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エリザベート・フィリッピーヌ・ド・フランス 「マリー・テレーズの回想」から

Portrait of Princess Elisabeth Philippine Marie Helene de Bourbon, Madame Elisabeth, as a vestal virgin Charles Emmanuel Joseph Leclerq  (1753 - 1821)

ウェスタの処女に扮したエリザベート・フィリッピーヌ・ド・フランス
年代不詳、オークションハウス出品
チャールズ・エマニュエル・ヨゼフ・ラクリーク




マリー・テレーズの回想
引用・要約 マリー=テレーズ王女の回想録
−王家の幽閉生活に関して、1792年8月10日から弟の死まで− 

5月9日まで何事もなく過ぎた。床に就こうとすると誰かが扉を開いた。叔母は服を着終わって扉を開けた。

「女市民、降りるんだ。」

叔母(エリザベート)は私(マリー・テレーズ)を抱擁すると、「元気を出して気をしっかりもち、いつも神様におすがりなさい。父上と母上があなたに授けたキリスト教の教えを役立てるのですよ。」と、叔母は出て行った。

エリザベート王女(1764-1794)はルイ16世の妹。最期まで行動を共にしました。たいへん気丈な女性だと思いませんか?

エリザベート王女に対して「心優しい」という表現がよく使われているようですが、楓はただそれだけの天使のように清らかな王女としては、この記事を書くつもりはありません。

彼女こそ、自分の信念を最後まで貫いた女性といえるでしょう。それが独善的であっても。

エリザベート王女はもちろん王党派。王党派右翼ならず、彼女の場合は「王党派極右(王党派最右)」でした。

ご存知のように右翼、左翼という言葉は、このフランス革命から誕生したのですね。国民議会でアンシャン・レジーム(旧体制)を支持する右側の席からの由来だそうですが。

エリザベート王女はヴァレンヌの逃亡事件のあと、積極的に革命軍を潰すために、亡命中のアルトワ伯の陰謀を手助けしていたそうです。

アルトワ伯は外国軍隊がフランスへ侵入し、革命軍を破壊するよう催促します。それがマリー・アントワネットの兄レオポルト2世とプロシャ王とのピルニッツ宣言(1791)となるのです。

VIGEE-LE BRUN Elisabeth Louise, Portrait dÉlisabeth Philippine Marie Hélène de France, 4e quart du 18e siècle, Versailles ; musée national du château et des Trianons

エリザベート・フィリッピーヌ・ド・フランス
1782  ヴィジェ=ルブラン
トリアノン

 



セレスタン・ギタールの日記
引用・要約 フランス革命下の一市民の日記
セレスタン・ギタール著 レイモン・オベール編 河盛好蔵藍訳
5月10日 土曜日

気温15℃。南西の風。昨夜、雨。今日は晴れ。

今日、著名人25名が処刑された。そのなかにはカペーの妹、元エリザベート内親王も含まれていた。彼女は午後6時頃、最後に斬首された。その首がかかげられると、太鼓がはげしく打ち鳴らされ、群集は満足して帽子をほうりあげ、共和国万歳を叫んだ。

エリザベート・カペー、三十歳。ヴェルサイユ生まれ。ルイ・カペーの妹。

(以下略記)ディバック、ルヌフ・スルドヴァル、ラモアニョン、ベサン、フォローブ、ビュアール、ル・テリエ、クレシー=シャミヨン、アル、ロメニー(34歳)、ロメニー(64歳)、カリクスト・モンモラン、ボスト、ロメニー(30歳)

以上25名全員、カペーとその妻、一族および手先どもの謀略の共犯者であることが立証された。この陰謀により諸外国の同盟暴君どもとの戦争、また国内における内乱を引き起こせんとす挑発行為が行われた。謀反人どもは人的財政援助を敵に与え、軍隊を集合し、司令官を任命して、人民の虐殺、自由の破壊、独裁君主制の復活を企図した。以上の罪により死刑が宣告された。


この引用に際して、alei ありがと!

市民セレスタン・ギタールの日記には、エリザベート王女を含む25名の処刑の罪状が書かれています。(この日の美談がありますが、あれはもっと以前に処刑をまぬがれた人のことで、無関係だと思われます。)

ある記事に「有罪にしたくても口実すら見つからないエリザベートを有罪にしたてあげなくてはいけません。」とありましたが、記録によると、アルトワ伯と定期的な手紙のやりとりがあったのが確認されています。

そこにはエリザベート王女は、諸外国の介入で、旧体制を復元させる必要があるという見解を示したのです。

Sai がルイ16世の侍従クレリーの日記を記事にしていますが、そこから「なるほど〜」と思ったのは、「清教徒革命(ピューリタン革命)」では海外の介入がなかったために、革命は進行してしまった歴史の事実。

さらに名誉革命では、Sai は国王一家を殉教者として認めたくなければ国王一家の逃亡を許されるのではないかと考えていたからこそ、亡命(逃亡)をしたのではないかとあります。

記事 クレリーの日記 2 タンプル塔の無能な王

ルイ16世が、あのフェルセンと亡命するきっかけとなったのは「聖職者の民事基本法」ですが、エリザベート王女もこの法案に反対していました。

記事 惨殺されたフェルセンの最期

Sai の記事を読むと、国民会議で可決されtこの法案をルイ16世は可決していなかったのですね。この「聖職者民事基本法」は下記リンク先記事からどうぞ。

記事 クレリーの日記 1 ルイ16世の遺書

そう考えていくと、「有罪にしたくても口実すら見つからない」というのではなく、ギタールの日記にあるように「陰謀により諸外国の同盟暴君どもとの戦争、また国内における内乱を引き起こせんとす挑発行為が行われた。」というのが、この部分にあてはまる有罪です。

ルイ16世もエリザベート王女も、とてもズレた考えを持っていたのではないでしょうか?

市民の革命ではなく、ごく少数の謀反だと考えていたからこそ、諸外国の介入で内乱が起これば、その謀反人たちを全て片付けられると。

ところがフランス国民だったわけですよね。

ですから、国王一家は謀反人ではなく、フランス国民を威嚇することとなったのです。どうでしょうか、この考え方。

楓の記事の「マリー・テレーズ王女の回想記録」にも、この話しが出てくる。ただ楓はこのくだりをとばしている。女の人って、こういうところはトピックしないんだな。

この記事でトピックしようと思ってたのよ〜。

マリー・テレーズはまだ中学生の年齢にも達していません。叔母エリザベート、父ルイ16世、そして母マリー・アントワネットのそれぞれの考えを知らなくて当たり前です。

マリー・テレーズは介入してきたプルシャ(プロセイン)が、父ルイ16世が承認しているとは思ってもおらず、なんと馬鹿馬鹿しい話だろう。と書いています。

さて、エリザベート王女の信仰の篤さ、慈愛の心は事実だったと思われます。

芸術に関心があり、ヴェルサイユ宮殿美術館には彼女の素描などがあるそうです。

ところが、ルイ16世、マリー・アントワネット同様に彼女の慈善事業も少しもフランス市民の知らないところにあるわけです。

なぜなんでしょう。

結局、王族の慈善事業は何も解決されず、貧困はどんどん広まったからなのではないでしょうか。そして「心優しい」、「慈愛に満ちた」、「信仰篤い」その姿勢は、フランス国民に向けられていなかったのでは。

Madame Elisabeth (1764-1794), gemalt von Adélaïde Labille-Guiard

マダム・エリザベート 年代不詳、所蔵先不明
アデライード・ラビーユ=ギアール




マリー・テレーズの回想
引用・要約 マリー=テレーズ王女の回想録
−王家の幽閉生活に関して、1792年8月10日から弟の死まで− 

「おまえの名は?」

「エリザベート・ド・フランスです。」

「8月10日はどこにいた?」

「テュイルリー宮殿です。」

「おまえのダイヤモンドはどうした?」

「知りません。そんな質問は無駄です。初めから私を殺すつもりなんですから。私の命は神に捧げました。死ぬ覚悟はできています。なんとうれしいことでしょう。地上でかくも愛した尊敬すべき家族のところに行けるとは。」

叔母はいっしょに死ぬことになった人たちの部屋へ連れて行かれた。落ち着きと気高さと敬虔な優しさに満ちた口調で死を説いた。

断頭台に着くと、護送車から降りるときに、夫人達は叔母に接吻する許しを求めた。

叔母は信心に満ちた諦めの境地で、臨終の苦しみに耐えたのだ。

アングレーム公爵夫人となったマリー・テレーズは、この原稿を父の従僕だったクレリー(クレリーの日記のクレリーです)を通して取り戻し、加筆、そしてルイ18世の注釈や手を加えられている部分が出てきます。

このエリザベート王女の最後は、アングレーム公爵夫人となってからのものでしょう。

この回想にある同じ日に死刑になる人々とエリザベート王女の美談、伝説があるようです。小説からなのか、つくられたものなのかわかりません。

この部分はマリー・テレーズがタンプル塔を出てからのものです。美談の妊婦だった女性に出産するまで死刑は延長できることをエリザベート王女は説き、その女性は死刑からまぬがれたという話がありません。

もっとあとに「つくられた話」なのか、それとも「知らなかった話」なのでしょうか。

wiki によると最後の言葉が「「礼儀を守りなさい、ムッシュー、ショールをかけなさい。」だったそうです。

エリザベート王女が処刑人に命令のような言い方をするかしらと、ふと思いました。

「慎み深さの名において、ムッシュー、ショールをかけてください。」

私はそのように訳したいと思いました。

Elisabeth de France Princess 1782 Élisabeth Vigée-Lebrun

エリザベート・フィリッピーヌ・ド・フランス
1782 ヴィジェ=ルブラン
ヴェルサイユ宮殿 Château de Versailles




マリー・テレーズの回想
引用・要約 マリー=テレーズ王女の回想録
−王家の幽閉生活に関して、1792年8月10日から弟の死まで−

マリー=フィリピーヌ=エリザベート=エレーヌ、国王ルイ16世の妹は、常に徳の見本として生きたのち、1794年5月10日に30歳で死んだ。14歳から神に身を捧げ、魂の救いしか考えなかった。

1790年以来、私はますます叔母を尊敬するようになった。叔母の中に見出せるのは、キリストの教え、神への愛、罪に対する恐れ、優しさ、信仰、謙虚さ、家族への深い愛情だった。

叔母は家族のために命を投げ出し、国王と王妃のそばを決して離れようとしなかった。やはり王家の血筋にふさわしい王女だったのである。

叔母は死ぬまで私に親切だったが、そのことはとうてい言葉では言い尽くせない。実の娘のように私の面倒を見てくれたし、私は私で叔母を二人目の母として敬い、心からしたっていた。

(略)

どうか私が叔母の徳をひとつ残らず受け継ぎ、いつの日か神のみもとにいる叔母と両親のところへ行かれますように。

マダム・エリザベート(Madame Elisabeth)は、本当に謙虚な人だったと思われます。でも肖像画の彼女は、やはり自分の信念を貫くお顔立ち。

Madame Elisabeth (1764-1794), gemalt von Adélaïde Labille-Guiard

マダム・エリザベート 年代不詳、所蔵先不明
アデライード・ラビーユ=ギアール


フランス人として生きたい。それが彼女の信念だったと思うのです。ですから結婚もせず、そして国外にも逃げず。

それでもヴァレンヌの逃亡には一緒でした。

マダム・エリザベートは、マリー・アントワネットをどう見ていたのでしょう?

それだけの人格者なら、王妃としてのマリー・アントワネットをたしなめることができなかったのでしょうか。

あるいは王妃への不安でルイ16世のもとに残ったのでしょうか。

マリー・アントワネットからエリザベート王女への遺書

あなたにです、妹よ。最後に書き送るのは。

私は恥ずべき死刑の判決を受けのではありません。死刑は犯罪人にとってのみ恥ずべきものです。あなたの兄上と一緒になるための。

あの方と同じく潔白の私は、最後の時に際しても、あの方と同じ毅然とした態度でいることでしょう。

良心の咎めがなく、私は平静な気持ちです。憐れな子供達を残していくことだけが心残りです。この気持ちを判って頂けるでしょうか。

私が生きてこられたのは、子供達と優しく親切なあなたがいらっしゃったからです。友情とはいえ、何もかも私達のために犠牲にしてくださったあなたを、なんという状況の中に残していかなければならないのでしょう。

裁判で知ったのですが、娘はあなたから引き離されてしまったのですね。なんという哀れな子でしょうか。

あの子へ手紙は書けません。届きもしないでしょう。この手紙も、あなたに届くかどうかわかりません。

どうぞ二人の子供のために、ここに私の祝福を受けてください。

子供達が成長した時、あなたと一緒に、あなたの優しいお世話を受けられるように。

私がいつも言い聞かせていた、原則を守ること。人生の第一の基本なのだということです。互いに仲むつまじく、信頼を持つなら、幸せになれるということを。

娘はある年齢になっているのですから、愛情と経験から、生まれ出る助言によって、常に弟を助けていかねばならないことを感じてほしい。

息子もやさしい気持ちで姉に何でもしてあげてほしい。どんな環境に置かれようとも、二人が力を合わせなければ本当の幸福はない、と理解してほしいのです。

二人が私たちに倣ってくれるように。不幸のさなかにあって、私たちの親しみあう気持ちがどれだけ慰めを与えてくれたことか。

幸せな時を分かち合えることで喜びが倍になります。家族以外のどこで、より優しい、より貴い人相手がいるでしょうか。

息子は私が何度も繰り返し、父の最後の言葉を決して忘れないように。つまりわたしたちの死の復讐を決して思わないように。

それから、これは申し上げるのも切ないのですが、息子がどんなにあなたに苦労をかけたのか、知っております。

どうか許してください。まだ幼い子供です。大人の望み通りの事を、息子が理解できに事さえ容易く言わせることが出来るのをお考えください。

あの子達に対するあなたの優しいお気持ちを、息子が理解できる日がいつかは来るものと思います。


さて私の最後の気持ちを打ち明けておきます。裁判が始まった時からお伝えしたかったのですが、手紙を書かせてもらえなかったことは別にしても、裁判が早く進みすぎたのです。それで本当のところ時間もなかったのです。


私は代々信じてきました神聖なるローマ・カトリックの宗教を奉じて死んでいきます。

心の慰め(霊的慰藷)も期待しません。この世にその宗教の司祭がいるのかどうか、いたとしても彼らが私のいる場所に一歩足を踏み入れれば危険に晒されるかどうかもわからぬまま、死んでいきます。


私は生まれてからこれまでの全ての罪の赦しを、神に願います。これは今までにもお祈りしてきましたが、私の最後の願いになります。

皆様、そしてあなたには、そのつもりはなくとも心配をおかけしたことをお詫びしたいと思います。また私に危害を与えた敵を、みな許します。

叔母様、兄弟、姉妹の皆様に最後のお別れを申し上げます。私にも友達がありました。二度とお目にかかれないと思い、その方たちのお気持ちを察すると、それが死に際してもっとも心残りなことです。

この方々のことを最後の瞬間まで考えていた、とお知り置き願いたいと思います。

アデュー(永遠にさようなら)、良い人柄で優しい妹よ。どうぞ手紙があなたに届きますように。いつも私を忘れないでいてください。あなたと、あの哀れな子供達を心から抱擁しましょう。

神よ、永遠の別れとは、胸が張り裂けそう。

アデュー、アデュー、もう後は、神に一切をお任せするだけです。私は思いどおりに出来ない境遇なので、おそらく宣誓司祭が連れてこられるでしょう。

私は宣言します。何も言わず、断じて無縁の人間として対応するつもりです。

届かなかったこの手紙は、20年近く経て、ルイ18世が公開しました。預かっていたロベスピエールも処刑されてしまったことがあるからでしょうか。ほかにも理由があるかもしれませんね。



本文中の引用・要約  マリー=テレーズ王女の回想録 ジャック・ブロス編 訳 吉田春海 マリー・アントワネットの遺書は、参考にした英語版、フランス版を、楓が英訳、仏訳したものをまとめ、最後に信頼できる「150通の最後の手紙(朝日新聞社)」で照らし合わせたものです。内容的には大丈夫かなといたしました。また、霊的慰藷は「150通の最後の手紙(朝日新聞社)」でそう表現されていました。

| ブルボン家 | 22:55 | comments(4) | trackbacks(0) | pookmark |
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コメント
楓さま、こんばんは。

やっぱり、あらためて、ほぼ全文(今回、楓さまが紹介された、王妃の遺書は、パーフェクトな全文では、ありませんものね。
本来は、もーう少し長く、そして、もっと‘はげしく’こまやか。微笑)を読みますと、心を打たれますね・・

わたしは、王妃も国王も、エリザベート内親王も、とにかく、生まれ落ちた時からずーっと、王権神授説の信奉者であるわけで、
だからこそ、あの、ばかばかしい儀式ばった私生活をさらし続け、また、耐えてもこられたし(王妃は途中から、トリアノンに現実逃避しましたが。苦笑)、
彼らの矢印が、時代の波とことなる方向をさしていたとしても、そのことにつき、彼らを、どうこう申し上げる気持ちがあまり、おこらないのです。

彼らの人間としての核心は、時代遅れとか、無能、とか、そんな、ひとことで片付けられるものではないと思うのです。

最後の最後まで、世界中から見捨てられても、彼らは王家の人間として生きる、必死の努力をつづけた、その必死さこそ、彼らの人としての、私たちがどうこうと語るべき、価値そのものなのではないでしょうか。

ゴマンとローランは、タンプルに残された王子と王女を、はじめて‘人間らしく’扱った、人間らしい心の温かさをもった、ごくごくフツーの(笑)、かつ、ヒラの牢番たちの名前です。

なにせ、当時、ルイシャルルは、まったく日差しの入らない、換気もない、真っ暗な部屋に、9ヶ月ほど、たったひとりで監禁されておりました。
彼の部屋には排泄施設が、あえてつくられず、彼の糞尿が山をなしておりました。
すべての非衛生な害虫と動物が部屋でうごめいており、王子のからだじゅうにたかっていました。

王女は、弟の面倒をみたい、弟は病気です、と国民公会(だったかな。途中で一度、名称の変更あり。)に、簡潔なメッセージを送り続けます。

ローランとゴマンは、はじめて王子を見たとき、どちらも、これが‘人’かと、見まがい、動転し、衝撃を受け、逃げ出したくなったそうです。
でも、彼らは、王子の身体を洗い、虫をとり、塔の上に付き添い、連れていきます。
王子に空気、というものを吸わせるためです。
もう、ルイシャルルの身体のすべては「腐って」おりましたから。
でも、王子の優しい心、精神はそこなわれておりませんでした。
私は、この一事にのみ、人間の輝きを見る思いが、いたします。

また長く、なってしまいました・・すみません。

楓さま、つかれている時は、おやすみすることが大切です。
だって、私なんか、ずーっとやすんでるんですよ(笑)。
休むこと、自分をいたわることは、自分にしかできないものです。
決して、無理をしてはいけません。

だって、私たちは、こわれやすく、バランスをくずしやすい身体をもった「女性」なのですもの。
どうか、ゆっくりなさいませ。
| ふくちゃん | 2010/12/09 2:39 AM |

ふくちゃん、こんばんわ。

王権神授説の時代ですが、ルイ14世の時代なら、王家に生まれたかったです。(笑)

儀式ばった生活は退屈だったようですが、私のように依存心が高い人間なら、なんでもやってくれる人が周囲にいたら、どんなによいかしら〜と。

とくに女官や臣下には、素晴らしい人材を登用する自信あり!(笑)
| 楓 | 2010/12/10 8:00 PM |

管理人さんの「さらば王家よ」の記事で、アントワネットの遺言に興味をもちました。やっぱり殉教死となるような遺書の書き方だ。マリー・アントワネットが頭がいいのか、ルイ16世がいいのか。

管理人さんのお友達のクレリーの日記で「国民公会は凡庸な男を殉教者に変えてしまった」とありましたが、記事を読むとやっぱり家族で「イギリス革命」を読んでいたとありました。本当に興味深い。

ちなみに、わたしがこの遺言で発見したのは「子供達が成長した時、あなたと一緒に、あなたの優しいお世話を受けられるように。」という部分です。これは今後の政治情勢をアントワネットは書いている。

王妃は国外追放ぐらいに最初は考えていたと思う。それが死刑。ということは、王族も貴族も王太子が国王になることを望まないと断言できますね。もちろんオーストリアも。王妃を死刑にするということは、摂政にさせないためでしょう。

エリザベート王女も察していたと思います。これは王女に対しての念押しで、遺言が公開されたときに、二人が誰の手にも渡らないよう、エリザベートにお願いするということだったかー。

もしも、ルイ17世が紛れもない直系で、もう少し大人だったら・・・、いえ、やっぱり大人だったら処刑?。

オーストリアはさすがな対応です。肉親といえども国を守る義務を優先した。

この遺言は、管理人さんのように、ある程度以上の教養がないと、単なる読み物で終わってしまいますね。
| 靴屋のシモン | 2010/12/23 9:23 PM |

シモンさん、こちらにもコメントありがとうございます。

おっしゃるとおりです。するどい洞察力ですね!

肉親を守れば国民が犠牲になる。そう考えられるのが国王でなければならないですね。

そうしてエリザベート王女に託そうとした子供たち。

マリー・テレーズは13歳でタンプル塔に幽閉されました。

当時の断頭台の犠牲者の最年少は14歳です。マリー・テレーズはその2年間で15歳になっています。

そして当時は14歳、15歳の子供たちが戦場に行っています。

アントワネットはもしかするとマリー・テレーズのことが一番心配だったと思います。もしかすると、14歳になったときに王妃と同じ最後を迎えなければならないのではと。

ルイ・シャルルの場合、まだ小さかったのですぐの心配はなかったと思います。

ただルイ・シャルルの場合は、もしも釈放されたときに、政治の背景で扱いが変わるということですよね。

それにルイ直系とは思われていないのですから。

誰にどのような形で引き取られるのか心配だったのでしょうね。
| 楓 | 2011/01/03 6:02 AM |

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