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私の時代 マダム・ド・ポンパドゥール
2010年 更新
”ポンパドゥール”で検索の皆様、ようこそ。 ロザルバ・カリエラ作のポンパドゥール夫人の肖像画、セーブル陶器を記事中間にアップしています。
 
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ヴォルテールの戯れ歌 ポンパドゥール夫人
ディドロのお喋りな宝石 ポンパドゥール夫人
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TBありがとうございます。
記事「トワレとビデとガルデ・ア・ロー
記事「ポンパドゥール夫人の人物像 見せたくない肖像画

ではゆっくりとご覧ください。
私の時代 マダム・ド・ポンパドゥール
 
Carle Vanloo
The Marquise de Pompadour as a Shepherdess, circa 1760「私の時代が来た!」

平民といえども、ブルジョワ階級。貴族の子女以上の教育を受けたジャンヌ・アントワネット・ポワソン(1721年12/29 - 1764年4/15)。

その当時の教育は、修道院を経てからのプライベート教育です。

朗読法と芝居の演技、立ち居振る舞い、マナー、舞踏、鍵盤楽器、デッサン、銅版画、宝石彫刻にも堪能で、学芸や工芸的な教養も磨き、ヨーロッパのサロン文化を経験します。

Miniatura portretowa Madame de Pompadour by Jadwiga KISSEL-BARNATド・ランベール夫人、タンサン夫人、ジョフラン夫人、ドゥファン夫人、レスピナス嬢のパリ・サロンが有名で、ヴェルサイユ文化、芸術、学問、啓蒙を語る、上品で知的で機知に富んだ会話や議論の場を「ポンパドールなマダムたち」が開きます。

そこにジャンヌ・アントワネット・ポワソンも17歳から招かれました。

ヴェルサイユ入りをするための結婚。それは、ルイ15世の公式寵姫への道だったのです。愛人の域をはるかに凌ぐ絶大なもの。

Maurice Quentin de La Tour   Pompadour 年代不詳デティオール夫人になった彼女は、ヴォルテール、ディドロをはじめ、クレビヨン、フォントネル、モンテスキューなどを招待するようになりました。

こうして、ブルジョワの暮らしを楽しみながら、機会を待っていたのですね。

19歳でデティオール夫人となり、「セナールの森の妖精」と噂された初めての王との出会い。

狩りの女神ディアナに扮した仮装で、王太子の結婚祝賀会での再会。

ヴォルテールとポンパドゥール夫人
王太子の祝賀会で、彼女に頌歌を捧げたヴォルテール

Jean-Marc Nattier  Pompadour 左:Madame Pompadour 1752 中央:A portrait of Marchioness of Pompadour 1748年、同じようにみえる作品でもう一点がA portrait of Madame Pompadour as Dianeで、左の袖部分に違いがあります。 右:A portrait of Madame Pompadour as Diane 1746年



ジャン=マルク・ナティエの上の肖像画と2組が対になっているのではと考えさせられます。

追記 2010年にナティエの肖像画を記事にしました。上記と下記のポンパドゥール夫人にはナティエの模倣作品があることを知りました。(私、結構その模倣作品が好きです。画家の名はわかりませんが。)

記事 ジャン=マルク・ナティエ 肖像画 その2 ディアナ


A portrait of Madame Pompadour as Diane 1748この肖像画はタイトルに「ディアナ」とありますが、上の中央の肖像画は「ポンパドール夫人」です。この2枚が対なのか、あるいはこの作品「ポンパドール夫人のディアナ」(1748)と左のディアナに扮した肖像画はタイトルは「ポンパドール夫人」(1752年)とだけなので、こちらと対なのかもしれません。皆さんはどう思いますか?


24歳で、国王ルイ15世の寵愛を得て、1745年頃、ポンパドゥールの地と候爵の爵位を授与され、のちに侯爵夫人、ついには王妃つき女官に任命されます。


「国事に容喙し、国費を濫費した女」ともいわれるマダム・ド・ポンパドゥールは、美貌は国王ルイ15世、賢さは王妃に、教養は事業や芸術家のパトロンに、才気は政治に利用し、自らの地位を守り、持続させることに成功したのでした。「私の時代が来た!」というの決め台詞は、このときです。




モーリス・カンタン・ドゥラトゥールのマダム・ポンパドゥール Maurice-Quentin Delatour (Saint-Quentin, 1704 - Saint-Quentin, 1788) la francey apparait au centre la hanriade de voltaire  Encyclopedie De l'esprit des lois by Montesquieu Il pastor fido  Giovanni Battista Guarini 正:Engraving by the Comte de Caylus after Edme Bouchardon's drawing The Lapidary at Work in Pierre-Jean Mariette's Traité des Pierres Gravées 誤:Traite de Zoologie(Traite de Zoologie) Pierre.P. Grave Ю機Engraving by the Comte de Caylus after Edme Bouchardon's drawing The Lapidary at Work in Pierre-Jean Mariette's Traité des Pierres Gravées 誤:DE LA MARQUISE DU CHÂTELET guitare partitions guitare


18世紀の宮廷画家モーリス・カンタン・ドゥラトゥール(Maurice Quentin Delatour)の「ポンパドール夫人」では、球体(地球儀or天球儀)が右端にありますが、そこから左側に書物があります。

すぐ横が*ィドロ*ランベール*科全書 第4巻」です。大きな画像だとこの書物に関してはタイトルがはっきりとわかります。他3冊は資料からタイトルを確認。一番左端が、*ジョヴァンニ・バッティスタ・グァリーニの「忠実な羊飼い(パストル・フィードとも)」です。その次の次あたりに(左から3冊目?)がモンテスキューの「法の精神 第3巻」とヴォルテール(Voltaire)の叙事詩 アンリアード(Henriade)です。

「ディドロ&ダランベール百科全書(Diderot et dAlembert : Encyclopedie,ou Dictionnaire)」

百科全書 Encyclopedie,ou Dictionnaire


そして手にひろげているのが、ギターの楽譜。ロココ時代にはバロックギターがありました。

机の足元がポンパドゥール夫人の作品集

赤い表紙の作品集の扉にはマダム・ド・ポンパドゥールの印章の半分ほどがみえています。

These typical arms belong to Madame Pompadour and can be seen oh the cover of her books.

マダム・ド・ポンパドゥール 印章
(C)madamedepompadour.com


面白いのは、この作品の中の1枚を「Philosophiae Naturalis Principia Mathematica (プリンキピア・マテマティカ、自然哲学の数学的諸原理)」をフランス語に完訳したエミリー・デュ・シャトレの扉絵としているものやピエール・P・グラースらの「動物学提要(Traite de Zoologie)」とされているものがあるんですね。もしかしたら3500冊以上の書物にあるかもしれませんが。

wikiより引用「プリンキピア・マテマティカ仏語訳の扉絵。彼女はヴォルテールの女神として描かれており、ニュートンの発する天界の閃きを反射してヴォルテールに投げかけている。」プリンキピア・マテマティカ語訳の扉絵。彼女はヴォルテールの女神として描かれており、ニュートンの発する天界の閃きを反射してヴォルテールに投げかけている。」とされているデッサン。
その1枚というのが、書物の下敷になっている彫刻家エドム・ブーシャルドン(Edmé Bouchardon)ので、美術鑑識家「ピエール=ジャン・マリエット(Pierre-Jean Mariette)の「Traité des Pierres (石版彫刻に関する概論)」にある1枚です。彫刻やモチーフなどの書物です。

Traité des Pierres Gravées


所蔵のルーブル美術館の解説では、私が調べたものと一致していますが、上の「石版彫刻に関する概論」は、[「ポンパドール夫人彫る」とドラトゥールが署名したケイリュス伯爵の版画がとなり合って並んでおり]とありました。

この作品はルーブル美術館の解説を読んで、侯爵夫人の変わりやすい要望に応えようという試行錯誤があったとされていますが、フランスを支配するこの夫人を、文学、音楽、天文学、版画を象徴する持物に囲まれ、芸術の庇護者として描かれているだけではなく、[美術と文学のこうした典拠は、夫人の計画と読まれるべき]とありました。

ルーブル美術館より引用

国王を変え、礼儀作法と原則に凝り固まった宮廷には届かない、当時パリを活気付けていた知性、道徳、哲学、政治の並外れた発展を国王に見出させようともくろんだ。
死後にも残る肖像画には、美と知、教養、服飾や調度品の様式のほかに、[心理的な真実を表わすとともに意味も担った表現(引用:ルーブル美術館)]が描きこまれています。彼女が好んだムスクのようにいまでも残り香を漂わせている肖像画。

パリ市立ガリエラ・モード博物館のモード美術館所蔵のドレスは、この作品のドレスに似ていますよね。ビロードの風合に似たシュニール織りのシルク地のドレスです。楽譜、球体、革の装丁本、自らの作である版画のスケッチブックなど、後世に語り継がれる女性像を描かせています。肖像画にみられる羽ペンやインク壷は、レプリカで手に入れることができます。(フランソワ・ブーシェ作 下図参照)


マダム・ド・ポンパドゥールの作品集はというと・・・

made by Madame de Pompadour 右:Apollo meets the Arts (芸術にあうアポロン) 中央:ブルゴーニュ公の誕生 左:1748年、The preliminaries of the peace (平和の準備?)


engraving made by Madame de Pompadour 右:1752年、ノンタイトル 中央:(ポンパドール夫人の)版画コレクションの表紙 左:1752年、ノンタイトル


上3枚、下3枚ともエングレービング(engraving)。上の両脇(右と左)は、たぶんマダム・ド・ポンパドゥールの作品だろうと思われるもので、ほか4枚は確実です。がブーシェがのちに手を加えているような作品の記述もあります。

上の中央の作品ですが、「ブルゴーニュ公の誕生」といいます。ルイ14世の孫で、ルイ15世の父になるプチ・ドーファンと呼ばれたブルゴーニュ公ルイ。

下中央は、Pompadour と書かれているのを見ることができますね。他の作品同様に、カーソルを画像にあてるとタイトルがわかるようになっていますので参照してくださいね。



マダム・ド・ポンパドゥールは鑑賞者側にもその意図がわかるリベラル・アーツを強要しているようで、ホントもくろみの高い女性です。(苦笑)

もしかすると、このモーリス・カンタン・ドゥラトゥールのマダム・ド・ポンパドゥールの肖像画は、彼女の自由七学芸(セブンリベラル・アーツ)を象徴しているのではないでしょうか。

さて、下の肖像画がワトーにあこがれたという、快楽に奉仕する画家(メートル・ド・プレジール) フランソワ・ブーシェの作品です。

1756年「Portrait de Madame de Pompadour」 François Boucher (1703(1703)?1770(1770)) ブーシェの描いたマダム・ド・ポンパドゥール


夫人はアンシャン=レジームを批判する学者たちの「ディドロ&ダランベール百科全書Diderot et d'Alembert : Encyclopedie,ou Dictionnaire)」まで読みこなす。マリー・アントワネットは「私は退屈がこわいのです」と言っていましたが、マダム・ド・ポンパドゥールには、退屈する暇がなかったのですね。3500冊以上の書物の一部も左のポンパドゥール家の紋章つきファイリングキャビネットに描かれています。感心するのは後ろの鏡にもうつるマダム・ド・ポンパドゥールの頭部まで繊細に描いているブーシェ。

This fantastic, small desk for ladies by Van Riesenburg Bernard

Bernard Van Riesenburg (1696-1766)
ターブルシフォニエール


描かれている右側の ベルナール・ヴァン・リーゼンベルクの作品は象眼模様のシフォニエール(小さいデスク)が現在メトロポリタン美術館に所蔵されています。写真が実物ですが作品では、鍵がかかるほうが前に向けられています。 ロココ期の代表的な家具師 ヴァンデルクルーズの作品は、セーブルのプラックを使用しているのが有名。(家具にはR.V.L.C.(Roger Vandercruse La-Croix)と銘(stamp)しています。)

奥の紋章つきの書棚のうえに飾られているエンジェルとクロックはロココ調。その書棚の横が天蓋つきのベッドではないでしょうか。重量感のあるファブリックが示しているようです。足元には愛犬mimi。そのmimiのすぐ横にはマダム・ド・ポンパドゥールの作品が溢れています。そして楽譜に薔薇の花。

深井晃子さんの著作では、ブーシェは服飾デザイナーとしても一流だったと書かれていますが、19世紀の画家ホイッスラーなども肖像画の人物のドレスをデザインしていました。世紀末までは、画家が服飾をデザインすることが多かったと思います。

A head of a womanこれはブーシェのスケッチをドゥマルトー(gilles demarteau )が翻刻版画したものです。このスケッチのヘアデザインはマダム・ド・ポンパドゥールで、「ポンパドール・ヘア」とよばれるのは、こうしたヘアスタイルを流行させたわけです。(聖子ちゃんカットみたいに)

この作品の鏡の頭部とは少々異なり、丸く結ったヘアを三つ編みで囲んでいます。

このマダム・ド・ポンパドゥールの「ローブ・ア・ラ・フランセーズ」は、宝石より高価である繊細な手工レースに、リボン、真珠、100以上の薔薇。[引用:名画とファッション]

リボンのエシェルに、プラチナのレースで縁取りされたドレス。左右ペアの5連の真珠のブレスレット。こうしてブーシェの作品を眺めると、この画家は天才と思えてくるのです。質感、量感の描き方でマテリアルが見えてくるのですから。

快楽に奉仕する画家とブーシェは称されていたわけですが、快楽とはロココ文化に代表される「生きる喜び」だと著書にも書いてありました。私はこのブーシェの快楽とロココの生きる喜びが同じものを指していると考えます。それは欲求の満足感。



Francois Boucher Madame de Pompadour 1758年 「化粧の間のポンパルドール夫人」


楓は「才女」に感服しているわけではありません。エティオール夫人から国王の寵后になり、そして「私の時代」を手に入れたマダム・ポンパドゥールに尊敬の念を抱きつつ、これでも満足できないというマダム・ド・ポンパドゥールの果てしなさに感服しているのです。

A cameo made of sardonyx , Jaqcques Guay (1753) Paris, The National Library of France左「化粧の間の間マダム・ド・ポンパドゥール」で作品で身につけているルイ15世 カメオのブレスレットです。1753年の作品。

カメオと縁取るのは宝石。赤い褐色は勝利と幸福をもたらすサードニックスという宝石。カメオはルイ15世の横顔です。

ブーシェの作品はフォッグ美術館ですが、こちらのジャック・ギュエ(Jaqcques Guay)の作品はフランス国立図書館にあるようです。

トワレに身に着けているコットンのエンブロイダリーレースはパリの服飾美術館にあるようです。スリーブがはっきりわからないのですが特徴のあるデザインです。ケープは透きとおっていてオーガンジー。

Toilette


実際にブーシェが描いた作品のなかの調度品はこうして現存しています。描かれた化粧台にはありませんが、赤いケースは漆塗りに金彩の模様がはいった東洋の模倣のもの。マダム・ド・ポンパドゥールはいくつか所有していたようですが、そのひとつで、手にもつコンパクト、左のメイクブラシはこのケースに収めているもの。

Francois Boucher Madame de Pompadour 1750年


1750年に描かれたフランソワ・ブーシェのこの作品で、ダム・ド・ポンパドゥールの左手がかかるところに化粧台があります。先の「化粧の間のマダム・ド・ポンパルゥール」(1758年)の化粧台と鏡のフレームが違いますが、その左手にもつアクセサリーは、もしかするとルイ15世のカメオかもしれません。化粧台の右側には、印章のあるマダム・ド・ポンパドゥールの作品集に、書物や楽譜がひろげられています。左側には愛犬mimi。お散歩にでもいくのでしょうか。右手にもつ帽子に、ドレスからちらりとみえるのは懐中時計かと思われます。



右上はMadame de Pompadour 1759年 右下のマダム・ポンパドゥールはハープシーコードに手をかけています。「François Boucher Madame de Pompadour with Her Hand Resting on a Harpsichord Keyboard」 1759年のこのポンパドール夫人は、1750年の作品と同じ構図です。 左上:左下の作品と似ていますが背景が違います。年代不詳 左下:Madame de Pompadour 1758
Madame de Pompadour
Francois Boucher


「百科全書」のマダム・ポンパドゥールの支援は、自分自身の支援。肖像画に描かせたとも思います。シュヴァリエ・ド・ジョクール、ディドロ、ダランベール、ルソー、ヴォルテールをはじめとする184人の執筆者の「百科全書」は、1754年のヴェスヴィオ火山の噴火などの図が掲載されていたり。2007年のリヒテンシュタイン美術館での特別展「ナポリとヴェスヴィオ火山」は、まさにその時代。

François Boucher Madame de Pompadour with Her Hand Resting on a Harpsichord Keyboard 1758年


1750年作のヴーシェの化粧台が8年後にはハープシーコードに変わっています。側面が象嵌模様で、ロココ調の猫足であることがわかる曲線の美しさ。そして印章つきの作品集かあるいは1756年に描かれたターブルシフォニエールの足下にある書物と同じものがみえ、天球儀か地球儀の横には望遠鏡のように長い筒状のものが二本左右にあるのがわかります。開かれた書物のページには図版も確認することができます。ブーシェのポンパドゥール夫人の肖像画に必ず登場するのがファイリングキャビネットですが、上部にある置時計は、上部を飾る置時計だと考えると、クレッサンのファイリングキャビネット を想像させます。

Madame de Pompadour in a French miniature, 1740何もない時代の「肖像画」というメディアは、時代に名を残した執筆者たちの「百科全書」に囲まれた彼女を映し出します。当時の人々はどう彼女を捉えたのでしょうね。

そのあたりもマダム・ド・ポンパドゥールは計算していたのだと思います。「狩の女神ディアナ」に扮した晩餐会のように。

セーブル陶器(Manufacture nationale de Sèvres)
ここでは、画家のブーシェ、彫刻家のシモン=ルイ・ボワゾをはじめ芸術界のアーティストがずらりと勢ぞろい。ブーシェは肖像画でもわかるようにマダム・ポンパドゥールに、そしてポワゾはポンパドゥール夫人亡き後のデュ・バリー婦人(ベル薔薇でご存知ですよね)に召還されました。

「舟形」香炉(王立セーヴル磁器製作所) 1760年頃 エヴルー邸(エリゼ宮)のポンパドゥール夫人の寝室セーブル陶器の「ポンパドール・ローズ」色がこちら。マダム・ド・ポンパドゥールが実際にいまのエリゼ宮で、寝室の暖炉の装飾に使用していたもの。ルーヴル美術館所蔵です。ロカイユ様式にシノワズリは夫人の趣味を象徴しているのでしょうか。形はジャン=クロード・デュプレシス、絵付けはシャルル=ニコラ・ドダン、フランソワ・ブーシェ「茶会」に基づいておこした版画の模写。(C)louvre/

マダム・ド・ポンパドゥールは、自身とルイ15世の名を残すことと、多くの望みを叶えるためにマース(マルス)のように進軍をすすめていきます。

そうした事業ではセーヴル窯の成功はお見事です。功績という死後もなおマダム・ド・ポンパドゥールという名を残すことができるものへ、ひたひたと進軍をすすめて行きます。

 Jean Pierre Antoine Tassaert 「Mme de Pompadour as Europe 」(1761-1762 ) ジャン=ピエール・フランク 「欧州のマダム・ド・ポンパドゥール」


シャトー・ラフィット Château Lafite
1760年、ルイ15世の愛妾ポンパドゥール夫人は、ワインで王の歓心を惹こうとします。(彼女は本当によく考えること!)ところが宿敵コンティ公に競り負け、セギュール家の広大な農園のひとつ「ラフィット」は、「ロマネ・コンティ」と呼ばれるようになったのでした。

ところが、ここが頭の使いようなんですよ。マダム・ポンパドゥール自身だけではなく、バックボーンもはるかにお利巧。リシュリュー男爵マレシャルは、ラフィットをヴェルサイユの晩餐会にすすめるのです。コンティの名がルイ15世の「王のワイン」と呼ばれることにより、農園は手に入れることはできなかったものの、「名」を手に入れることができたのです。


ポンパドゥール夫人肖像画 ロザルバ・カリエラ

ロマネ・コンティは現在シャトー・ラフィット・ロートシルト(Château Lafite-Rothschild)として所有権はロスチャイルド家にあると思われます。

サンシール レコール(エコル) Saint-Cyr-l'Écoleの模倣
サン=シール女子学院を設立したのが、先王のルイ14世の秘密の正室マントノン夫人です。ポンパドゥール夫人は貧しい子女が通うサン=シール女子学園を訪れて、ヴァンセンヌの陸軍士官学校を設立します。

ルイ14世のマントノン夫人を模倣したのは学校設立だけではありませんでした。寵姫としてではなくヴェルサイユでの生活を続けること。ルイ14世の「王の助言者 マントノン夫人」のように、国家の機密を議論する顧問会議に列席する資格を手に入れさらに進軍を進めているのです。

François Guérin 左:Madame de Pompadour and Alexandrine  右:Madame de Pompadour  個人所蔵


2枚のフランソワ・ゲランの肖像画に一人娘ファンファンと呼ばれたアレクサンドリーヌもしばらく宮廷で暮らしていた様子が描かれています。修道院先でわずか10歳に満たないまま死去。愛犬mimiも左の肖像画に描かれています。


さて、寵愛をうけるためにマダム・ド・ポンパドゥールには香りはかかせないものでした。フランスで初めての高級香水店は、1775年にオープンしたジャン・フランソワ・ウビガンの花々の籠「HOUBIGANT(ウビガン)」は、マダム・ド・ポンパドゥール(香水店オープン以前)だけではなく、かのマリー・アントワネットもご愛用。とくに香水や当時流行の香り手袋(手袋に香水の香りを染みこませた物)は宮廷で愛されました。

HOUBIGANT 1934年カタログの表紙から「花々の籠」のイラスト


マダム・ド・ポンパドゥールはウビガンのほかオード・ポルトガル(EAU de Português)、ヴェネツィアの香りなども愛用したようですが、香りとしてではなく、薬用としていたのではないでしょうか。

ジャン・フランソワ・ウビガンのファミリーは、もともと宮廷内で調剤、調香などをしていたという記憶があります。マダム・ド・ポンパドゥール、亡くなったあとの寵姫で、ジャン・マリ・ファリナのオーデコローニュ(ケルンの水)をひろめたマダム・デュバリーもウビガンを愛用した一人。

マダム・ド・ポンパドゥールで忘れてならない香りは、Madame du Hausset が知っています。「la cour parfumée」 (中庭の香水?)と呼ばれたルイ15世の香水、そしてマダム・ド・ポンパドゥールが好んだ香りです。ラ・クールは「王のオレンジブロッサムウォーター」がエッセンス。

Houbigant「Le Parfum Idéal」1900年


現代の調香師ニコラ・ド・バリーは、その香水のオマージュとして、ルイ15世、マダム・ド・ポンパドールの香りを「香水の歴史シリーズ」のひとつとして「フルール ドランジェ デュ ルイ」をつくりました。

オー・デ・コロンを愛用したのはナポレオンで、「Jean Marie Farina(ジャン・マリー・ファリナ)」のコロンを月に60本も消費した話は有名ですが、ナポレオンの后ジョセフィーヌも、ウビガンの顧客だったはず。

さて、マダム・ド・ポンパドゥール自身も調香に参加し愛用したと思われる香水は、「三重奏」(1755)です。たぶん夏から秋に咲くサルビア科のスペルバだと思うんですが。すでにムスクからフローラルへと香りを移行した頃のものでしょうか。この香水にローズを調合したようです。3つめは春に紫色の花を咲かせるビオレッタ 。そしていまではパリの老舗といわれるリュバン社。この香水は、当時蒸留業者のリュバン氏がつくられたよう。(訳に間違いがなければです。)

Flacon à parfum Porcelaine dure métal doré Allemagne, Saxe vers 1755


香りひとつを武器にしたのは、マダム・ド・ポンパドゥールだけではありません。クレオパトラ、楊貴妃がいましたね。

そしてエルジュベート(エリザベート)女王。14世紀のハンガリー王妃ですが、王妃の命によりつくられた世界最古の香水「ハンガリーウォーター(ハンガリー王妃の水)」。これが香水の原点です。香水だけではなく百薬として用いられたようです。

ポンパドール夫人から200年後のパリで、ココ・シャネルはこういっています。

「香水の選択を間違う女に未来はない」と。



左:Carle Vanloo, Les Arts suppliants demandant au Destin d’épargner la vie de madame de Pompadour 1764年 右:François Boucher Venus comforts Love


この2枚もポンパドール夫人の肖像画です。左は、この記事の一番最初に掲載したポンパドールを描いたカルル・ヴァン・ロー です。タイトルがフランス語なのでうまく訳せませんが「マダム・ド・ポンパドゥールの延命を運命に乞う芸術」だと思います。ちょうどマダム・ド・ポンパドゥールが亡くなった1764年の作品です。右はブーシェの作品ですが、マダム・ド・ポンパドゥールの肖像画には数えない1枚です。ポンパドゥール夫人がブーシェに官能的に描いてほしいと願ったもので、タイトルには夫人の名がありません。「愛を慰めるヴィーナス(愛のクピドを慰めるヴィーナス)」は1751年の作品。

ジャンヌ=アントワネット・ポワソン(Jeanne-Antoinette Poisson)は、マダム・ド・ポンパドゥールという名と補佐役を得ることができたのです。

「私の時代がきた!」

そしてポンパドゥール夫人(Madame de Pompadour)の終焉にむかい、こう言いました。

「Apres moi le deluge」
わが亡きあとに洪水はきたれ、と。

「The Yew-tree Ball」   (Le bal des if) by Charles-Nicolas Cochin the younger

「The Yew-tree Ball」   (Le bal des if)
Charles-Nicolas Cochin the younger
シャルル=ニコラ・コシャン(子)


1745年2月24日、ジャンヌ=アントワネット・ポワソンが、デティオール夫人(エティオール夫人)として王太子婚礼の祝賀会に招かれました。王太子は植木職人に扮し、王太子妃は花売娘に仮装。ルイ15世の王妃マリ・レチンスカは仮面なしに、ダイヤモンドの王冠に、花と真珠をちりばめた衣装。国王はどこにいるのかと話題にしはじめたのは夜が深まった頃。

やがて7本の石櫧の木(いちいがしの木[文献・実証学者ジャック・ルヴロンを引用]でイチイの木と翻訳されているものもあります。)に扮した国王と6人の側近が登場。作品「The Yew-tree Ball」では左の4本と3本の木の周辺の男女が仮装をはずした国王とデティオール夫人とされています。実際にはディアナに扮したデティオール夫人を石櫧の木に扮した国王が抱きしめ、そのまま仮装舞踏場を後にしてから仮面をはずしたといわれています。

右:ルイ15世 王家の紋章服 King Louis XV of France (1710?1774) by Louis-Michel van Loo 左:王妃マリ・レチンスカ 王家の青地に百合花紋 The Queen Maria Leszczynska 

フランス王家の紋章 ルイ15世と王妃マリ・レチンスカ


ルイ15世は、利発で炯眼。ルイ14世ほどの忠臣に恵まれずに、政治には自分は傍観者の立場に徹しようと決めたとあります。もともとラモーのオペラ、観劇を欠かさなかった王は、くわえて狩りにも熱中し、政治に関心がないと烙印をおされたようです。

Charles-Nicolas Cochin the younger シャルル=ニコラ・コシャン「The Costumed Ball Held」王太子の祝賀行事でのオペラの図と同じ王太子の祝賀会です。この作品もシャルル=ニコラ・コシャンの王太子の祝賀会ですが、一番奥がオペラが上演された宮殿内の劇場があるコシャンの作品は、この図と同じに祝賀行事でおこなわれたオペラ上演の版画を作成してます。ラモーの「ナヴァラの姫君」が上演。ディドロの「ラモーの甥」のモデルは有名。

さて、王妃マリ・レスチンカは7歳年上。12年間に10人の子を産みます。謙虚で虚飾。シックな人柄とシックな生活。争いごとも好まないところから好人物と言われている王妃です。たいへんな美食家だったことで有名です。

この婚礼祝賀会の年、ルイ15世はすでに亡くなっている「フランソワーズ・ド・ポンパドゥール侯爵夫人」の名と継承者がないポンパドゥール家の名称を買い取りデティオール夫人に与えて、公式愛妾「ポンパドゥール侯爵夫人」が誕生したのでした。

さて、宮廷入りしたポンパドゥール侯爵夫人の身のこなしは完璧だったでしょうか。否です。

Francois Boucher Madame de Pompadour  1749−50年


巷に「ポワソナード」というポワソン家の戯れ歌が流行。

「大貴族は金をため、金融業は堕落し、ポワソン家はご繁盛
(略)
いとしい方がえり抜きの 美人の中の美人なら
狂気の沙汰も大目にみましょう 相手が か・か・かわいい人ならば。ところがあんな馬鹿のため (略)」
宮中だけではなく、パリ市民までもがやじをとばすほど。つまり、「ブルジョワ」の社会的地位は「貴族」の生得的地位に追いついていなかったということです。ブルジョワで貴族以上の教育を受けたマダム・ド・ポンパドゥールは、声楽・デッサン・彫刻・バレエ・演劇・語学・学業に誉れ高くとも「お嬢さん芸」のレベルだったわけです。


この作品もマダム・ポンパドゥールが作成したものです。デティオール夫人だった頃、ルイ15世がその城付近を行幸と聞くと、ファエントに自ら乗ったという逸話を思い出すような作品ですね。

デティオール夫人の少女歌劇は王にはいっさい目にとまらなかったといいます。「セナールの森の妖精」が王の目にとまったのは1年先のこと。

王妃マリー・レチンスカ(マリ・レチンスカ)の肖像画です。「ド・サイサックス夫人の消息はおわかりですか?何度かパリでお会いして愉しかった。」と王妃ははじめての会見でマダム・ポンパドールにかけられました。ポンパドゥール夫人の才気をもってしても想像つかない質問だったとありました。その後のことですが、王妃マリの賭博費用をマダム・ド・ポンパドゥールが私財から差し上げたとあります。

この初会見で、マダム・ド・ポンパドゥールは「マリ皇后陛下。陛下の御意なら、最善を尽くすことを誓います。[ジャック・ルブロンより引用]」と述べたのです。

そのとおりに、私財から賭博費を負担するなど窮地の王妃マリを救うことで、初会見での挫折感を回復したわけですね。

このマダム・ド・ポンパドールの当初の宮仕えではパリのシャンソンはこう歌っています。

才気もなければ独創性もなく 心賤しく 金銭ずくで 
おしゃべり女のいいぐさじゃぁ ポワソン家には徳がない
その才気についてはジャック・ルヴロンは「怜悧で、器用で、頭の回転がはやい彼女のことだ。(略)宮廷生活まで自家薬籠中のものにしたにちがいない。」と著書で述べています。

マダム・ド・ポンパドゥールの性質からそれははやくに実現していきます。「フランス宮廷物語」のなかでフリーライターの三品純さんが彼女のエピソード」に触れています。「王の心を支配」するという占い師の予言のことを。たぶん幼心に深く残り、デティオール夫人になってからも「予言」を信じていたのでしょう。

François Hubert Drouais 右:Madame de Pompadour  左:Madame Pompadour as a vestal

フランソワ・ユベール ドルーエ の マダム・ド・ポンパドゥール


王が何に関心があるのかを考えた行動がマダム・ド・ポンパドゥールの最初の成功です。

狩猟のほかラモーのオペラ、観劇を欠かさない王の話はさきに書きましたが、マダム・ド・ポンパドゥールは王の無聊と倦怠を慰めるために、自分の多芸多才を武器に、まずは同好会を主催し「おさらい会」を催します。王の反応は早かった。すぐに後援します。

1747年1月にヴェルサイユ宮に小劇場は開設。ラシーヌ、モリエール、スペインの音楽バレエ、新作のヴォルテーヌが上演。Les petits Cabinets(小部屋よりも小内閣 プチ キャビネット)とよばれる小部屋の劇場での初演。(楓は小内閣と呼びますよ。)

Tartuffe by Molière ,カール・ハインリッヒ・ホフ(Author: Carl Hoff )、J.ボーリン(Engraver: J Ballin )モリエールのタルチュフ(Tartufe  by Moliere)では、100年ちかく前にモリエールの恋人マドレーヌ・ヴェジャールが演じた「小間使いドリーヌ」をマダム・ド・ポンパドゥールが演じます。

セリフが決めてになるいい役についていますね。

軸になるペルネル夫人にはマダム・ド・サスナージュ、タルチュフにたぶらかされるオルゴンにはデュ・クロワッシー 、偽善者タルチュフはラ・ラヴァリエールが扮し、貴族の子弟子女が多く参加しています。

この小部屋(小内閣)でのシーズンシアターで上演されたのは、ピエール・ド・ラ・ショーセの「当世風の偏見」、デュフレニー「あまのじゃくな精神」、ダンクール「三従姉妹」、そしてルイ14世時代の寵臣ジャン=バティスト・リュリの「身をやつしたアムールたち 」を作家ルイ・ヒューズリエが脚色し、音楽はブルジョワ(トマス=ルイ・ブルジョワでしょうか)のオペラコミックは2月27日で「三従姉妹」と同じ日に上演されました。

SCULPTURE: Jean Baptiste Pigalle (1714 - 1785) LAmour embrassant lAmitié 1758年 ジャン・バプティスト ピガール の「愛と友情」という作品の足元にある花輪。1759年ブーシェのポンパドール夫人に描かれている彫像。


3月にはあの一世代まえのモラリスト作家のジャン・ド・ラ・ブリュイエール(1645-1696)のものと思われる脚本に音楽家ジャン=ジョゼフ・ド・モンドンヴィルの「エリゴーネ」、そして「当世風の偏見」が再演。

このあと1748年まで「小部屋」でのシアターは続き、いよいよ「小劇場」の誕生です。

Le petits Appartments(小劇場 プチ アパルトメント)での演劇やオペラをマダム・ド・ポンパドゥールは演じ続けています。

1749年1月23日に「小劇場」で上演されたのが「アーキスとガラテア(以前の記事)」です。絵画ではブーシェだけではなくモローでも御なじみの作品ですよね。

Madame Pompadour performs Acis et Galathée


右が観客席で左が舞台の想像図。王太子の祝賀会同様に、シャルル=ニコラ・コシャンの作品です。ガラテアはマダム・ド・ポンパドゥール、アーキスはロアン子爵、そして左上に位置している巨人ポリュフェモスはM.ド・ラ・サールです。



Charles André van Loo  チャールズ  ヴァン ルーマダム・ド・ポンパドゥールの肖像画をいくつか紹介してきました。このチャールズ  ヴァン ルーの作品はこの記事で3枚目に。

マダム・ド・ポンパドゥールが演劇でほかの人物を演じるように、ヴァン・ルーも絵画のなかで他の人物にマダム・ド・ポンパドゥールを演じさせています。

ジャン・デュクロレコーヒー豆引きマダム・ポンパドゥールの愛用品マダム・ド・ポンパドゥールの所有していた金銀細工のコーヒー豆引きです。ジャン・デュクロレに依頼。1756年頃の制作。エヴルー邸(エリゼ宮)で、1755年−57年に、金製の食器類を収集。ディドロとダランベールの「百科全書」にも項目があるコーヒーの流行。(C)louvre

さて作品の「コーヒーを飲むスルタナに扮するマダム・ド・ポンパドゥール」は、イスラム圏唯一のスルタナ(女王) のことだと思います。シャジャル・アッドゥル(真珠の樹)という意味の名で呼ばれたとありました。



François Boucher, Portrait of Marquise de Pompadour, 1759


先にもこの肖像画を紹介していますが、この作品は1759年のフランソワ・ブーシェが描いた「マダム・ド・ポンパドゥール」です。ちょうど、左奥にあるピガールの「愛と友情」の彫刻が仕上がってから1年後になります。1752年にルイ15世のコンフィダン(相談役)にとりたてられ、侯爵から公爵へと昇格。つまり顧問官会議に列席する権利を得たわけです。

寵姫から寵臣へマース(マルス)の進軍は駆け上りました。マダム・ド・ポンパドゥールの計画のとおりに。

ルイ15世が、ドニ・クレメルから借りたお屋敷を「鹿の苑」と命名したのは1755年のこと。モルフィーズ(ルイゾン・オ・ムルフィ)はブーシェのモデルを勤めた美少女。廷臣も洩らさなかったモルフィーズは来るときも去るときも、誰にも知る由がなかったといいます。

ブーシェのマダム・ポンパドゥールに描かれているジャン=バティスト・ピガール 「愛と友情」


ゴンクール兄弟(エドモン、ジュール)の説のように、マダム・ド・ポンパドゥールが女衒に身を落とし若い娘を探し出しハーレムを管理するだろうか。とジャック・ルヴロンは文献や記録類を検閲し否定しています。

ジャック・ルヴロンによると王妃もマダム・ド・ポンパドゥールも存在さえ知らなかったといいます。その後、お屋敷の用向きを知っても黙認していたとありました。

寵臣にまで登りつめて宰相のような様の夫人は、1752年のコンフイダン(相談役)、3枚のぺチコートといわれた7年戦争の外交手腕(1755~)、王妃付き女官(1756年)、王の名の残すセーヴル釜(1756年)、国王のワイン、陸軍士官学校(1756〜)と長期にわたってマダム・ド・ポンパドゥールがヴェルサイユ、ルイ15世に仕えなければならないものを用意しているのです。存在を知ったとしても鹿の苑の存在は好都合だったのではないでしょうか。

LAmour et LAmitie(C) The Walters Art Museum

ジャン=バティスト・ピガール 「愛と友情」
(C) The Walters Art Museum


この「愛と友情」がポンパドゥール夫人の願いでつくられたものですが、コンフイダンにとりたてられる前年の1751年には、すでに吐血するなどマダム・ド・ポンパドゥールは衰弱していました。コンフイダンとしてルイ15世に仕える頃はすでに愛妾ではなく、ルイ15世の最も信頼する寵臣であり、深い絆をもつ親友。楓はさらに「母」になったのだと思うのです。ルイ15世の聖母です。



セーブル陶器
ポンパドゥール・ピンク(ポンパドゥール・ローズ)


1750年11月25日にベルヴュー城が落成しました。改装ではなくすべてがマダム・ド・ポンパドゥールの手によって誕生したはじめてのシャトー。漆絵の壁面に濁った金。ヴェルベールの羽目板に室内の彩色はヴァンローにヴーシェ。彫刻、フラワーベース、調度品はピガルに、エティエンヌ゠モーリス・ファルコネ、ニコラ=セバスティアン・アダンの名工の手によるもの。猫脚の椅子、窓幕の質感に量感、額縁に至るまでマダム・ド・ポンパドゥールの総合芸術が生まれたのです。

18世紀(1700s)の調度品ですが、マダム・ド・ポンパドゥール、デュ・バリー夫人、王妃マリーアントワネットにかけて活躍したMartin Carlin ( マルタン・カルラン 1730 - 1785)ですが、マルタン・カルランはデュ・バリー夫人のご愛用が多かったと記憶。写真はルイ16世の叔母にあたる、ヴィクトワール王女、アデライド王女、ソフィー王女がポンパドゥール夫人の亡き後にベルヴュ城のために注文したものと同様のマルタン・カルラン。

マルタン・カルラン作 
この陶板はルイ15世がポンパドール夫人のためにセーヴル窯で制作


怜悧で才気のあるマダム・ド・ポンパドゥールも少々後ろめたさを感じていたのでしょうか。その落成式の日はやがて暴雨に。まるで「神罰がくだる」かのような天候。

1753年のサロンに出品されたこの2枚の絵画は、ポンパドゥール夫人がベルヴュ城のために買い上げしたブーシェの日没と日の出。現在はウォーレス・コレクション所蔵

対画 ブーシェの 日の出 日没 (ウォーレス コレクション)
ベルヴュー城の装飾にマダム・ド・ポンパドゥールが購入


1753年にはエヴール邸(エリゼ宮)を手に入れたマダム・ド・ポンパドゥール。エヴール邸のマダム・ド・ポンパドゥールの寝室の装飾に関することだと思います。

The set was accompanied by matching porcelain wall lights, a pair of candelabra, and a potpourri vase (vaisseau à mat), both now in the Musée du Louvre.ルーヴル(所蔵)の「舟形」香炉と、「泉」香炉(写真)、「イルカ」香炉(J.P.ゲッティー美術館蔵)の対、そして「枝付き飾り燭台」の香炉と「蝋受け」香炉(所在地不明)の2点からなる、暖炉の装飾セットが置かれていた。この装飾品類は、1760年5月30日に届けられ、ルーヴル(所蔵)の壁にかけるろうそく立てによって完成された。 (C)louvre/getty

Pot-pourri à dauphins dune paire

イルカ 香炉 鯱のようです。暖炉の装飾セットはいずれもシノワズリ。
絵付け シャルル=ニコラ・ドラン 

マダム・ド・ポンパドゥールの舟形香炉(ルーブル美術館所蔵)は、セーブル窯の説明ですでに紹介しておりますので、再度ご確認くださいませ。他にも9点知られています。各地の美術館に所蔵されているはず。
まもなく宛名が「ポンパドゥール侯爵夫人 ジャンヌ・アントワネット様」という1通の手紙が届けられました。オーストリア女大公でありボヘミアとハンガリーの女王マリア・テレジアからのものでした。

こうしてロシアのエリザヴェータ女帝と3人のペチコート作戦が開始されます。

左:女帝エリザヴェータ 右:女王マリア・テレジア



そうしたさなか、1757年のルイ15世の暗殺未遂事件。
「ルイよ、守銭奴の名の夫人大臣の奴隷たる汝こそ」

王の不徳儀、戦争政策の責任追及、マダム・ド・ポンパドゥールが仕切る人事、旧敵との外交革命への不満が一人の男ダミヤンに刃を抜かせたのでした。

すべては無事に窮地を脱しました。死を免れた王に、宮廷追放を逃れたマダム・ド・ポンパドゥール。

この年、マダム・ド・ポンパドゥールはベルヴュー城を手ばなし、初めての遺言書を作成したのです。そしてメナール城の着手。

Manufacture de Sèvres メナール城のために届けられた。ロカイユの形状をもつこの置き時計はポンパドゥール婦人が好んだものルーブル美術館所蔵のものです。ベルヴュー城からブレゾワのメナール城に1762年6月25日に、マダム・ド・ポンパドゥールへロカイユ様式の置き時計と一揃えとされる「葉飾りの香炉」2点、「蝋受けの香炉」2点と届けられました。「プティ・ヴェール」と呼ばれる色の地に、パリの時計職人、ジャン・ロミイーが製作し、セーヴルの磁器でできているそうです。(C) louvre
ブレゾワのメナール城はアンジュ=ジャック・ガブリエル(1698−1782年)に依頼し、1760−1765年当時の流行に合った装飾を施させセーヴル磁器の調度品を注文したとありました。

Paire de pots-pourris à bobèches de madame de Pompadour

「蝋受けの香炉」 ルーブル美術館
絵付け シャルル=ニコラ・ドダン ルイ15世のものもあるよう。

Pair of Potpourri Vases Sèvres Porcelain Manufactory  Jean-Claude Duplessis le Père  Charles Nicolas Dodin  ca. 1761

「葉飾りの香炉」 ウォルターズ美術館
絵付け シャルル=ニコラ・ドダン


こうしてみると暗殺事件があったあともマダム・ド・ポンパドゥールの威信は揺らぐことはなかったのですね。ところが3枚のペチコートの一人、エリザヴェータ女帝が急死。

1763年、やむなくフランスは屈辱的な講和に調印することになりました。マダム・ド・ポンパドゥール は、ここで戦争責任をとわれたのです。夫人の終焉のとき。

「では、この辺で。わたしを一人きりにしてください。さようなら。」

その言葉が最後でした。1764年、王族以外の夫人がヴェルサイユ宮殿で亡くなったことは、異例です。彼女の最後の願いを天は叶えたのでしょう。

参考、引用 [Copyright]
ルーブル美術館HP
ウォルターズ美術館HP
Wikipedia(English、Français)
Wikimedia Commons
Wikimedia Books
madamedepompadour.com
ヨーロッパのサロン ヴェレーナ・ハイデン=リンシュ
フランス女性の歴史 全4巻 アラン・ドゥコー
ヴェルサイユの春秋 ジャック・ルヴロン
フランス宮廷物語 別冊歴史読本
「Apres moi le deluge」
わが亡きあとに洪水はきたれ

庇護した百科全書の啓蒙思想と革命、7年戦争の連携によってのマリー・アントワネットとの縁組。ヴェルサイユ宮殿への洪水の前奏曲を弾いたのはマダム・ド・ポンパドゥール。

1757年、ブーシェの作品。パリのサロンでマダム・ド・ポンパドゥールの肖像画に集まる人々


こうして、マダム・ド・ポンパドゥールはノアの箱舟で天に召され、25年後の1789年7月、ヴェルサイユはフランス革命という洪水に飲み込まれたのでした。
| ヴェルサイユ | 07:22 | comments(8) | trackbacks(7) | pookmark |
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| - | 07:22 | - | - | pookmark |
コメント
こんばんわ。
fu-様、ご来訪、コメント大変ありがとうございました。
レスを書いていますのでいつかご覧になってください。

読ませていただきました。
マダム・ド・ポンパドゥール、大まかなことしか知らなかったのですが、絢爛たる生涯ですね。
「わが亡きあとに洪水はきたれ」の言葉もこうして具体的に彼女の生涯の中で聞くと、とても印象的ですね。
彼女の死後わずかにしてフランス大革命、彼女はそのようなことも予見していたのでしょうね。
「私の時代がきた!」の言葉とともに彼女の徹底した上昇志向、人生観がよくわかりますね。現世を美貌と才気で登りきった彼女、男としても本音では見事、よくやったと思います。
革命前後には魅力的な女性が多数輩出しているようですね。
豪華な絵画、工芸品などとともに楽しませていただきました。
またおじゃまいたします。
これからもどうかよろしくお願いいたします。

| KOZOU | 2009/09/11 7:33 PM |

KOZOUさん、こんにちわ。

長い記事、読んで頂いて光栄です。
退屈なさいませんでしたでしょうか。

先日は楽しくKOZOUさんの記事を拝見させていただきました。

>革命前後には魅力的な女性が多数輩出しているようですね。

あの当時は「時代」も魅力的だったんでしょうね。才気があって、運を開こうとする努力!ポンパドゥール夫人も、運を開くためにルイ15世の前を馬車で走りぬけたり。笑い話になりそうな行動も大切なんですね。

KOZOUさんにも私にも「私の時代」といえる自信に溢れた日が来ることを祈って。

いえ、KOZOUさんにはすでに到来しているのかもしれません。
| fu-(楓) | 2009/09/14 4:30 PM |

こんばんわ。
今日はだいぶ涼しかったです。

いえ、ほんとに半端じゃない徹底した記事、画像におどろきました。fu-さんのこの時代に対する思い入れがよくわかりますね。
ほんとに絢爛としてやがて壮大な悲哀が、ほんとにドラマチックな時代だと思います。女性もですが男もピンからキリまで、本当に多士済々ですね。
おもしろかったです。
「運を開くためにルイ15世の前を馬車で走りぬけたり」彼女も相当な苦労をしたのですね。やはり普通はできないことをやった、その成果であったのでしょうね。
いえいえ、わたしには「私の時代」は永久にこないでしょうけれど、その努力はやはり尊いですよね。
fu-さん、がんばってください。(*^_^*)

いつもコメントありがとうございます。レスを書いていますのでいつかご覧になってください。
| KOZOU | 2009/09/14 8:37 PM |

KOZOUさん、こんにちは。

>ほんとに絢爛としてやがて壮大な悲哀が、ほんとにドラマチックな時代だと思います。女性もですが男もピンからキリまで、本当に多士済々ですね。

ホントですね!ドラマチックな時代なんですねぇ。なにもかもが新しく創られる時代だからでしょうか。100年後、200年後に語られる、私たちがいま生きている時代はどのように語られるのでしょうか。

日本やヨーロッパなどで現在活躍している政治家、文化人や芸術家たちの誰が、100年先の後世で語られるのでしょう。

よく、その時代には認められなくとも死後に評価されることがありますよね。

ブログというものが続くとして、大衆のブログに、マリー・アントワネットやポンパドゥール夫人のように記事に残される興味深い人間像は、この時代の誰になるのか興味あります。

>わたしには「私の時代」は永久にこないでしょうけれど、その努力はやはり尊いですよね。

その努力は尊いと思います。誰かに何かを残すことって大切ですよね。「私の時代」でなくとも、わたしたち各個人の生きた証が、たった一人にでも関心を持たれることは非常に難しいことですが、仕事や奉仕で何かを残すことはできるかもしれません。

KOZOUさんのブログも何かを残していますよね。

あの母親と息子のストーリー。
| fu- | 2009/09/18 8:03 PM |

こんばんわ。

「100年後、200年後に語られる、私たちがいま生きている時代はどのように語られるのでしょうか」、ほんとに興味ありますね。
その頃どのような世界になっているかもですね。まだ人類は生き延びているとは思いますけれど(^_^;)
ブログというものが続くとして、大衆のブログに、「マリー・アントワネットやポンパドゥール夫人のように記事に残される興味深い人間像は、この時代の誰になるのか興味あります」、こちらもそうですね。
案外思いがけない人かもわからないですね。

ありがとうございます。
ほんとにお一人でにでも何かを残すことができたら意味はありますね。

| KOZOU | 2009/09/30 12:41 AM |

KOZOUさん、いつもコメントありがとうございます。

>その頃どのような世界になっているかもですね。まだ人類は生き延びているとは思いますけれど(^_^;)

全然思いもよらなかったですが、もしかして・・・。

続いてほしいですよねぇ。

そういえばKOZOUさんの先日の記事にあった「夢の宮殿」は100年たっていませんでしたか?

100歳まで生きることができなくとも100年後の世界があることを祈って。
| 楓 | 2009/09/30 9:24 PM |

マリークワンネットは、やっぱり、きれいですね 私は、社会で習った 贅沢な生活をしている彼女しか知りませんでした
今度 生まれ変わるなら彼女のような生活を送って見たいものです
| ころころりーん | 2009/11/02 1:56 PM |

ころころりーん さん、こんにちは。

>社会で習った

フランス革命ですか?どのように学習したのか興味あります。

>今度 生まれ変わるなら彼女のような生活を送って見たいものです。

私もそのように思います。ポンパドゥール夫人のようにうまく立ち回って、アントワネットのように敵をつくらないようにしたいものですが。

| 楓 | 2009/11/02 2:21 PM |

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