オルガ・コクローヴァ
2006.08.21 Monday
バレエ・リュスのパリオペラ座初演は、イーゴリ・ストラヴィンスキーが作曲した、L'Oiseau de Feu(火の鳥)でした。1910年6月25日のことです。
バレエ・リュスに関係した芸術家は、ストラヴィンスキー、ドビュッシー、ラヴェル、R.シュトラウス、サティ、マヌエル・デ・ファリャ、プロコフィエフ、プーランク、ジョルジュ・オーリック、ミヨー、ピカソ、マティス、ドラン、マリー・ローランサン、シャネル、ブラック、ユトリロ、エルンスト、ミロ、デ・キリコ、ルオー、コクトー、など。(引用:Wikipedia)
1760年に、 ノヴェールによってバレエ・ダクシオンについての著作が発表され、動き、音楽、装置、衣装など、すべての構成要素を、ひとつの芸術作品とすることが確立されていました。(画像引用:olga's gallery art)
1909年にバレエ・リュスによるパリのシャトレ劇場での「Les Sylphides」は、振付がミハイル・フォーキン 音楽はフレデリック・ショパンでした。1832年、シャルル・ ノディエが物語にしたものをアドルフ・ヌリが脚色し、バレエ「Les Sylphides」は、マリー・タリオーニが最初で、マリーの父が振付で、音楽は、J.シュナイツホーファでした。マリーは、はじめてのトゥシューズとチュチュで踊り、ロマン主義とロマンティックバレエの時代が開花したのです。
時は流れて1917年のパリのシャトレ座。ディアギレフ率いるバレエ・リュスは、コクトー作「 Parade バラード」を初演。音楽はタイプライターの音、自動車のサイレンが響く、サティの「Parade バラード」、そして美術はピカソが担当しました。(画像引用:Marcel Proust 旅芸人の一座が、ある見世物小屋の前で見世物をします。つまり旅芸人の一座の見世物で、通行人たちは「見世物小屋の見世物」と思い、誰も「見世物小屋」へ足を踏み入れず、一人の入場者もいない「見世物小屋」のお話です。このとき、詩人アポリネールがはじめて「シュールレアリズム」という言葉で、このバレエを表現します。
ピカソは恋人エヴァが亡くなったあとのことで、「アヴァンギャルド」から「ピカソ・クラシック」への転換期として、この「Parade バラード」との出会いは決定をもたらしたのです。そしてバレエ・リュスで最初の妻オルガ・コクローヴァと出会ったのです。引用、要約サイトおよびコスチューム参考サイト
Pablo Picasso
Art Online History
olga's gallery art
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ピカソ「Parade バラード」コスチューム、舞台美術
Curtain Design for Parade, 1917 (「Parade バラード」)
Pantomime Horse Studies for Parade, 1917
IL RITRATTO CHE PICASSO NON DIPINSE
2002年「Parade バラード」コスチューム、舞台美術
最初の妻 オルガ・コクローヴァ とはどんな女性だったのでしょう。
Pablo-Olga-Khokhlova-Picassos-First-Wife

Portrait d'Olga dans un fauteuil1918
(Olga in an Armchair)
画像引用元:oldmasterpiece.com
Olga pensive
『Portrait of Olga 1921』 Pablo Picasso
愛息パウロが誕生した頃。1923年
Olga Olga Koklova - First Wife -
画像引用元:artquotes.net
1925年
Man Ray マン・レイによる Olga et Paolo
『Portrait of Olga Picasso & Son』 『Mother And Child』

1917
Obra de Picasso.Olga Koklova con mantilla
画像引用元:Andalucía de cerca
『Olga Picasso by Picasso Estate Collection』

Portrait of Olga Picasso
画像引用元:incognitas
引用、要約サイトおよびコスチューム参考サイト
Pablo Picasso
Art Online History
olga's gallery art
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The Story Of Olga1923年、ソファーで寛ぐオルガ。上流階級にピカソもデビューし、作風も変化します。「私とわかる絵を描いて」というオルガ。愛情を表現した「オルガとパウロ」、「母と子」などの作品は、次第に個性豊かな美貌の女性たちへと注がれていくのです。
オルガがピカソと結婚したのは1918年のこと。ロシア正教会で式を挙げました。出席者には、ジャン・コクトー、マックス・ヤコブがいました。
ピカソが家族にオルガを紹介したときに、ピカソの母は外国人との結婚を非常に心配したとして、ピカソは「スペイン少女のオルガ」を描いて母に渡したそうです。オルガはスペイン人、ボヘミアン気質だからという虚像を渡したようなものですね。
ペドロ・アントニオ・デ・アラルコンの短編小説にマヌエル・デ・ファリャが作曲した「三角帽子」はバレエ・リュスが1919年に初公演。オルガとピカソは舞台と衣装デザインのために出かけていきます。
パウロが誕生するまで、二人には共通の「バレエ」があり、ピカソはバレエのステージの設計、衣装のデザインを手がけ、オルガと同行していました。ところがパウロの誕生とともにピカソは妻オルガ以外の女性と恋愛関係を展開していきます。
1935年に、いよいよオルガは離婚訴訟をおこしました。ところがピカソは均等に資産を分割するのを拒否したので、オルガは法的に妻のままでいることにしたのです。
虚栄心が強いと言われていたオルガ。でもピカソは恋愛遍歴者。二人とも人間の業が互いに強かったというだけでしょうか。
ピカソの母が心配したとおりに外国人との結婚生活が災いしたのかもしれません。スペイン生まれでボヘミアン気質のピカソ。牧歌的で自由を謳歌する生き方は、ボヘミアンの遊牧生活そのもの。そしてオルガはロシア将校の令嬢。
ブルジョワ生活に慣れていたオルガをボヘミアン気質のピカソからみると虚栄心の強い女性に映ったのでしょう。
ピカソの強いアプローチで結婚したオルガ。ですが、オルガだけではなくピカソの愛した女性たちは、不幸な結末を迎えているようでした。


























