世界でいちばん美しい詩 林古渓 「浜辺の歌」
2006.07.08 Saturday
成田為三の作曲は、美しい旋律を奏でます。林古渓の作詞の「浜辺の歌」を、よりいっそうに海の彼方へ誘います。浜辺の歌 作詞:林 古渓/作曲:成田為三
あした浜辺を さまよえば、
昔のことぞ しのばるる。
風の音よ、雲のさまよ、
よする波も かいの色も。
ゆうべ浜辺を もとおれば、
昔の人ぞ、忍ばるる。
寄する波よ、かえす波よ。
月の色も、星のかげも。
堀内敬三・井上武士編『日本唱歌集』(1958 岩波文庫)より
初出の歌詞は、この岩波より40年前にセノオ楽譜版から出版されています。その表紙は竹久夢二の「浜辺の歌」でした。
この「浜辺の歌」の歌声を聴くことができます。特に皆様に聞いていただきたい歌い手を選びました。
木村 弓さんの歌声は、天の響き。【試聴】
天の響きは、思いがけずに泣くきっかけを与えてくれる。
波多野 睦美さんの歌声は、地の響き。【試聴】
地の響きは、静寂な響き、無我無欲の響き。
畠山美由紀さんの歌声は、人の響き。【試聴】
人の響きは魂の叫び。心が震える時が来るのを知っている。
さて、ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、この「浜辺の歌」は、四節から成り立っていたものです。林古渓本人が趣向のちがいがあるとして、三節目を歌われるのを望まず、四節目も浜辺の波にさらわれたようです。
本人が望まない三節目は、続きから。
「浜辺の歌」の誕生について
セノオ楽譜版『浜辺の歌』1918年(大正7年)10月1日発行
初出の歌詞 楽譜初版表紙 竹久夢二 「浜辺の歌」
一
あした浜辺をさまよへば
昔のことぞしのばるゝ。
風よ音よ、雲のさまよ、
よする波もかひの色も。
二
ゆふべ浜辺をもとほれば、
昔の人ぞ、忍ばるゝ。
寄する波よ、かへす波よ、
月の色も、星のかげも。
三
はやちたちまち波を吹き、
赤裳のすそぞぬれもせじ。
やみし我はすべていえて、
浜辺の真砂 まなごいまは。
これが林古渓の原詩ではなく、二節の「風よ、音よ」、三節と消失した四節をあわせて三節としたもので、当時の版権意識がない風潮が感じられます。1720年、クラヴィア組曲 第1巻の「アリアと変奏曲」をイギリスの楽譜出版業者リンターンがヘンデルの死後に、「調子のよい鍛冶屋」と改名してしまったことも思い出されます。
さて、この三節と四節は、大正12年には、二節の「風よ、音よ」が、最初の岩波の二節とおなじ「かぜの おとよ」になっています。
雑誌「音楽」1923年(大正12年)8月号(第4巻第8号)
あした はまべを さまよへば、
むかしの ことぞ しのばるる。
かぜの おとよ、くもの さまよ。
よするなみも、かひの いろも。
ゆふべ はまべを もとほれば、
むかしの ひとぞ しのばるる。
よする なみよ、かへす なみよ。
つきのいろも ほしの かげも。
はやち たちまち なみを ふき、
赤裳の すそぞ ぬれもひぢし。
やみし われは すでに いえて、
はまべの真砂 まなご いまは。
さて、ここからは私の戯言です。
赤裳とは、女性を暗示させているのでしょうか。万葉集では恋の歌、妻を思う歌にあらわれます。そして四節と思われる。− はまべの真砂は、笠女郎の万葉集第四にある「浜の真砂を全部合わせたって、私の恋心の果てしなさ」を思い出す。
万葉集 第七
我妹子が赤裳の裾のひづちなむ今日の小雨に我れさへ濡れな
妻の赤い裳のすそを濡らしているだろう今日のこの小雨に、私も濡れよう。
万葉集 第十一
立ちて思ひ居てもそ思ふ紅の赤裳裾引き去にしき姿を
立つとも座ろうとも、赤い裳の裾を引いて帰っていったその人の姿が頭からはなれないという恋歌があります。朱塗りの大橋の上を赤い裳裾をひるがえしつつ独り行く娘を見て,恋心を抱く若者の心情が歌われた。
万葉集 第四
八百日往く浜の真砂も吾が恋にあに勝らじか沖つ島守
歩き尽くすのに八百日もかかるような長い長い浜―そんな浜の真砂を全部合わせたって、私の恋心の果てしなさには敵いますまい。そうでしょう、沖の島の島守よ。
まさごの真砂ですが、まなごは砂子、・・・と思うのですが。まさごもまなごも細かい砂の意味。浜辺でつくる砂の城は、永遠に完成しない。それはひとひらの雪は手のひらでとけて行くのと同じですね。まるで儚い命を詩っているようにも思えます。
すなごと読めば、金銀箔をちりばめた短冊があります。「金銀砂子〜」とうたわれる七夕の歌。もはや林古渓の「浜辺の歌」を知る術がありません。
ですが、これは想像であり、林古渓からは「過去は葬るのみ」という声が聞こえてきそうです。
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立田姫
DECO 夢二
初出の歌詞 楽譜初版表紙 竹久夢二 「浜辺の歌」
一
あした浜辺をさまよへば
昔のことぞしのばるゝ。
風よ音よ、雲のさまよ、
よする波もかひの色も。
二
ゆふべ浜辺をもとほれば、
昔の人ぞ、忍ばるゝ。
寄する波よ、かへす波よ、
月の色も、星のかげも。
三
はやちたちまち波を吹き、
赤裳のすそぞぬれもせじ。
やみし我はすべていえて、
浜辺の真砂 まなごいまは。
これが林古渓の原詩ではなく、二節の「風よ、音よ」、三節と消失した四節をあわせて三節としたもので、当時の版権意識がない風潮が感じられます。1720年、クラヴィア組曲 第1巻の「アリアと変奏曲」をイギリスの楽譜出版業者リンターンがヘンデルの死後に、「調子のよい鍛冶屋」と改名してしまったことも思い出されます。さて、この三節と四節は、大正12年には、二節の「風よ、音よ」が、最初の岩波の二節とおなじ「かぜの おとよ」になっています。
雑誌「音楽」1923年(大正12年)8月号(第4巻第8号)
あした はまべを さまよへば、
むかしの ことぞ しのばるる。
かぜの おとよ、くもの さまよ。
よするなみも、かひの いろも。
ゆふべ はまべを もとほれば、
むかしの ひとぞ しのばるる。
よする なみよ、かへす なみよ。
つきのいろも ほしの かげも。
はやち たちまち なみを ふき、
赤裳の すそぞ ぬれもひぢし。
やみし われは すでに いえて、
はまべの真砂 まなご いまは。
さて、ここからは私の戯言です。
赤裳とは、女性を暗示させているのでしょうか。万葉集では恋の歌、妻を思う歌にあらわれます。そして四節と思われる。− はまべの真砂は、笠女郎の万葉集第四にある「浜の真砂を全部合わせたって、私の恋心の果てしなさ」を思い出す。
万葉集 第七
我妹子が赤裳の裾のひづちなむ今日の小雨に我れさへ濡れな
妻の赤い裳のすそを濡らしているだろう今日のこの小雨に、私も濡れよう。
万葉集 第十一
立ちて思ひ居てもそ思ふ紅の赤裳裾引き去にしき姿を
立つとも座ろうとも、赤い裳の裾を引いて帰っていったその人の姿が頭からはなれないという恋歌があります。朱塗りの大橋の上を赤い裳裾をひるがえしつつ独り行く娘を見て,恋心を抱く若者の心情が歌われた。
万葉集 第四
八百日往く浜の真砂も吾が恋にあに勝らじか沖つ島守
歩き尽くすのに八百日もかかるような長い長い浜―そんな浜の真砂を全部合わせたって、私の恋心の果てしなさには敵いますまい。そうでしょう、沖の島の島守よ。
まさごの真砂ですが、まなごは砂子、・・・と思うのですが。まさごもまなごも細かい砂の意味。浜辺でつくる砂の城は、永遠に完成しない。それはひとひらの雪は手のひらでとけて行くのと同じですね。まるで儚い命を詩っているようにも思えます。すなごと読めば、金銀箔をちりばめた短冊があります。「金銀砂子〜」とうたわれる七夕の歌。もはや林古渓の「浜辺の歌」を知る術がありません。
ですが、これは想像であり、林古渓からは「過去は葬るのみ」という声が聞こえてきそうです。
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