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薔薇ラ・ヴィ・アン・ローズ 絹うたさんのバラ色の人生

La Vie en Rose Kameyama, Yasushi (Japan) 1990 Floribunda

 La Vie en rose 1990 Floribunda
 Kameyama, Yasushi (Japan)
薔薇 ラ・ヴィ・アン・ローズ
作出者 亀山 寧 日本 1990


亀山寧氏の薔薇の名はラ・ヴィ・アン・ローズ(ばら色の人生)です。由来はやはり1946年のエディット・ピアフ(Édith Piaf)の「ラ・ヴィ・アン・ローズ(ばら色の人生)」なのでしょうか。

作出者の亀山寧さんは、京都嵯峨にてバラのカフェ「ラビアンローズ」のオーナーでもあり、世界中の薔薇を求めて旅をし、「世界と日本のローズガーデン」という本も出版されているようです。

その薔薇の旅のために営業は春と秋だけ。

さて、先日のプライベートの知人のご紹介で、ピアニストの見付ひとみさんをご紹介しました。今日もプライベートの知人のご紹介第2弾で、「絹うたさん」をご紹介。

見付ひとみさんと同じく絹うたさんも北の大地で活躍しています。

絹うたさんとお話しているとお姉さまのようで、しばしば絹うたさんの年齢を忘れてしまうのですが、なんと還暦は超えたと知りました。

Édith Piaf  La Vie en rose

  絹うたさんの持ち歌 ピアフのバラ色の人生


その絹うたさんの持ち歌に「バラ色の人生」があります。

絹うたさんは音楽を趣味にし、職業は専門的なお仕事を続けています。お兄様、ご主人、ご子息夫妻に囲まれて幸せな女性の一人ですが、19歳の事故がきっかけで、右足人工股関節全置換術を経験された方だったのです。

マリさんという方のHPで、絹うたさんの手術体験記を拝見。体験記2の最後に「一度の人生、パワフルに生きていきたいと考えております。」とありました。

楓は思わずにっこり。だって本当にパワフルに生きているのですから。

さて、絹うたさん。ウクレレ(ヤマハウクレレ隊)、門田佳正氏から尺八、シャンソンの手ほどきをご教授され、ニューミュージックのヴォーカルでライブ活動をするなど、音楽を堪能されている方で、長淵毅さんの「乾杯」、加藤登紀子さんの「百万本のバラ」(原曲 Dāvāja Māriņa ダーヴァーヤ・マーリニャ)などを歌っています。

来る6月24日にはまるやまミュージックソン(北海道札幌市)主催でライブをする絹うたさん。シルクロードというバンド名。

そしてもっとも待ち遠しいのが9月29日(土)に、札幌のヤマハで行われるシャンソンです。100人くらい来場数があると聞いています。

 Marlene Dietrich , Dalida

  絹うたさんの持ち歌 「リリー・マルレーン」、「ラストダンスは私に」
マレーネ・ディートリッヒ Marlene Dietrich 1901-92
 ダリダ Dalida 1933-87


その時に予定しているのが「バラ色の人生」です。そのほかには、おなじくエディット・ピアフの「愛の賛歌」(Hymne à l'amour)、フランスではダリダの「ラストダンスは私に」(Garde-moi la derniere dance)、ララ・アンデルセン、マレーネ・ディートリッヒが歌った「リリー・マルレーン」(Lili Marleen)、イブ・モンタンも歌った「セ・シ・ボン」(C'est si bon)、シャルル・トレネの「ラ・メール」(La Mer)などです。

エディット・ピアフが作詞したラ・ヴィ・アン・ローズ(ばら色の人生)は、フランス語の原詩がピアフによるもので、英語版の詩はマック・デヴィッド(Mack David)です。作曲は ルイ・グリェーミですが、実はピアフ自身の作曲によるもので、登録した作曲者にピアフは友人ルイ・グリェーミの名を借りたのですね。

ピアフがイヴ・モンタンとの別れを決心したときにこのラ・ヴィ・アン・ローズ(ばら色の人生)が誕生したそうです。「愛の賛歌」はマルセル・セルダンの死を悼んでつくられたとありますが、実際にはセルダンとの愛の終止符につくられたようです。

Édith Piaf by raymond voinquel

レイモン・ヴォワンケルによる写真
エディット・ピアフ 1947


日本語の詩は岩谷時子さんが有名です。

LA VIE EN ROSE (French Lyrics)
Edith Piaf / Louis Gugliemi (Edith Piaf)

Des yeux qui font baisser les miens,
Un rire qui se perd sur sa bouche—
Voilà le portrait sans retouche
De l’homme auquel j’appartiens.

Quand il me prend dans ses bras,
Il me parle tout bas,
Je vois la vie en rose.
Il me dit des mots d’amour,
Des mots de tous les jours,
Et ça me fait quelque chose.
Il est entré dans mon cœur,
Une part de bonheur
Dont je connais la cause.
C’est lui pour moi,
Moi pour lui dans la vie,
Il me l’a dit, l’a juré pour la vie.
Et dès que je l’aperçois,
Alors je sens en moi
Mon cœur qui bat.

Des nuits d’amour à plus finir,
Un grand bonheur qui prend sa place,
Les ennuis, les chagrins s’effacent,
Heureux, heureux à en mourir.

Quand il me prend dans ses bras,
Il me parle tout bas,
Je vois la vie en rose.
Il me dit des mots d’amour,
Des mots de tous les jours,
Et ça me fait quelque chose.
Il est entré dans mon cœur,
Une part de bonheur
Dont je connais la cause.
C’est lui pour moi,
Moi pour lui dans la vie,
Il me l’a dit, l’a juré pour la vie.
Et dès que je l’aperçois,
Alors je sens en moi
Mon cœur qui bat.

原詩 ラ・ヴィ・アン・ローズ(ばら色の人生) 訳:楓

あなたの視線にうつむく私
口元に笑みも浮かべず
取り繕ることもない
私はあなたに心奪われる

あなたの腕に引き寄せられ
小声で囁くあなたの言葉で
ばら色の人生になる
愛のささやきをくれるあなた
来る日も来る日もささやき続け
私はかわっていく
私の心には彼しかいない
幸福をわかちあうことができる
私は知っている
彼は私のために
私は彼のために
命続く限り そう誓ったから
彼の姿をみただけで
胸がときめく私

夜の愛は果てしなく
喜びは満ちる
悩みも悲しみも消えて
幸せで、幸せで、死んでもいい

あなたの腕に引き寄せられ
小声で囁くあなたの言葉で
ばら色の人生になる
愛のささやきをくれるあなた
来る日も来る日もささやき続け
私はかわっていく
私の心には彼しかいない
幸福をわかちあうことができる
私は知っている
彼は私のために
私は彼のために
命続く限り そう誓ったから
彼の姿をみただけで
胸がときめく私

英語版と違うのは、どこか翳りのある愛の歌で、マック・デヴィッドは本当のラブ・ソングのように作詞しています。

LA VIE EN ROSE (English translation)
Mack David / Louis Gugliemi (Edith Piaf)

Eyes that gaze into mine,
A smile that is lost on his lips—
That is the unretouched portrait
Of the man to whom I belong.

When he takes me in his arms
And speaks softly to me,
I see life in rosy hues.
He tells me words of love,
Words of every day,
And in them I become something.
He has entered my heart,
A part of happiness
Whereof I understand the reason.
It’s he for me and I for him, throughout life,
He has told me, he has sworn to me, for life.
And from the things that I sense,
Now I can feel within me
My heart that beats.

In endless nights of love,
A great delight that comes about,
The pains and bothers are banished,
Happy, happy to die of love.

When he takes me in his arms
And speaks softly to me,
I see life in rosy hues.
He tells me words of love,
Words of every day,
And in them I become something.
He has entered my heart,
A part of happiness
Whereof I understand the reason.
It’s he for me and I for him, throughout life,
He has told me, he has sworn to me, for life.
And from the things that I sense,
Now I can feel within me
My heart that beats.

小さなすずめことエディット・ピアフ自身の人生は、波乱の生涯。娼家を営む祖母に育てられました。

1935年、20歳の頃にはクラブ歌手でした。小さなすずめ(La Môme Piaf)って、そのナイトクラブのオーナー、ルイ・ルプレー(Louis Leplée)がエディットをピアフ(雀)と呼び、エディット・ピアフと名乗ることとなりました。このルイが殺害され、ピアフは共犯者として告発されたことがありました。

数年後にはピアフはジャン・コクトー、ジャック・ボーガットなど文化人たちとの交流をはじめます。ピアフが作詞したラ・ヴィ・アン・ローズ(ばら色の人生)は1946年。第二次世界大戦が終わった翌年。

Edith Piaf

Édith Piaf


ピアフが誕生した第一次世界大戦中の1915年、ベルギーのイーディス・キャヴェル(Edith Cavell)は、英国諜報部の要請で、ドイツ軍により一斉射撃によって処刑された女性がいます。

エディットの名の由来がそのイーディス。

この世界戦争、ドイツ・オーストリア・オスマン帝国・ブルガリアの同盟国とイギリス・フランス・ロシア、日本、イタリア、アメリカの連合国と分かれていましたね。

なぜ敵国がイーディス・キャヴェルに関して、干渉してきたのでしょう。この件に関しては、興味のある方は「続き」からお読みくださいな。

Edith Louisa Cavell

Edith Louisa Cavell


Patriotism is not enough. I must have no hatred or bitterness towards anyone

「愛国心だけでは不十分でした。誰であろうと憎しみ、あるいは辛辣さを持ってはいけないのです。」

英国の当時の首相ハーバート・ヘンリー・アスキス(Herbert Henry Asquith)は、イーディス・キャヴェルを英雄的な女性の一人だと述べています。そして1年前に、こうした女性たちが存在していることは知らなかったと付け加えています。

イーディス・キャヴェルは、ウェストミンスター寺院にて国葬されました。

さて、ベルギー在住だったイーディス(Edith)は、フランス女性ならエディット(Edith)になるんですね。エディット・ピアフの名のエディットは、このイーディス(Edith)が名の由来なんですね。

赤十字指定ベルケンダール医院の婦長イーディス・キャヴェルは、第一次世界大戦でレジスタンス活動をしていたのですが、このことが実際の処刑の事実となっています。不思議なことに、エディット・ピアフも第二次世界大戦でレジスタンス活動を行っています。

月と六ペンス」も有名な作家のウィリアム・サマセット・モーム(William Somerset Maugham)は、イーディスが処刑される前の1914年、ベルギーの赤十字病院に勤務していました。彼女を知っていたのでしょうか。

サマセット・モームが、諜報機関に転属されるのは、イーディスの処刑のあとでした。
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| 薔薇 | 20:18 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
薔薇 アンネ・フランク  ホロコーストのあとで 「マーラが与えた人生」より

Souvenir dAnne Frank

Rosa 'Souvenir d'Anne Frank'
薔薇 アンネ・フランクの形見
 Hippolyte Delforge (Belgium, 1960)
作出者 ヒッポリテ・デルフォルヘ 作出年 1960


思いがけない出来事、東北地方太平洋沖地震から1年が立ちました。まだまだ復興されていません。あらためて亡くなられた方へのご冥福と被害にあわれた皆様にはお見舞いを申し上げます。

ようやく1年が過ぎて、YOU TUBE では、ショッキングな動画がアップされました。

記事 東北地方太平洋沖地震から 侮日と反日感情
記事 東北地方太平洋沖地震から1年 日韓のインターネットユーザー

こうした侮日、嫌韓が育たない未来を考えていかなければならなくなりました。民族の尊重と過去の歴史の贖罪はいつも隣にあることを意識して行動する必要がありますね。

今回ご紹介するバラ アンネ・フランクの形見は、名づけられたように反ユダヤの犠牲になったアンネの薔薇。

「アンネ・フランクの形見」は、真っ赤な蕾から花開くときにはオレンジに変わり、ピンク、生を終える散り際には、再び赤くなるバラ。

アンネの日記をはじめて読んだのは12歳。冒頭のアンネの書き出しに、あまり好感が持てずに2年間お蔵入り。14歳のとき、もう一度読んで彼女の「書く」ことへの情熱に驚きました。

自分と同じ年齢に思えない大人びた将来像に。

それから改訂版が出版され、少女アンネ・フランクは、エレーヌ・ベール(Helene Berr、1921-45)といっしょに私の愛読書の1冊となりました。12歳から数十年を経て。

いよいよ最後の夏の薔薇(名残の薔薇よ)
一輪だけが咲き残る
散ってしまった 愛しい仲間
もう、美しさをともにする花はない
蕾もなく ため息ばかり(夏の名残の薔薇より 訳:楓)

Hayley Westenra - The Last Rose Of Summer
ケルティック・ウーマン(Celtic Woman)の2006年ライブより

日本では「庭の千草」で有名な歌。たった一輪の薔薇を残し、仲間は先に散ってしまった。

トーマス・ムーア(Thomas Moore, 1779-1852)の「夏の名残の薔薇」は、サー・ジョン・スティーヴンソン(Sir John Stevenson 1761-1833)が作曲。

フリードリッヒ・フロート(Fried- rich Flotow1812-83)によるオペラの「マルタ (Martha)」で恋が成就するきっかけがハリエットの「夏の名残の薔薇」で、1939年にディアナ・ダービン主演の「庭の千草」(Three Smart Girls Grow Up)でも、二人の姉の恋を実らせた妹役で、成就のあとに「庭の千草」を歌います。

アンネはディアナ・ダービンのピンナップを机のまわりに貼っていたと聞いてます。実はこのアンネがファンだったディアナ・ダービンが歌った「庭の千草」の薔薇は、別名「月季花」、「長春花」ともよばれるオールド・ブラッシュです。

Anne Frank poses in 1941 in this photo made available by Anne Frank House in Amsterdam, Netherlands

アンネ・フランク 1941


今日はもうひとつの「薔薇」をご紹介します。加藤登紀子さんの「百万本のバラ」ですが、原詩の「マーラが与えた人生」から、アンネ・フランクのように収容所で消えた、あるいは虐殺されたユダヤ人の追憶を、神話の女神マーラが象徴する国、ラトビアを舞台に。

マーラが与えた 訳 楓

幼い頃のこと 悲しみが襲うと
私は母の胸で 抱きしめてもらう
母はやさしく笑みを浮かべ 私の耳元で囁く
マーラは与えた 娘に命を
与えて、与えて、与えてくれた
マーラは忘れた 娘に幸を
忘れて、忘れて、忘れさられたままに

時が過ぎて母は この世にもういない
いまは一人きり 一人で生きていく
寂しさに襲われると 母の囁きをつぶやく
マーラは与えた 娘に命を
与えて、与えて、与えてくれた
マーラは忘れた 娘に幸を
忘れて、忘れて、忘れさられたままに

忘却の彼方に 置き去りにしたものが
突然よみがえり 私は身がすくむ  
私の娘が笑みを浮かべ あの囁きを口ずさむ
マーラは与えた 娘に命を
与えて、与えて、与えてくれた
マーラは忘れた 娘に幸を
忘れて、忘れて、忘れさられたままに

YOU TUBE
マーラが与えた人生 (百万本のバラの原曲)

この詩は大国の犠牲となった象徴です。


マーラが与えた人生 受難の時代 バルト諸国占領


「百万本のバラ」は、ライモンズ・パウルス(Raimonds Pauls 1936-)によって1968年に作曲された子守唄「マーラの与えた人生」です。詩は、レオンス・ブリアディス(Leons Briedis)です。

私はこのライモンズ・パウルスを、20世紀の大作曲家でピアニストのドミートリイ・ショスタコーヴィチを重ねる部分があります。

ソ連のプロパガンダとして、あるいはその反対で体制を揶揄したなど、音楽と政治に揺り動かされたショスタコーヴィチ。

ショスタコーヴィチ(Dmitrii Dmitrievich Shostakovich)のジャズ組曲第2番第2ワルツは、友人のsaiが記事にしていますが、私も好きな曲。ミハイル・カラトーゾフの映画「第一軍用列車」(1955年)の映画音楽でした。

スターリンの死の翌年の映画です。

saiはそこで、コムソモール(旧 全連邦レーニン共産主義青年同盟)の人々が描かれていると指摘し、政治的な背景をほのめかしています。

記事 ショスタコーヴィチ ジャズ組曲から アンドレ・リュウの第2番第2ワルツ The Second Waltz

原曲の「マーラが与えた」が作曲された1968年、ショスタコーヴィチはロシア共和国作曲家同盟理事、世界平和擁護委員会の委員に選出。

ショスタコーヴィチはスターリン体制には共産党賛美と思われるような作品を残し、スターリンの死後に発表されているのは反社会主義リアリズム。

前衛芸術への紛糾「ジダーノフ批判」では、バレエ ロミオとジュリエット(ロメオとジュリエット)の作曲でも有名なプロコフィエフ、そしてショスタコーヴィチたちが追求されました。

以前にイタリア・フランスの合作映画、ミケランジェロ・アントニオーニの「太陽はひとりぼっち」の記事を書きましたが、ローマとムッソリーニ時代に建設された新都心エウローパが舞台。ヒトラーとムッソリーニの政権とその死からも15年後につくられた映画ですが、失脚したムッソリーニの遺物がそのまま写しだされ、民族主義の「ファシズム」の終焉がそこから見つけることができます。

記事 フェミニズムな映画 「太陽はひとりぼっち」   L'eclisse − The Eclipse(日蝕)

1948年から1958年まで続いたジダーノフシナ(Zhdanovshchna、ジダーノフ時代)も、ヨシフ・スターリンの死後に解除宣言されました。

またスターリン主義に基づいた文化・文芸政策の指導者で、この「ジダーノフ批判」をおこなったアンドレイ・ジダーノフは、反逆者の汚名を被せて処刑されたソ連共産党の幹部たちの「レニングラード事件」(1940-50)の直後に、なぜか急死。

このスターリンの時代、バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)へのソビエトの侵略とバルト諸国占領(1940–41)に続き、ナチス・ドイツの占領(1941-44)、ソビエトの再占領(1944–91)という受難の時代が続きます。

WIKIによると1960年8月8日の調査に基づく、ソ連のバルト諸国併合とバルト諸国の統治を法的(デ・ジュリ)に承認した国に日本があります。ただし本質的に援助をした国は スウェーデン。スウェーデンは素晴らしい国ですね。

1989年にベルリンの壁崩壊。このとき英国のサッチャー首相、そしてソ連のミハイル・ゴルバチョフ書記長が統一に反対。ところが西ドイツの首相ヘルムート・コールの対ソ経済支援で、ゴルバチョフは承認したのです。

このベルリンの壁崩壊は、バルト三国の独立を刺激します。

ヨシフ・スターリンの死から最高指導者はゲオルギー・マレンコフ、その9日後にスターリン批判のニキータ・フルシチョフ、1964年の失脚後にはレオニード・ブレジネフ(長かったですね)。1982年には詩人でもあったユーリ・アンドロポフ。2年後にコンスタンティン・チェルネンコ、その翌年、最後のソ連最後の最高指導者ミハイル・ゴルバチョフとなるのですね。

このドイツ統一を経済支援で承認したゴルバチョフ。このためバルト三国は独立し、ソ連は崩壊するのが1991年でした。日本でも人気のあったゴルビーでしたが・・・。

バルト三国のラトビアで作曲家でピアニスト、政治家として活躍したのが、ライモンズ・パウルス(Raimonds Pauls)なんですね。

もともとの原詩「ダーヴァーヤ・マーリニャ」(マーラは与えた、マーラが与えた人生)というこの詩は、レオンス・ブリアディス(Leons Briedis)によるもので、バルト三国のひとつラトビアの受難の歴史を歌っているのでしょう。


マーラが与えた人生 受難の子 聖母マーラと聖母マリア


マーラとはラトビアという娘を産んだ聖母の名。「マーラはこの娘に生を授けたが幸せを与え忘れてしまった」という三代の母子が口ずさむフレーズが1番から3番まであります。

マーラは与えた 娘に生を与え、与えて、与えてくれた
マーラは忘れた 娘に幸を忘れ、忘れて、忘れてしまう
(訳 楓)

聖母マリアがキリストの受難を予言され、そのための「マリアの七つの悲しみ」のように、リトビアの伝説の聖母マーラも、娘の受難に「母であるがゆえの苦しみ」が、国ラトビアの受難の比喩として歌われているのではないでしょうか。

決して諦めや哀しみではなく。

バルト三国、フィンランド、スウェーデン、デンマーク、ノルウェーなどはキリスト教信仰よりも、バルト神話、北欧神話からおわかりになるように、それぞれに民族信仰を持っています。キリスト教が浸透しはじめたのは、8世紀末から11世紀後半にかけてで、現代に伝えられている神話の神々、女神には、聖書やローマ、ギリシャ神話と同一視できる女神や聖人たちもいるようです。

「マーラが与えた人生」には、決して幸福を授けなかったのではなく、精神的苦痛、肉体的苦痛を伴う成業(受難)を与えたのではないでしょうか?

聖母マリアの七つの悲しみは賛美歌や絵画作品にも残されていますが、「シメオンの予言」、「エジプトへの逃避」、「イエスを見失う」、「カルワリオへの道」、「十字架磔刑」、「十字架降下」、「キリストの埋葬」の聖書の場面です。

マリアの母、聖アンナからみれば、娘マリアの受難になるのではないでしょうか。つまりマリアの受難は、母アンナの受難でもあるわけですね。そして孫にあたるイエスの受難。三代にわたる成業は、苦難の道のりなのです。

その受難から独立したバルト三国。

つまりは、大国の圧制に苦しむ民衆の精神的苦痛、肉体的苦痛を伴う成業(受難)を歌ったと楓は解釈しています。


マーラが与えた人生 バルト三国のホロコースト


この「マーラの与えた人生」にはホロコーストの存在を忘れてはならないと思います。

受難を授かったバルト三国の民衆によるユダヤ人迫害。

偽造された「旧ソ連体制を支援するというユダヤ人」という情報を信じた結果の抹殺でしょうか。レニングラード事件と同じく、人は誤った情報を信じやすく、そしてなんと殺人はたやすくおこなわれるものなのでしょう。

エストニアでは、ナチの占領期間に1万というユダヤ人が殺され、ラトビアでは約8万5千のユダヤ人が殺されています。絶滅収容所か殺されるか・・・。

もっとも酷いのはリトアニア。パネリアイの虐殺です。バルトの神話、女神マーラは、ユダヤ人には生も幸も授けず、迫害と死を与えたのでしょうか。

大国の圧制に苦しむバルト三国の民衆は、他民族の迫害をおこなっていた事実。美しく悲哀に満ちた旋律と詩の裏側に、もう一つの国のない民族ユダヤ人の迫害が隠されているのですから。

「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか。」

贖罪の代償は大きいのです。

人間の罪を贖う贖罪として、キリストは命を献げ十字架磔刑となったのですね。人間が神の恩寵が得られるように。


百万本のバラ グルジア


多様な民族の芸術家たちを刺激したライモンズ・パウルスの曲ですが、ロシア語版の「百万本のバラ」がありますね。

「マーラが与えた生命」は、ロシアのアラ・ブガチョワの持ち歌「百万本のバラ」にかわりました。ブレジネフが亡くなった1982年のことです。

おわかりのように、ソ連からのラトビアの独立、そしてソ連の崩壊において、このラトビアを象徴するマーラの歌詞をそのまま翻訳する訳にはいかなかったのではないかと思われます。

ソ連崩壊は、バルト三国の独立が引き金となったようなものですから。

Андрей ВОЗНЕСЕНСКИЙ

アンドレイ・ヴォズネセンスキー


2010年に亡くなったアンドレイ・ヴォズネセンスキーは、バルト三国と同じように、ソ連の占領地だったグルジアの画家ニコ・ピロスマニをモデルにした詩を書きました。

ソビエト連邦の最高指導者だったヨシフ・スターリンもグルジア出身です。

グルジアは1990年11月にグルジア・ソビエト社会主義共和国からグルジア共和国となり、1991年に独立宣言。

アンドレイ・ヴォズネセンスキーは、放浪の画家ピロスマニが女優マルガリータのホテルの前を花で埋め尽くしたという伝説をもとに詩を創作しました。



ピロスマニ 女優マルガリータ


放浪の画家という異名と貧困のまま亡くなったピロスマニは、ロシア美術界から注目されたものの、すぐに評価は下がります。

どちらかといえば「ナイーヴ・アート」(Naïve Art)、「パントル・ナイーフ」(Peintre Naïf)と呼ばれる素朴派ではないでしょうか。

ですからとても和やかで、人間的な楽しい作品だとも言えるでしょう。いまではグルジアでは国民的な画家といわれているピロスマニです。

2003年、グルジアは奇しくも手にバラを持った「バラ革命」で、政権交代となりました。

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薔薇 スベニール・ドゥ・ラ・マルメゾン



Climbing Souvenir de la Malmaison
スベニール・ドゥ・ラ・マルメゾン
(スーベニール・ドゥ・ラ・マルメゾン) 
ジーン・ベルーズ(ジャン・ベルーズ ) 作出年 1843


いよいよ春が本格的にやってきましたね。一昨年前から記事にしようとしていたのですが、書き溜めていたためにアップするのを忘れていました。

それで一足早く「薔薇」のお話。

こちらは「マルメゾンの思い出」という薔薇。ジョゼフィーヌ皇后のマルメゾン城に集められた250種の薔薇。

ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ(Joséphine de Beauharnais, 1763 - 1814)は、もともとはローズと呼ばれていたようで、薔薇と縁がある女性だったんですね。マリー・ジョゼフ・ローズ・タシェ・ド・ラ・パジュリ(Marie Josèphe Rose Tascher de la Pagerie)が結婚前のお名前で、ナポレオンがジョゼフをジョゼフィーヌと呼び始めたとありました。

植物画家ルドゥーテに描かせた「バラ図譜」はいまも出版されています。

作出者はジーン・ベルーズ(ジャン・ベルーズ Jean Béluze)で、ジョゼフィーヌが亡くなって30年ほどたった1843年に誕生。

ジョゼフィーヌは、ナポレオンと結婚する前のフランス革命時にはラ・フォルス監獄に投獄されていた時期がありました。

ここでいっしょだったのがのちのタリアン夫人となるテレーズ・カバリュス。タリアンがテレーズ救出のためにロベス・ピエール失脚となったテルミドールのクーデターの英雄(笑)です。

フランス革命で断頭台の露となったマリー・アントワネットも薔薇に縁のある女性ですが、フランス革命後に皇后となったジョゼフィーヌには及ばない。

「マルメゾンの思い出」(スベニール・ドゥ・ラ・マルメゾン)は、歴史に残るジョゼフィーヌ皇后の庭園への追憶をその名につけたのですね。

この春、咲かせてみませんか?

| 薔薇 | 22:05 | - | - | pookmark |
薔薇 デプレ ア フルール ジョーヌ



Desprez a fleurs jaunes


デプレ ア フルール ジョーヌは「デプレの黄色い花」という作出者デプレの名を入れた薔薇。作出年は1830年のこと。

別名はジョーヌ デスプレ、ノアゼット デスプレ、デプレ ア フルール ジョーンズとありました。

バラの蒐集家だったナポレオンの皇后ジョゼフィーヌが亡くなってから16年後のこと。

1830年のフランスは7月革命が起こり、フレデリック・ショパンは「革命のエチュード」(「12の練習曲」Op10の第12番ハ短調)を作曲。

ルイ16世の弟王ルイ18世が即位し、そのあと、マリー・アントワネットの寵臣でもあったアルトワ伯爵(ルイ16世、18世の弟王)がシャルル10世として即位。この革命でシャルル10世は亡命。オルレアン家のルイ=フィリップ1世が国王となります。

ルイ=フィリップ1世は、マリー・アントワネットと敵対し、ルイ16世の死刑に投票したルイ・フィリップ2世 (オルレアン公)の息子。奇しくもルイ=フィリップ1世は、マリー・アントワネット側に利用され、そのため父オルレアン公も断頭台で果てました。あの「デュムリーエの裏切り」です。

そんな乱世時につくられたバラ。

淡い黄色にピンクがかった「デプレの黄色い花」は、黄色いバラの歴史の中では、残念ながら純粋な黄色のバラではありません。

作出のジャン・デプレ(Jean Desprez)は、パヒューム「バラ・ベルサイユ」でおなじみの調香師ジャン・デプレとは違います。
| 薔薇 | 08:11 | comments(0) | - | pookmark |
薔薇 オールド・ブラッシュ Old Blush



この薔薇、名前が最近わかりました。別名「月季花」、「長春花」ともよばれるオールド・ブラッシュです。母や妹が植えていたものなの。

エルローザ 杉山バラ園さんのHPから、これだと。薔薇ってものすごく種類があって、私は覚えられません!ちゃんと名前を記憶しておかないとこんがらがります。

この薔薇、四季咲きなので四季をとおして楽しめますが、夏はちょっと一休みという感じ。

中国産出で、作出年は1759年以前。1798年、英国のパーソンズ氏が栽培に成功したということでしたね。

唱歌「夏の千草」では、邦訳で「薔薇」が「白菊」にかわっていますが、アイルランドの詩人トーマス・ムーア(Thomas Moore,1779-1852)の原詩は薔薇で、このオールド・ブラッシュを歌っているそうですね。作曲はジョン・スティーブンソン(Sir John Stevenson,1761-1833)です。

The Last Rose of Summer

Left blooming alone;
All her lovely companions
Are faded and gone;
No flower of her kindred,
No rosebud is nigh,
To reflect back her blushes,
To give sigh for sigh.

I'll not leave thee, thou lone one!
To pine on the stem;
Since the lovely are sleeping,
Go, sleep thou with them.
Thus kindly I scatter,
Thy leaves o'er the bed,
Where thy mates of the garden
Lie scentless and dead.

So soon may I follow,
When friendships decay,
From Love's shining circle
The gems drop away.
When true hearts lie withered
And fond ones are flown,
Oh! who would inhabit,
This bleak world alone?

直訳すると夏の名残のバラ。

楓の意訳

名残の薔薇よ
一輪だけが咲き残る
散ってしまった 愛しい仲間
もう、美しさをともにする花はない
蕾もなく ため息ばかり

決してひとりにはしない
その朽ちゆく花よ
愛しきものたちとともに眠りなさい
したがって私が手折り散らしてあげよう
友とする庭の千草へ
香りのない永遠の寝床に

そうしてすぐに私も往く
愛の輝く輪から 友が絶える
まるで宝石がこぼれ落ちるように
枯れていく真実の心
愛するものが去り
どうして生きていけようか?
この荒涼とした世界に

日本の「庭の千草」を作詞したのは、「埴生の宿」でもおなじみの里見義さん。第一次、第二次世界大戦以前の日本。

わざわざ日本を代表する花「菊」へ変えたのは、日本国民に擬人化したのでしょうか。その白い菊が露の冷たさや重みにも耐えていることを、人の高潔な志として謳っています。

この唄が発表されたのは重税に苦しむ農民が蜂起した「秩父事件」の1884年のことでした。

日本語訳 「庭の千草」 作詞 里見義

庭の千草も、虫の音も 枯れて寂しくなりにけり
ああ白菊、ああ白菊 一人遅れて咲きにけり

露もたわむや、菊の花 霜におごるや、菊の花
ああ、あわれあわれ、ああ、白菊 人のみさおも、かくてこそ

| 薔薇 | 21:07 | - | - | pookmark |
薔薇 カトル・セゾン Quatre Saisons



カトル・セゾン(四季) 1600年頃


ダマスク系のカトル・セゾン(キャトル・セゾン)は、その名のとおりに「四季」咲き。別名ビフェラ(Bifera)と呼ばれているようです。

古代からの薔薇で、香水や薔薇水に栽培されたのが中世時代です。

この頃は14世紀のハンガリー王妃エルジュベート(エリザベート)の「ハンガリーウォーター」もさかんな時代でした。

バラ水(ローズ・ウォーター)は、朝摘みのダマスク・ローズの花びらをミネラル・ウォーターで煮詰めてつくることも可能で「ハンガリーウォーター」同様に口に含むことが可能なんですね。

店頭で購入される場合は着色されていないものを。
| 薔薇 | 20:47 | - | - | pookmark |
薔薇 ソレイユ・ドール Soleil d’Or

 Soleil dOr

ソレイユ・ドール 1900年


モダンローズのHT系の薔薇。
イラン、イラクのロサフェティダにジョセフ・ペルネ=デュシェ (Joseph Pernet-Ducher) がアントワーヌ・デュシェをかけあわせたものだということなんですねぇ。

以前から記事をアップしようと思って、ややしばらく、しばらーく非公開のままになっていました。

何を書こうと思っていたんでしょう・・・。
| 薔薇 | 18:34 | - | - | pookmark |
Sandro Botticelli's Rose ボッティチェッリの薔薇 ヴィーナスの誕生の庭へ



Sandro Botticelli The Birth of Venus


以前の記事にも書きましたがボッティチェリの花々は、誰よりも写実的な植物画を描いた画家です。「ヴィーナスの誕生」に描かれている花は薔薇。ロサ・ガリカ(Rosa gallica)らしいんですね。



Sandro Botticelli's Rose  ボッティチェッリの薔薇


このロサ・ガリカと呼ばれる薔薇もいくつも種類がありますが、 「ボッティチェッリの薔薇」はどのロサ・ガリカなのでしょうね。



Rosa Gallica Officinalis
ピエール=ジョゼフ・ルドゥーテ

officinalis

ロサ・ガリカ「オフィキナリス(オフィシナリス)」
Red Rose of Lancaster(ランカスターの赤いバラ)





Rosa gallica violacea or La Belle Sultane
ピエール=ジョゼフ・ルドゥーテ




ロサ・ガリカ「ヴィオラケア」


どうでしょうか。色こそ違えど花弁はまさしくガリア・ローズ。皆様もご存知のようにオールドローズですが、ヨーロッパの原種であるワイルド・ローズ(野生バラ)ということになりますね。

その中に日本の原種「照葉野茨(Rosa wichuraiana)」なども含まれます。



ガリカ・ローズには、、「オフィキナリス(オフィシナリス)」、「ヴィオラケア」のほかにもありますね。



Rosa Gallica Pumila
ピエール=ジョゼフ・ルドゥーテ



ロサ・ガリカ「プミラ」




ヨーロッパの原種には、ロサ・アルバ(Rosa alba)、 ロサ・カニナ(Rosa canina)、ロサ・ガリカ(Rosa gallica)、ロサ・キナモメナ(Rosa cinnamomea)、ロサ・グラウカ(Rosa glauca)、ロサ・ケンティフォリア(Rosa centifolia) 、ロサ・スピノシッシマ(Rosa spinosissma) 、ロサ・ウィクライアナ(Rosa wichuraiana) があります。



Rosa Gallica Agatha Incarnata
ピエール=ジョゼフ・ルドゥーテ



ロサ・ガリカ「アガサ(アガタ)・インカルナータ」1800年



 
13世紀のヨーロッパでは、「ガリカ」、「ダマスク」、「アルバ」、「ケンティフォリア」が栽培され、ロサ・ガリカはオフィキナリスという種類に限られて栽培されていたといわれています。

ボッティチェリは15世紀中から16世紀前半の時代の人。



Rosa Gallica Regalis
ピエール=ジョゼフ・ルドゥーテ

Rosa Gallica Reg

ロサ・ガリカ「アガサ(アガタ)」
(ロサ・ガリカ レガリス)1818年


彼の時代、15世紀にヨーク家は白い薔薇、ランカスター家は赤い薔薇を象徴し王位を争った「バラ戦争」が有名です。 白薔薇は「ロサ・アルバ」、赤薔薇が「ロサ・ガリカ」です。



ボッティチェリの「ラ・プリマベーラ」にもこの薔薇が描かれているようです。ロサ・ガリカは現在において少なくとも15種類くらいはあるようですね。もっとある?



Rosa Gallica Pontiana
「ロサ・ガリカ ポンティアナ」ピエール=ジョゼフ・ルドゥーテ




Rose  Gallica Aurelianensis (Restrike Etching)
「ロサ・ガリカ アウレリアネンシス」ピエール=ジョゼフ・ルドゥーテ


ところがですね、このヴィーナスに描かれているバラについて、ある本に「専門家が言うにはロサ・ケンティフォリア(百弁の花のローザサンティフォリア)の種類であろう。かなり早い時期の八重咲きである。」とありました。



ロサ・ケンティフォリア(ロサ・センティフォリア)は、マリー・アントワネットの肖像画や、資生堂の香水でもうおなじみですね。

記事 kafka 「ルドゥーテのロサ・センティフォリア
記事 「100枚の花びらの薔薇 資生堂 香水 ローズロワイヤル
記事 「マリー・アントワネットが愛したもの」肖像画



Rosa centifolia ロサ・ケンティフォリア


Hybrid rose developed by Dutch rose breeders in the period between the 1600s and the 1800s

紀元前3000年頃からエーゲ海に咲き誇っていたともいわれるロセ・ケンティフォリアは、ボッティチェリの時代には、彼の目の前にあったのでしょうか?

キャベッジローズとも呼ばれる100枚の花びらをもつ薔薇は、1600年頃(1596年とも)-1800年の間にオランダ人のバラ畜産家によって開発されたバラとあります。



「バラ戦争」のヨーク家(ロサ・アルバ)、ランカスター家(ロサ・ガリカ)は「ヴィーナスの誕生」のバラでも戦います。



R. alba var. semi-plena
Pierre-Joseph Redouté (1759–1840)



ロサ・アルバ・セミプレナ(ヨークの白い薔薇)
White Rose of York


このボッティチェッリの薔薇は「ロサ・アルバ・セミプレナ」だともいわれているからです。ガリカ、ダマスクに次ぐ古い品種になります。



さてバラ愛好家の皆様、お庭つくり大好きな皆様。2010年はボッティチェッリ没後500年です。今年はボッティチェッリのバラの庭をつくってみませんか?

「ヴィーナスの誕生」のお庭を。

ボッティチェッリ関連記事
過去記事 「ボッティチェリ 至福の花々
2010年記事 「Sandro Botticelli ボッティチェッリ



| 薔薇 | 17:59 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
薔薇の切花 ワンコイン!

この花束全部で¥500!いつも古くなったお花が¥100(3本位)で売っているんですけど、大好きなモーヴ色の薔薇に惹かれてしまいました。


私の場合は切花との方が相性いいんです。4日は持ちます。持たせます。たまたま夜の買出しに出かけたら目に止まり。うれしいので報告です。

お肉(薩摩牛)もお魚(生鮭の切り身とかお刺身とか)も野菜も午後20時半になるとほとんど50%のスーパーがあります。

バターや蜂蜜は時々高値のものが半額に!今日はいろんなものを買って¥3,000でお釣がきましたよ。だから帰りはタクシーでした。

ちなみに今日は息子の誕生日。安くすませてごめんなさいな。
| 薔薇 | 21:56 | - | - | pookmark |