用され、まるで穢されていく感じがするのが・・かなしくていやだったんでしょうね。
楓さま、この印象は合ってますか?

久しぶりに、「ルネット」シャントレンヌ夫人、ポーリーヌ、ユー、クレリーらに再会です!!
うれしい。
いずれは、ゴマン、ローランらにも会えますね!


それからそれから(笑)
王妃も王家も、ランバル公妃の首は確かに、見てないんですよね!
カーテンをしめるとき、ユーかクレリーは見ちゃったんだけど・・

当時の牢番の責任者はまだまともな部分があったそうで、王妃とキスさせてやるという民衆に対し、牢獄のまわりの行進だけは許したんですよね・・
それでも、エリザベート内親王、マリーテレーズの胸の痛みはいかばかりであったことか・・・

私も、王妃は王妃として、いーえ!なにより二人の子の母親として、‘有罪’であったと信じてやみません。
なんせ、ツヴァイクいわく彼女は『絶対的個人主義者』ですものねっ!

楓さまのあたたかなお心遣いがあって、来年再び、戦場へ戻り、再びたたかう勇気を12月のうちに、とりもどしていけそうです!

わたしはがんばれそうな気がします。
| ふくちゃん | 2010/12/03 5:06 AM |

楓さま、
さきほどのわたしの、マリーテレーズの肖像についての質問ですが・・
なんとなくわかりました。

ブルボン家の王女は喪服を着ている・・

17才からアングレーム公と結婚するまで・・シェーンブルンで描かれたものですね。おそらく。

王女は、ロベスピエールが処刑されるまで、真冬でも灰色のノミだらけの、綿の(!)トワールドレスしか持っていなかったから・・

やっぱり、かわいそう、と言ってもいいですか?

あかぎれだらけの手、想像を絶する孤独、
彼女がそれでも、どんな精神を心に抱きしめていたとしても・・

| ふくちゃん | 2010/12/03 6:33 AM |

楓さま、
コメントばらしてしまって、うっかりしててごめんなさい。

今回&以前、王妃はかくのごとく‘有罪だった’とお話ししたときに、わたしが言葉たらずだったことがあって・・

わたしは、じつはもしかしたら、楓さま以上に、王妃は‘有罪’であり‘有責’だったと考えているほうです。

いかに、裁判で勇敢に戦い、毅然とした遺書をエリザベート内親王に書き、軽やかな足取りで断頭台を駆け上がり、王妃として誇り高く死のうが、そんなことって、そんなに大事じゃない気がするのです。

王妃は元々プライドを持った女性ですし、ヒロイックに死にたいというのは、彼女の願望であって、些末にすぎないような・・

確かに、彼女はもう身体をこわしていたし、コンシェルジュリーでもつらかったでしょうが、
でも民衆の憎悪の中に二人の幼い子を残してしまった・・。そして一人は生きのびることができなかった(号泣)


ただ、かの遺書で「自分は、罪なくしてローマカソリックの信徒として死んでいく」と堂々と記したのを目にしたとき、
なるほど〜、たぶんフェルセンと肉体の関係はなかったな、と。
もちろん二人は、素晴らしい恋愛はしましたけどね(笑)
王妃は、敬虔なるあのマリア・テレジアの娘ですから、だからその点では、遺書としてわるびれないものになれたかと・・

でも王妃は、自分でも気づいてなかったけど、本当はフェルセンより、夫であるルイ16世のほうを心から愛していたんじゃないかな、と!
これは、あくまでも、わたしの『女の勘』です!!!
| ふくちゃん | 2010/12/03 11:10 AM |

ふくちゃん、こんばんわ。もっと早くにお返事しようと思っていたのですが、なかなかパソコンを開く時間が、なくてって、ごめんなさい。

>いかに、裁判で勇敢に戦い、毅然とした遺書をエリザベート内親王に書き、軽やかな足取りで断頭台を駆け上がり、王妃として誇り高く死のうが、そんなことって、そんなに大事じゃない気がするのです。

おっしゃるとおりです。

最近、仕事が激務で、アントワネットの王妃の仕事と自分の仕事を比べるわけではありませんが(笑)

無責任に仕事って出来ないですよね。出来ないから責任取らされても、文句言えません!

ただ、人それぞれ、仕事感や生活感やいろんなことって、まちまちですね。

王妃のエリザベート王女への手紙は朝日選書の150通の最後の手紙にありますが、楓は勉強のため、英訳されていたものを邦訳してみたのですが、文法なんでしょうか。

あーこう訳するんだなって勉強になりましたが、残りの149通も自分以外の人の心配をしている遺書ばっかりでした。

>でも民衆の憎悪の中に二人の幼い子を残してしまった・・。そして一人は生きのびることができなかった(号泣)

本当にそうですね。

ギロチンで処刑された人は、実に民衆も多かったようですね。

いろんな意味で、王女も王子も、ある意味、民衆の残された子供達と公平に、平等に不幸を味わっていたのでしょう。

いろんな手記や史実も、書く側の都合で変わっていますが、この残された子供達は、この時代、身分に関係なく多かった。

そのまま誰の世話も受けず死んでいった民衆の(極貧の)子供も多かったようです。

民衆の憎悪は、王妃一人だけではなく、隣の人にも同じように向けられていたということですが、考えが違えば、それは憎悪になる時代だったのですね。

私はとってもあの時代のフランスでは生きていけないと思いました。

ひっそり暮らしても、きっとスパイだ!とかいろんな容疑がかかちゃいそうですよね。

平和ボケといわれるこの日本の時代ですが、何の理由もなく容疑をかけられて死ぬより、この時代のほうがいいです。
| 楓 | 2010/12/08 9:30 PM |

ふくちゃん、こんばんわ。

>なんとなくわかりました。ブルボン家の王女は喪服を着ている・・

17才からアングレーム公と結婚するまで・・シェーンブルンで描かれたものですね。おそらく。<

どうしてわかったのですか!すごいですね!

「ブルボン家の王女は喪服」というのもさすがです。

どう考えてもその通りだと思います。

最近ですが、喪服に関係なく、マリー・アントワネットは黒のリボンが好きだったと聞きましたが本当でしょうか。

>やっぱり、かわいそう、と言ってもいいですか?

それが人の価値観と感動なんですよ!かわいそうでいいじゃないですか!

ふくちゃんのそういう温かさが素敵だと思います。
| 楓 | 2010/12/08 9:44 PM |

ふくちゃん。こんばんわ。

>久しぶりに、「ルネット」シャントレンヌ夫人、ポーリーヌ、ユー、クレリーらに再会です!!

うれしい。いずれは、ゴマン、ローランらにも会えますね!<

ゴマンはあの秘密の鉄扉をつくったゴマンで、ローランは内務大臣でしたか。

たぶん、この二人は友人のブログに登場すると思います。

なんだったかな、フランス市民の革命下の日記だったかな、その本なんですが、友人がその本に夢中になっていて、そこにいろんな新聞だったり、カフェで聞いた話や、見たこと、そして自分の感想が、日記として書かれているものですが。

この二人の話も日記にあるようです。

その革命下に日記をつけた人の記事を書いている友人ですが、一大事件のときに、時々何も書いていないところがあって、とっても不思議だと。

でもルイ16世やアントワネットの処刑は書いているそうですが。

友人の記事を読んで、友人の知識の深さに驚きました。

本の注釈や書いている内容に、あれ?って思うことができるってすごい。

だって、読んでもその日に「あの事件があったはず」なんて、わからないもの。(笑)

そのまま最後まで読んじゃうタイプです、私。

ふくちゃん、ごめんね。

今日はパソコンの調子が悪く、バッテリー使ってないのに、バッテリーがどうのと表示されて、すぐ休止になってしまいます。

なかなかコメントアップできません・・・。

>楓さまのあたたかなお心遣いがあって、来年再び、戦場へ戻り、再びたたかう勇気を12月のうちに、とりもどしていけそうです!

わたしはがんばれそうな気がします。

よかった〜!

でも私。

12月になって、たたかう元気がなくなった〜。

激務というか、いろんな問題が見えてきて、ただいま休戦したいところですぅ。
| 楓 | 2010/12/08 10:17 PM |

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