マリー・アントワネットが愛したもの
2006.11.01 Wednesday
「これはフランス王妃の肖像画ではなく、派手に着飾った女優の絵!」と、母マリア・テレジアは、アントワネットの送られた肖像画をみて愕然としました。いったいどの肖像画だったのでしょうか。王太子ルイのもとへ14歳で嫁ぎ、マリー・アントーニアから、マリー・アントワネットと呼ばれるようになったのは、1770年。
関連記事この肖像画は(タイトル、画家は、画像にカーソルをあわせてください。)、すでに王妃となった7年後の、21〜2歳のとき。あのオスカルを近衛連隊長に願いでたのは、王妃となった5年前ということで、16歳の頃ですね。(笑)この肖像画は、下のジャン・バティスト・ゴーティエ・ダゴティのフランス王妃の左右を逆に描いています。
王大子妃 マリー・アントワネット
ハプスブルグ家 マリア・アントーニア
作品「マリー・アントワネット」の肖像画の画家はこちらフランス王妃となったマリー・アントワネットの肖像画です。アントワネットは、奢侈に身を費やしたといわれています。そのために「首飾り事件」などに巻き込まれていきます。宮廷生活を楽しみ、フェルゼンとの恋もあったとしても、マリー・アントワネットの求めた王妃像は、美しく慈悲心にあふれた王妃であり、その理想に近づこうと、努力を怠らなかったといいます。ルイ14世の弟、オルレアン公の妻であったエリザベトが、そう書き残しています。
ゴーティェ・ダゴディ 二人の画家
左から、12歳、7歳ですが、右は3歳〜5歳くらいでしょうか。23歳にして若き君主となった「女帝マリア・テレジア」の末娘として育てられた時代。この頃からクグロフが好きだったのでしょうか。
14歳の頃。ヴェルモン神父にフランス語を学び、母国語のほか、イタリア語(ラテン後)も堪能だったそうです。この思春期にはいったばかりの少女が、翌年に異国へと嫁ぎます。孤独を感じないはずがありません。思惑がどうであれ、取り巻きを「やさしい」と思い、信頼を寄せていく。ランバル公妃、ポリニャック夫人、王弟アルトワ伯爵、スウェーデン貴族フェルゼン卿へ。甘言で、奢侈に走らせた彼らこそが、もっとも華やかな宮廷生活を送ったのではないでしょうか。事実、それを指摘する貴族を追放させています。この追放された貴族達がマリー・アントワネットへの憎悪を煽ります。
ローズ・ベルタン嬢につくらせたトリアノン・スタイルでしょうか。エンパイア・ドレス風のシュミーズ・ドレス、白・緑・うす紫・青というブルー系、そして矢車菊の食器などを好んだアントワネット。牧歌的なプチ・トリアノンの庭にはローズ等の花々を植えさせ、その香りを楽しんだそうです。その庭には、ロサ・セイティフォリアは植えられていたのでしょうか。エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランの描いた、何枚ものアントワネットの肖像画で手にしている薔薇の花。それがロサ・セイティフォリアらしい。
資生堂限定の「ロイヤル・ローズ」に使われているのが、ロサ・セイティフォリア。エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランの描いたアントワネットが手にしています。彼女は、アントワネットの肖像画を次々と描いていきます。でも、ヴィジェ=ルブランの描くアントワネットは、どれもマネキンで、ほかの肖像画より魅力を感じません。彼女は、アントワネットに好意を持っていなかったのでしょうか。ヴィジェ=ルブラン自身の自画像は、素晴らしく美しいのに・・・。(この肖像画の2年後、1785年に首飾り事件が起こります。)
このヴィジェ=ルブランの描いたアントワネットの肖像画を中心に、薔薇の花を集めてみました。下の段の中央は、ロサ・セイティフォリア。

この薔薇はロサ・セイティフォリア系で、たくさんのロサ・セイティフォリアと名がつく薔薇があります。ルイ16世王妃マリー=アントワネットの博物蒐集室付素描画家の称号を得たルドゥーテ。のちにジョセフィーヌ皇后の庇護を得るのですが、彼の描いた花と野生のロサ・セイティフォリアを、こちらからご覧ください。とても綺麗です。
この可憐なアントワネットは、フランスには愛されませんでした。ジャン・ジャック・ルソーが「告白録」の中で、「偉大な王女の言葉」として「Qu'ils mangent de la brioche」-(パンがなければ)彼らにブリオッシュを食べさせなさいと言ったことを記しています。1740年のことです。ルイ15世の娘、アデレイド内親王が言った台詞は、そこから拾ったのでしょう。そして、それはアントワネットの言葉として広がりました。ルイ14世、アントワネットを憎む民衆たち。革命側が事実を捻じ曲げて伝えた成果です。
実際の平民の生活
マリー・アントワネット フランス紀行から

そうして、王太子ルイ・ジョゼフが7歳で亡くなったとき、葬儀が出せないほど財政が悪化しているのを、アントワネットは初めて知るのです。そして1789年、フランス革命勃発。1791年、タンプル塔に幽閉。ルイ・オーギュストの事を最も愛していたアントワネットと子供達は、つかの間の家族愛を確かめ合います。生き延びた姉マダム・ロワイアルが最後まで沈黙したのは、17世(ルイ・シャルル)の行方。

こうした彼女は「悲劇の女王」なのかもしれませんが、断頭台での毅然としていたアントワネットは「誇り高き女王」であり、民衆の憎悪に対して、美しく慈悲心にあふれた王妃であったのでしょう。悲劇とするなら、政治に無関心でありながら、民衆に愛されたい思ったこと。結局、愛したものに愛されなかった。フランスという国、そして民衆に。
「早くすませて下さい。」 最後にアントワネットは、そう言ったのです。
Marie Antoinette Portraits
Marie Antoinette On Line
※大きい画像はこちらからご覧いただけますが、このサイトで使用している画像があるとは限りません。
マリー・アントワネット関連記事
映画 マリー・アントワネット
ワイン マリー・アントワネット
ルドゥーテのロサ・センティフォリア
100枚の花びらの薔薇 資生堂 香水 ローズロワイヤル
香水 バラ ヴェルサイユ
香水 ジャン デプレ バラ ヴェルサイユ
薔薇 ロサ・センティフォリア
アントワネットのショコラ ドゥボーブ・エ・ガレ
記事をご紹介していただきました。
アントワネットが愛した薔薇 ロサ・センティフォリア
「blog 英文 ダウジング翻訳のメモ」さまですが、知識のひろさを痛感しますよ!ちなみに、「北アフリカ 1860 プロシアの男爵Adalbertと医者の Robert Hartmann」は、こんな美しいリトグラフがあるの!という感激を受けました。こちらのブログでしか拝見できない記事です。
さて、マリー・アントワネットが遺した品々です。
2008年エキシビジョンから
「A Visit to the Exhibition on Marie-Antoinette at the Grand Palais 」
こちらはマリー・アントワネットの母、マリア・テレジアのランチセットです。輝いた金は鏡のようです。
マリア・テレジアは旧敵フランスと7年戦争でマダム・ド・ポンパドゥール夫人と提携し、アントワネットはその後も関係を続けるための縁組となったのです。アントワネットのコレクション
ヴェルサイユ宮殿の装飾で日本の陶器でできた「鶏」の小箱です。アントワネットのコレクション
これも「扇子」の漆塗りの小箱。マダム・ド・ポンパドゥールはどちらかといえばシワノズリが残っています。アントワネットのコレクション
とってもお気に入りだったよう。ニップル・ボウルって呼ばれてたらしい。あれぇという感じ。(笑)
これこそアントワネットという調度品
こちらは有名はマルタン・カルランのコンフォートです。マダム・ド・ポンパドゥールにルイ15世が贈ったセーブルの陶板がはめ込まれたものもあります。デュ・バリー夫人のコモードも残っています。マリー・アントワネットは、寝室の装飾に使用していたらしい。
ヨーロッパ中から集められた300点以上の作品は、教育や芸術および政治に関する、マリー・アントワネットの人柄の各側面を知る手がかりを与えてくれます。中には、絵画(ヴィジェ=ルブラン)、彫刻(ルモワンヌ、ボワゾ、ルコント)、工芸品(カルラン、リーズネル、 ヴァイスヴァイラー)の素晴らしい作品もあります。(C)R.M.N

マリア・アントーニアの時代。兄のヨーゼフ結婚祝賀でのバレエを踊る姿が描かれています。

こんな家族愛を遺した肖像画です。子供たちはマリー・テレーズ王女、ルイ王太子(ルイ17世)。

エリザベス2世女王陛下のコレクション
(C)The Royal Collection
マリー・アントワネットの装飾品 セーブル陶器 1779年

1871年の王太子誕生
アントワネットとルイ16世の王子ルイ・ジョセフ誕生
刻々とフランス革命が襲ってくる8年前。王太子誕生は一時の幸福を与えてくれます。
ルーヴル美術館では、アントワネットの書き物机やセーヴルの食器などを所蔵しています。
この「書き物机」はサン・クルー城のアントワネットの内居室にあったもの。アダム・ウェイスワイラーが制作し金鍍金工フランソワ・レモンが金箔のブロンズの装飾を手がけたとありました。日本の漆器の板がはめ込まれたジャポニズム。(C)louvre
マリー・アントワネットの肖像画は多くの画家が描いています。王妃ですが、母マリア・テレジアと違い、寓意画のように、なにかにたとえているような肖像画も多いと思いました。
特に次の2点です。フランソワ・ドゥールエは右手に水差し(?)をもたせ、左手に大きな杯を持たせています。タイトルは「マリー・アントワネット」です。いつごろの作品なのでしょうか。

フランソワ・ドゥールエ
女神へーベーに扮するマリー・アントワネット
女神へーベーに関してはこちら
過去記事 「王太子妃マリー・アントワネット」

Ludwig Guttenbrunn
エラトー(マリー・アントワネット)
まさか、この作品がマリー・アントワネットとは思いませんでした。叙情詩・恋愛詩をつかさどる女神エラトを象徴しているんですね。フェルゼンへの贈り物だったのでしょうか???1788年の作品。
大人びたアントワネットの肖像画。薔薇を持たせたアントワネットを描いたエリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランの1778年のこの作品はドレスの素材を美しく描いています。
アントワネットのヴェルサイユの私室です。装飾、調度品も見事ですが、中央にある肖像画は誰の肖像画なのでしょうか。この大きさだと男女の区別がつかない私です・・・。

ここは、この記事の前半に紹介した「ヴェルサイユ宮殿でマリー・アントワネットの肖像を描くゴーティエ・ダゴティ」の描かれた部屋とそっくりです。ほとんど同じ視線でみることができます。

マリー・アントワネットは読書よりも音楽を好んだといいます。本を手にしているのが1枚掲載していますが、こちらも同じように本を手にしています。

フランシスコ・ドゥールエ 1781年
マダム・ド・ポンパドゥールの肖像画も、ブーシェは同じ構図で何枚が描いていますが、この作品も同様で、マリー・アントワネットの髪型、室内の明るさ、ドレスのカラー、そして肖像画の右手奥の「冠」が違います。

エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン
左が1778年、右が1779年の作品です。実物もこんなに彩度が違うのでしょうか。そうならば、ルブランはアントワネットの「日の出」と「日没」を描いたのでしょうか。
どちらもアントワネットは礼装しています。とくに右側の1779年に描かれたものは、青地に百合の紋がはっきりとわかります。
※3年前の記事の追記は、記事の半分以上になってしまいました。またいずれ追記するつもりです。
左肖像画13歳のマリア・アントーニア
14歳までのマリー・アントワネットの記事。
アントーニアと姉妹たち
「ハプスブルグ家 マリア・アントーニア」
どうぞご覧ください。




























アントワネットのコレクション
アントワネットのコレクション
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